松沢呉一のビバノン・ライフ

サイレント・エピデミックと女子供バイアスを問い直す存在—男女を等しく扱えばいいと主張する要友紀子-(松沢呉一)-[無料記事]

 

 

「男女を同じように扱えばいい」と要友紀子は主張する

 

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参院選で要友紀子を当選させる総決起集会」の様子が一部公開されていたので、これについて書いておきます。

 

 

応援に駆けつけた五十嵐えり・都議会議員は力強い話し方で好感を抱きました。私はこれまで存在を知らず、これも要友紀子の謎人脈です。

すでに説明したように、要友紀子の活動のうち、目立ちやすいのはセックスワーク関連ですが、水面下には他のテーマがいっぱいあって、それぞれで人脈の枝葉が広がっています。氷山の一角がセックスワーク。

 

 

自殺に見られるサイレント・エピデミック

 

vivanon_sentence要友紀子がここで泣きながらスピーチをしたことの背景には、20年以上に及ぶ彼女の活動があります。彼女はセックスワーカー関連の裁判にも足繁く通っています。警察庁に行ってデータを調べたりもしています。その結果得たものを発信しても相手にされないことの悔しさがあの涙に詰まってます。

いくら言っても相手にされなかったことの悔しさ自体、傾聴するに値しますし、その中で彼女が提起している「どうしてセックスワーカーが健康的に安全に働くことを求めると、業者に加担していると言われるのか」という点も重要で、これは改めてやりますが、同時に前半もものすごく大事なことを含んでいます。サイレント・エピデミックに通じる話。

「ビバノン」でやっていた「サイレント・エピデミック」シリーズもまた大事なことを含んでいたのですが、あまりに読む人が少ないので途中で打ち切ってしまいました。でも、要友紀子は読んでいたんじゃないかな。

たとえばある会社で、男性社員2人が自殺し、女性社員が1人自殺したとします。女性社員の自殺のみがクローズアップされて、会社や組合から遺族に多額の弔慰金が支払われ、男性社員の自殺者の遺族には何も支払われない。女性のケア不足が背景にあるとして、女性社員の対策のみが手厚くなされていきます。

これ、おかしいべ。男の方が2倍自殺しているのに、なんでそっちは無視、軽視されるんだ? そちらも同じく手厚くケアされてよく、どちらも合わせて3人も自殺しているこの会社の問題として見ていくべきではないんですかね。

このまんまではないけれど、このおかしなことが現にこの国では行われています。日本では、男の方が2倍自殺しているのに、女の自殺だけがクローズアップされて、対策が叫ばれます。

女の自殺は哀れみが3倍強化されて、現実の数字を超えてしまうのです。これによって男の自殺は見えなくされていて、これをサイレント・エピデミックと言います。どこの国でも男の自殺は軽視されていることを表現する言葉です。

立憲民主党の五十嵐えり都議の紹介ページ。インタビューを読むと、不登校を経験しています。要友紀子もその時期があったかも。不登校つながりか。

 

 

DVの9割は妻が被害者という思い込み

 

vivanon_sentenceサイレント・エピデミックはさまざまな分野で見られます。男は弱音を吐いてはいけないと教えられているため、相談ができにくい。相談件数を見ると、女の方が多い現象でも、実際には男の方が多いと推測されているものもあります。男の方が多いとは言えないまでも男の被害も十分に問題なのに、無視されているものもあります。

「ビバノン」で見てきたもので言えば、国際ロマンス詐欺がそうです。犯人の側から考えても、わざわざ性別で分けるより、どちらも狙った方が効率がいいですから、おそらく被害者の男女比は変わらない。しかし、男の被害者は軽視されて、女の被害者がクローズアップされ、女の方が多いとする信用できないデータが使用され、「女の方がアホだから騙される」というイメージが拡散されています。

鬱病やDV、セクハラもそうです。一般に思われているより、男の患者、男の被害者は多いのです。

たとえば、夫婦間のDVで言えば、相談件数から9割、あるいはそれ以上の被害者は妻とされてきましたが、内閣府男女共同参画局の調査によると、「身体的暴力を配偶者から受けたことがある」としたのは、女性が19.8パーセント、男性が14.5パーセントで、大きな差がないことがわかっています。

これらのサイレント・エピデミックについて、男の方を手厚くケアしろと言いたいのではなく、男女等しく扱えばいいだけです。身体的暴力については身体差があるので扱いに違いがあってもいいという意見も出てきそうですが、この差は個別に見ていくしかなく、妻から夫への暴力を一律に軽視していいとはならない。

※内閣府男女共同参画局「DVの現状等について」(令和2年)

 

 

サイレント・エピデミックと女子供バイアス

 

vivanon_sentence男女をとくに意識することなく把握することによって見えてくることもあるはずなのに、女だけをクローズアップすることで総数が見えなくされていることもありそうです。

男女等しく見るという、当たり前のことがなぜ実行されないのかと言えば、「女はかよわく、社会がつねに手を差し伸べてやらないと、自分では問題解決ができない無能な存在」と認識している人が多いためです。男は「社会がケアしなくても自分で問題解決ができる強い存在」というわけです。

特別にいずれかの性別を救済すべきテーマや局面はあるでしょうが、相当に限られそうです。たとえば子宮癌とか。

そうする必要がない場面でも、「女はかわいそう」と強化された視線を私は「女子供バイアス」と呼んでいます。子どもは現に自立できない存在であり、社会の庇護が必要です。交通事故で老人が死ぬより子どもが死ぬ方が痛ましい。戦争でもそうです。それと同じように、自殺する女は自殺する男より痛ましいとデフォルトで決めつけて、大人の女も子どもと同じように扱いたがるのが「女子供バイアス」。

このステロタイプな男女観をせっせとこの社会は再生産していて、ことさらに女の自殺ばかりを強調して救済を求めるのが自称フェミニストだったりします。手垢のついた旧来の男女観にしがみつき、それを強固にしようと奮闘しているのです。なにがフェミニストなんやら。

道徳がフェミニズムに見える人たち宗教道徳団体をフェミニズムの歴史に組み込もうとする人たち、「女子供バイアス」の強化をやっている人たちまでがフェミニストを自称するこの国の惨状をなんとかしませんか。

男女を等しく扱えばいいと考える要友紀子を政界に。

続きます

 

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