松沢呉一のビバノン・ライフ

ナチ・ハンターに追及されたウクライナ人たち—ステパーン・バンデーラからアゾフ連隊へ[付録編1]-(松沢呉一)

「ステパーン・バンデーラからアゾフ連隊へ」シリーズの補足です。

ロシアによる「ウクライナはネオナチ」という言い分は領土拡大を目論む侵略者のインネンの類であることは明確であって、その意味で、これ以上、検討する価値はないのですが、OUNがどういう団体で、ステパーン・バンデーラがどういう人物であったかについては、私個人の好奇心が刺激されています。OUNは戦後米国でもナチス協力団体として位置づけられていて、なぜそうなったのかをもうちょっと見ておきたいと思います。

 

 

『ナチ・ハンターズ』を読んだ理由

 

vivanon_sentence「ステパーン・バンデーラからアゾフ連隊へ」シリーズを書いている時に読んでいたチャールズ・アッシュマン/ロバード・J・ワグマン著『ナチ・ハンターズ』には、ナチ・ハンターの対象となったウクライナ人が 何人か登場します。

1人はOUN-Bのメンバーだった人物です(本書ではウクライナ民族機構/OUNとしか書かれていないですが、明らかにOUN-Bです)。このタイミングでOUNのメンバーが「オレも取り上げてくれ」と言わんばかりに登場したのですから、「ステパーン・バンデーラからアゾフ連隊へ」に組み込みたかったのですが、OUN以外のところまで話が広がって長くなるので付録編としました。

ナチ・ハンターズ』を読もうと思ったのは、ナチスの犯罪人たちが時効もなく、かつ当時の法になかった犯罪について、国境を超えて裁かれる論理を知りたかったためです。

「法理論として一般には許されない事後法(犯罪実行時には存在しない法律をあとになって作ること)が、なぜ戦争犯罪では許されるのか」という大きな疑問がありますが、ニュルンベルク裁判で確立された論理が適用されています。「人道に反する罪」は、改めて成文化されていないながら、人類共通に成立している犯罪であり、普遍性のある規範として存在している。よって、成文法は必要としない。という論理。納得しがたいのですが、ここではそういう論理ってことがわかればよし。

たとえばアルゼンチンに潜伏していたアドルフ・アイヒマンのように、イスラエル政府が誘拐という手段を使ってイスラエルに連れてきて裁判にかけるようなことまでなされていて、この誘拐という部分については合法的になされたものではありませんし、「人道に反する罪」を罰するために人道に反しているような気がします。

アルゼンチン政府が主権を侵害されたことについての抗議をしていますが、「アイヒマン自身が合意したのであり、無理矢理誘拐したわけではない」ということになっているようです。だとしても、国境を越える以上、手続きってもんが必要ですけど、大物ってこともあって、国際社会は不問にしたようです。

こういった例もありつつ、原則、国と国の取り決めに基づいて引き渡されていて、その条約がない国で、本来死刑になってもおかしくなかったナチス幹部が堂々と余生を暮らした例もあります。

といったルールについてだいたい理解できたので、当初の目的は達成されたと言えますが、それ以外の点でも、この本には教えられる点が多々あって、読み物としてもこの本はメチャ面白かったです。

 

 

ワルトハイムの場合

 

vivanon_sentence「ナチ・ハンター」という言葉は、ナチスドイツの戦争犯罪人たちを探して裁判にかけることを仕事としている人々をイメージさせ、プロの懸賞金稼ぎのようなイメージもありますが、本書に取り上げられている「ナチ・ハンター」は幅が広く、ナチスドイツの戦争犯罪人たちの責任を追及する人々の総称です。

その対象となった人々も幅が広く、上に出てきたアイヒマンのように、ナチ・ハンターに探しだされて裁判にかけられて処刑された人、メンゲレのように、事故死するまでその所在を確定させることができなかった人、国連事務総長だったワルトハイム(クルト・ヴァルトハイム)のように、長い時間をかけてその過去を明らかにされながらも責任を追及しきれなかった人などが取り上げられています。

ワルトハイムはオーストラリア人であったことが、追及が遅れた原因になったかもしれない。オーストリアはドイツの延長であり、ドイツ語を話すゲルマン民族としてのつながりがあったことからはナチスドイツの一翼を担っていました。しかし、戦後はドイツほどには追及されず、ナチス思想はドイツよりもオーストリアに残ったとも言えて、これが「サウンド・オブ・ミュージック」に対する微妙なスタンスとして残っています。

ワルトハイムは1971年に国連事務総長に就任、ナチスドイツ時代のワルトハイムを知る人が、追及するつもりではなく書いたことがきっかけで過去が知られることとなります。当初はしらばっくれていましたが、突撃隊隊員だった事実を突きつけられて、「ただの通訳だった」と言い出します。しかし、将校だったことも明らかにされ、言い逃れできないところまで追い詰められますが、そのことによってはっきりとした形で追放はなされず、1981年に二期目を終了。

 

 

next_vivanon

(残り 1488文字/全文: 3568文字)

ユーザー登録と購読手続が完了するとお読みいただけます。

ウェブマガジンのご案内

« 次の記事
前の記事 »

ページ先頭へ