松沢呉一のビバノン・ライフ

OUNをナチス協力団体と認定するのは正しいのか?—ステパーン・バンデーラからアゾフ連隊へ[付録編2]-(松沢呉一)

ナチ・ハンターに追及されたウクライナ人たち—ステパーン・バンデーラからアゾフ連隊へ[付録編1]」の続きです。

ナチ・ハンターズ』には多数の人名が出てきますが、広く知られる有名どころを除いて、検索してもひっかかりません。大物たちに比較すると、いかにも小物であって、注目されることがほとんどないってことと、裁判になっている時は話題になっていても、インターネット登場よりも前のために忘れられているってことか。たんに探し方が悪いだけかもしれないけれど。

そのため、以降の図版は内容と直接関係のないものが多く、とくにカナダ・ウクライナ研究所がやっているインターネット・エンサイクロペディア・オブ・ウクライナから多数お借りしました(以下、「ウクライナ辞典」とします)。OUNについては、この辞典で新たに知ったことがあって、それを図版という形でまとめておきます。

 

 

OUNのメンバーにしてユダヤ人殺害犯のウクライナ人、ボグダヌス・コズィ

 

vivanon_sentenceチャールズ・アッシュマン/ロバード・J・ワグマン著『ナチ・ハンターズ』は前半で大物を扱っていて、その人物が何をし、どのように追及されていったかを描いているのですが、後半は国家や制度といった切り口が増え、そこにおいてどのような事例が裁かれたのか、あるいは裁かれなかったのかが描かれていて、前半に比べると地味っちゃ地味で、とっつきにくい部分もあるのですが、私としては後半が重要でした。

第6章「<子ども殺し>を裁く」では、OUNのメンバーで、ユダヤ人殺害に関与したとされるウクライナ人、ボグダヌス・コズィという人物を追っています。この人物が主人公であるとともに、当時の制度的不備がテーマです。

アイヒマンのように、数万という単位のユダヤ人を収容所に送り込んだ重要人物、ワルトハイム国連事務総長のように、戦後の出世ぶりが派手だった大物に比べるとあまり重要ではない人物ですが、理想的な移民としてフロリダで生活していた彼は1970年代末から米国政府にによって追及されるようになり、米国社会ではずいぶん知られる存在になっていたようです。

ボグダヌス・コズィは何をしたのか。

1939年の独ソ不可侵条約によって、ポーランドは分断され、スタニスワフ地区はソ連のウクライナ共和国の一部になります(このスタニスワフという地名を検索しても見つからない。スタニスワフまたはスタニスラフという人名が出てくるのみ。ことによると本書では、無名の人物については個人を特定できなくしているのか? 以下は本書に出てくる通りの説明です)。

1941年、ドイツが条約を破棄して侵攻して、同地区はドイツに支配されます。同地区の住民の半数がユダヤ人でした。彼らは強制収容所に送られるか、その地で殺されました。ポグロムです。

これらのユダヤ人を捕まえて収容所に送ることまで親衛隊がやるのは無駄が多いため、現地で補助警察部隊を組織します。ドイツ人の命令で動く現地部隊であり、ウクライナ、ラトビア、リトアニア組織されています。

スタニスワフ地区にあるリジェッツという村は人口2千人、その1割がユダヤ人でした(リジェッツという地名も見つからない)。この村の補助警察部隊の中にいた20歳そこそこのボグダヌス・コズィはハリチ地方のプカシプチという場所の裕福な農家の息子として生まれ、補助警察に入り、高校で知り合った村一番の裕福な家庭の娘、ヤロスラワと結婚し、リジェッツに赴任してきました。

彼のことを村人がよく覚えているのは、その残虐性からでした。ユダヤ人を集めて虐殺した中に、負傷しながらも生きていた17歳の少女を住民が助けてかくまっていたところにコズィがやってきて、その場で射殺。

あるいは7歳と10歳の娘がいる一家をコズィら、補助警察が射殺。

コズィのことを覚えている人が多いのは、こういう場に好んで彼はやってきたからだと言います。はっきりと覚えている上に、その回数が多いために証言者には事欠かない。

それでも裁判にかけられるには長い時間を要しています。

※Neal Bascomb『The Nazi Hunters: How a Team of Spies and Survivors Captured the World’s Most Notorious Nazis』 同タイトルの別の本。解説を読むと、内容は似たようなもんか。

 

 

模範的移民と見られていたコーズィの正体が明らかに

 

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1944年にボグダヌス・コズィとその一家は赤軍の侵攻とともにドイツに逃げ、そこで戦争終結を迎え、難民となって難民収容所に入ります。1949年に米国に移住し、ボグダヌス・コズィはボーダン・コーズィーとなりました(煩雑になることを避けるため、ボグダヌス・コズィで統一します)。

彼はニューヨーク州のガソリンスタンドで働き出し、やがては賃借したガソリンスタンドを自ら経営するようになり、その金でモーテルを買ってオーナーとなります。1973年フロリダに移住し、そこでもモーテルを経営し、移民として模範的な生活をしていました。

 

 

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