ノバク・ジョコヴィッチの意見に賛成—My Body My Choice-(松沢呉一)
ジョコヴィッチのインタビューに大いに共感した
ワクチンに関してノバク・ジョコヴィッチ自身が語る言葉を初めて聞きました。
「ワクチンに反対するのではない」「ワクチンを接種した人を尊重する」「ワクチン接種を選択する自由があるのと同じく、選択しない自由もある」「自分はワクチンを接種しない選択をした」「その選択に伴う不利益は受け入れる覚悟がある」
素晴らしい。つうか、私と同じ考えです。私も素晴らしい。
私は今に至るまで「一切ワクチンを接種しない」と決めたことはなく、ワクチンのメリットがデメリットを上回ったら接種する可能性があって、ウィンブルドンに出るためにはワクチンを接種しなければならないとなったら接種するかもしれない点で彼と違いますが、私も他者がワクチンを接種する選択を尊重していて、「接種したい人は毎日打っとけ」と言い続けている通り。マスクも同じで、マスクをする選択も尊重しますから、「マスクをするな」と言っていたような連中は敵です。ワクチンも「接種するな」ではなく、「接種しない選択を守れ」です。
その選択肢の中でどちらを選択するのかの計算式は人によって違うし、状況によっても違います。
とくにオミクロンの時代に入った今では、「ワクチンを接種していても有効な期間は数ヶ月しかない」「その期間内であっても感染し、死亡することがある」「ワクチンの副作用(副反応)と後遺症は言われているよりずっと多く、ずっと重い」「対して新型コロナに感染しても重症化するリスクは低い」というのが現実です。となれば、「接種しない」という選択をする人たちが増えるのは当然であり、ワクチン強制に対して各国で強い反発が起きているのも当然です。
My Body My Choice
よくワクチン強制に反対するデモでは「My Body My Choice」と書かれたプラカードが出ています。ワクチン強制反対のデモのタイトルに「My Body My Choice」が使用された例もあったはずです。
これはフェミニズムのキャッチフレーズであり、フェミニズムのなんたるかを端的に示す言葉です。ずっと言っているように、フェミニズムの根幹にあるのは個人主義です。個人が決定をし、その決定を尊重するのがフェミニズムの考え方(のはず)。
セックスするもしないも、結婚するもしないも、離婚するもしないも、出産するもしないも、「私が決める」。しばしばこの延長に、「売春するもしないも私が決める」があります。
「My Body My Choice」は妊娠中絶の権利について言及するものであり、他人から見て、どんなに不幸に見える選択であっても、本人の意思が尊重されます。売春も同じ。
しかし、妊娠中絶に対しては「My Body My Choice」を支持する人が、売春に対しては別基準になる例があまりに多い。売春については「あなたの肉体はあなたが決定していいのではなく、社会が決定するのだ」と言い出す。だったら、「あなたの妊娠はあなた個人で決定していいいのでなく、社会が決定する」となりますわね。バカだなあ。
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