松沢呉一のビバノン・ライフ

無自覚な道徳派と対峙する際の注意—何度説明しても同じことを繰り返す厄介な人々-(松沢呉一)

反戦運動家に「不潔な売春婦」との言葉を投げつけるプーチン支持派/法を読みもしないでセックスワークを違法と決めつける日本の道徳派」の続きです。

 

 

 

内面化した道徳を疑えない人々を相手にすることの困難

 

vivanon_sentence5月22日に新宿駅東口広場で開かれた「AV業界に有利なAV新法に反対する緊急アクション」に対してのカウンターセックスワーカー差別集会への抗議行動0522を呼びかけた若者たちはだいたいのことはわかっているようなので、あとはお任せして安心できそうだと思いつつ、雑談の中でちょっとだけアドバイスしたことがあります。

「早くサイトを立ち上げて、そこにFAQを作った方がいいよ。そうしないと、5年経っても10年経っても進歩しない人たちの相手を繰り返さなければならなくなる。“ここを読んでおいてちょ”の一言で済むようにして、省力化を図った方がいい」

延々と同じことを繰り返さなければならないことで疲弊してしまうのです。ということを「ビバノン」でも何度か繰り返してますね。

どんなジャンルでもそういうことはあって、だからFAQが必要とされるわけですけど、とくにセックスワークについてはこういうことが起きやすい。

真剣に取り組むテーマと思われていないので、ろくに考えも調べもせず、思い込みだけで語ろうとする人たちが多いことが理由としてまず挙げられます。なーんも考えず、なーんも調べていないまま発言できるような気がしてしまうみたいです。

それと関わりつつ、もうひとつは、譲れない道徳が確固として存在していて、いかに論理的に破綻していようとも、いかにフェミニズムの理念から外れていようとも、いかにデマに基いていようとも、その道徳を放棄できない人たちがいるってことです。

時にその道徳は宗教道徳です。「豚を食ってはいけない」「牛を食ってはいけない」のは普遍性のある論理で説明されるのではなく、信じる人たちの間での譲れないお約束です。その範囲で実践していれば問題はあまりない。現にイスラムやヒンディーの人が日本に来て、仏教徒やキリスト教徒にその道徳を押し付けるようなことはありません。

しかし、性道徳はあたかもそこに普遍性があるかのように思い込む人々がいるのが迷惑です。それが道徳であるとの自覚のないタイプこそが厄介なのです。

その果てに法律にまでしようとします。いつも言っているように、「不倫はいけない」と考える人が多いわけですが、その道徳を共有できる人たちの間でそのルールを実践している限りは問題はない。しかし、そのことをもって「婚姻外セックス禁止法を作るべきかどうか」を考えてみてはどうか。

※「反戦運動家に「不潔な売春婦」との言葉を投げつけるプーチン支持派/法を読みもしないでセックスワークを違法と決めつける日本の道徳派」からの流れで営業していないラブホの写真です。車でしか行けないような場所だと、すぐに肝試しの舞台として利用されて荒れ果てそうです。

 

 

FAQだけで解決できるものではないけれど

 

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通常の発想で言えば、売防法を根拠にして論を組み立てる場合、売防法に目を通すのは当たり前。条文を読んでもわからなければ解説書を読むってものです。その作業をやりたくないなら、売防法には触れない。当たり前のことです。当たり前のことを実践してくれれば済む話なのです。

しかし、現にそれだけのことをやらない人が多数いるので、批判する側が指摘しなければならなくなります。指摘された人が間違いを素直に認めて訂正し、以降、同類の間違いをしている人がいたら注意してくれればいいのですが、まずやってくれない。そのため、同類が延々と湧いて出てきます。

あの人たちの頭の中には譲れない道徳があるので、間違いを指摘されても、その先に進まないのだろうと推測しますし、道徳が最上部にあって、法なんぞはその下位にあるため、自分の道徳に沿った解釈をして、ありもしない法律を掲げてしまうのだと思います。

 

 

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