松沢呉一のビバノン・ライフ

逃げた人を責めてはいけない—ことあるごとに繰り返しておかないと忘れられること-(松沢呉一)

ロシアからの人材流出が止まらない—ロシア軍のミサイルはロシア人をも撃っている」の続きです。

 

 

逃げた人に対する風当たりの強さ

 

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数回前に取り上げた動画で、ボグダンさんもいずれ日本まで逃げることを想定して、そのためのルートを確保していると言っていましたが、子どもと老人を除く男は国外に出られないですから、ウクライナという国が完全に崩壊した時か、ロシアが完全撤退した時くらいしか実現しないのではなかろうか。

その前に国内で移動しなければならないわけですが、避難した人たち、とくに男に対しては風当たりが強いと言ってます。「なぜキエフに留まって闘わないのか」「今も闘っている人がいるのに」と非難される。

男に対しての方が風当たりは強いにしても、女でも、避難することは親戚にも黙っていたと言っている人がいました(たしかポーランドに逃げた人だったと思います)。 なじられ、場合によっては阻止されるためです。

互いに励まし合い、助け合っていた関係の中で、「私は逃げます」と言われたら、そりゃ裏切られた気持ちになれましょう。

ボグダンさんのように、自分の意思でキエフに留まる人たちばかりではなく、本当は逃げたいけれど、「親がいるから」「体が弱いから」「金がないから」といった理由で逃げられない人たちもいます。その人たちに「私は逃げます」と宣告するのは酷ですし、残された側が「あいつは裏切り者だ」と言いたくなるのは仕方がない。

安全地帯にいる我々には理解しにくいのですが、ナチスに捕まったユダヤ人が、まだ捕まっていないユダヤ人に嫉妬して、ゲシュタポに隠れ家を密告する。自分たちを殺そうとするドイツ人に向けるべき怒りが嫉妬の形になって同胞に向くのです(「ユダヤ人がユダヤ人を密告する心理—E.A.コーエン著『強制収容所における人間行動』[4]」)。

悲しいかな、人間はそういうものです。

しかし、そんな極限にあるわけではない人たちも逃げた人を非難します。ボグダンさんはリヴィウの話として語っていますが(ボグダンさんはリボフと言っていますが、ウクライナ語の法則としてはリヴィウが一般的だと思います)、危険が差し迫っているキエフからまだしも安全なリヴィウに逃げてきた人をリヴィウにいる人が白い目で見るのはさすがにおかしい。

※今さらながらにウクライナの地図。リヴィウはウクライナ西部、ポーランドの近く。ウクライナの中では比較的安全ですが、ここ数日、ロシアはリヴィウにも砲撃。

 

 

逃げてはいけない人もいるけれど、たいていの人は逃げていい

 

vivanon_sentence今回に限らず、ウクライナに限らず、ホントによくあることです。前々から言っているように、「逃げる人を非難すべきではない」という考えをしっかり持っていない人は簡単にそこにハマります。とくになんでも難癖をつけたい人たち。

自身も同じ場にいて逃げなかった人が逃げた人を非難するのはやむを得ない。その場にいたら私もそうなるかもしれない。しかし、安全地帯にいる人が逃げた人を非難してはならない。非難するなら自分からもっとも危険な場所に行ってからにしろ。

日本にいる人が避難したウクライナ人に「どうして最後まで闘わなかったのか」と言うのは「死ね」ということです。だったらまず自分から死ね。

 

 

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