松沢呉一のビバノン・ライフ

ウクライナ・ナショナリズム一世紀の潮流—ステパーン・バンデーラからアゾフ連隊へ[1]-(松沢呉一)

 「敬服すべき在日ロシア人の反戦活動と、それを妨害する軽蔑すべき在日ロシア人—外国人受け入れに伴うリスクをどう克服するか-」 の続きです。

 

 

「バンデーラからアゾフへ」

 

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1週間ほど前に、おなじみ「メデューザ」に、ウクライナ人のジャーナリストであり、研究者であるコンスタンティン・スコルキンによる「バンデーラからアゾフへ」と題された長文が出ていました。

著者のコンスタンティン・スコルキンはウクライナで雑誌の編集や執筆に従事し、現在は米国のシンクタンクの研究員としてモスクワ在住です。そのうち国外追放されそうです。

「バンデーラからアゾフへ」は、ロシアによる「ウクライナはネオナチ国家である」といった決めつけは現実とかけ離れた荒唐無稽なものであるという認識を前提としつつ、そこだけに留まらない問題を提示するものでした。

ロシアの言い分はまるで根拠がないこともあれば、1は存在することがあります。それを100に誇張するのがロシアのやり口。ロシアの言い分は難癖として葬っていいとして、そこから離れてその1をどう評価するのかは難しい。ロシアのせいで、1の部分が今後10になっていくことを恐れる人たちも内外にいます。

スコルキンさんは数字もさまざま挙げていて、前に私も書いていたように、ユーロマイダンに極右勢力が参加していたのは事実ですが、その勢力は全体の数パーセントにしか過ぎませんでした。極右の中には軍事訓練を受けているのもいますから、いざ戦闘になると最前線に立って目立ちはしますが、数字としてはそんなもん。

そこをことさらにクローズアップして、「あれはネオナチの運動だ」としたのがロシアであり、その追従者が日本にもいました。

ユーロマイダンに現れた極右勢力は、ウクライナ南東部のロシア語の強い地域から出てきたサッカーファンが多かったとのことです。つまりは、ロシアが支配地域としている場所です。アゾフ連隊もそうです。これには意味があって、ロシアが自分らのものかのように扱おうとしたがためにそれに対する反発として極右が伸してきたという関係です。

そして、ロシアの侵略に対して、マリウポリを必死で守っているのがアゾフ連隊です。私も「アゾフ連隊頑張れ」と思いますが、アホのロシアのために、アゾフ連隊が力を持って、戦争が終わって以降、極右勢力が政権をとるようなことにならないかとの危惧は今なおあります。あとで考えればいいことですけどね。

※アゾフ大隊のエンブレムは、IとNを組み合わせただけと弁明していますが、前に説明したように、ナチスの第2SS装甲師団ダス・ライヒのエンブレムからとったものであることは明らかでしょう。ここに出したSSはこちらの映像で紹介されていたもの。ヒムラーが親衛隊の拠点としたヴェヴェルスブルクの床にあしらった「黒い太陽」を背景に入れていますから、「たまたま似た」との言い逃れは無理かと思います。

 

 

ネオナチ要素は本当にすべて排除されたのか否か

 

vivanon_sentenceアゾフ大隊の創設者であり、初代司令官であったアンドリー・ビレツキーを筆頭に、アゾフ連隊の成立にはネオナチと見なされる人脈が関与していたのは事実ですが(ビレツキー自身はネオナチであることを否定していますが、これも無理かと)、2014年までに、内部の批判勢力によってほとんどは去っています。2017年に組織が一新された際には、ネオナチ的なものはさらに排除されています。そのことをはっきりさせるため、ネオナチと言われても仕方がないエンブレムも一新した方がよかったのに。

それでも、人間関係をすべて断つことはできないでしょうし、ネオナチ自認の人々は今もいましょう。どこかのドキュメンタリーに出てましたが、ハーケンクロイツのタトゥをしているメンバーもいますし、ヘルメットなどの装備にハーケンクロイツをあしらっているのもいます(どちらも今現在のものではなく、数年前のものですが、タトゥは簡単には消せないですから、今もいるかもしれない)。

反ロシアの点でナチスに共感するのがいるとしても、現在のアゾフ連隊全体をネオナチとするのは無理があります。まして、ウクライナ全体がネオナチ国家であろうはずがなくて、これはウクライナを侵略したくて仕方がないゲスなロシアの杜撰な論理です。

 

 

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