松沢呉一のビバノン・ライフ

待ち合わせ「ガロについて話す」のその後—銭湯のバイトのその後-(松沢呉一)

山中潤と待ち合わせ—30年前に「ガロ」に起きたこと」「バイトを始めました—BiSHの清掃員にはなれなかったけれど」の続きです。

銭湯の写真は本文とは関係ありません。

 

 

待ち合わせ「ガロについて話す」のその後

 

vivanon_sentence山中潤との待ち合わせ「ガロについて話す」は、リアルタイムに観た人はわずか数十でしたが、表に出ないところで大きな反響もあって、その後、アーカイブにはずっとアクセスが続いています。つってもまだ数百ですけど、もうちょっと数字は伸び続けそうです。

 

 

山中潤はその後も次々と記憶が引っ張りだされて、たびたび思い出したことを報告してきます。たとえばツァイトの倒産はアスキーの崩壊と連鎖する形だったとか。日本のソフトハウスが短期間に次々と消えていった時代のことは、「ガロ」とは関係がなく、まとめておいた方がいいのではないかと思うのですが、聞き役は私では不足しているので、そっち方面に詳しい聞き役を立てて、改めてやるといいと思います。

私としては、ガロショップとしてスタートしたタコシェの担当だったツァイト特殊事業部の小鷹さん(「小高」だったかな)が今どうしているのか気になります。山中氏もまったく消息をつかめていないとのこと。わざわざ公に話すべきものでもないので、茶でも飲みながら再会できればいい。会わなくても、元気でいることさえわかればいいか。消息をご存知の方はご連絡ください。

もし白取千夏雄が生きていたら、白取君にも来て欲しかったものです。これはもう叶わぬこととして、「ガロ」の編集部にいた谷田部さんもどうしているんだろう。誰も彼の消息は知らず。ぶっちゃけアルコール依存症+αで、相当に病んでいたので、彼ももう会うことは叶わないのかもしれない。

 

 

銭湯のバイトで風邪をひいた

 

vivanon_sentenceという具合に、私の中でもまたあの「待ち合わせ」で引っ張り出されたさまざまがあるのですが、あの日からずっと続いていることがあります。体調の悪さです。

あの日私は風邪を引いたとお伝えしましたが、原因ははっきりしています。前々日の深夜(日付で言えば前日)、銭湯のアルバイトです。

正直なところ、銭湯の掃除はもっと楽だと思ってました。全然楽じゃありませんでした。銭湯によるんだと思うのですが、私がやることになったふたつの銭湯のうち、ひとつは厳しい。

濡れるので、短パンにTシャツ姿で掃除を始めますが、後半はパンツ1枚です。これも銭湯によりますが、そこは循環湯になっていて、湯をきれいにして回しているため、湯は週に一回しか入れ替えず、湯を入れたまま浴槽に入ってタイルを掃除します。パンツ1枚です。それでもまだ湯は暖かいので、これはいいのですけど、洗い場の温度はどんどん下がってくるので、長引くとパンツ1枚だと寒くなってきます。

 

 

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