松沢呉一のビバノン・ライフ

無力で無能な存在を救済するという発想の差別性—要友紀子が提起した疑問について考える[中]-(松沢呉一)-[無料記事]

セックスワーカーが健康に安全に働くことを求めると、業者に加担していると言われる理不尽—要友紀子が提起した疑問について考える[上]」の続きです。

 

 

1990年代後半

 

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次々と公開される動画につきあっていたため、間が空いてしまいましたが、「セックスワーカーが健康に安全に働くことを求めると、業者に加担していると言われる理不尽—要友紀子が提起した疑問について考える[上]」の続きです。

私自身もこれにかする体験をしています。要友紀子と知り合う1990年代後半、私ははっきりとセックスワークは肯定されるべきという考えに到達していて、売防法も不要と主張し始めていました。

これについては何度も書いていますが、この背景にあったのはフェミニズムです。「産む産まないは女が決める」の延長上に「売る売らないはワタシが決める」がありました。「マイ・ボディ マイ・チョイス」です。

その頃、国外の事情も調べていて、米国のコヨーテ、オランダのレッド・スレッド、英国のECPなど、セックスワーカー、元セックスワーカー、また、サポーターたちの団体が次々と結成され、盛んな活動を続けていることに気づきます。

すべてではないですが、これらの動きの背景にもフェミニズムがありました。同じところに到達している人たちです。

1990年代から日本でもSWASHの前身であるウニードス(UNIDOS)といったグループが始動していました。要友紀子もこのUNIDOSに関わっていたわけです。

※1975年始動、現在も活動を続けるECPのサイトより

 

 

セックスワーカーは経営者と敵対していなければならないという思い込み

 

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それらの事実に感激して、興奮気味に誰かに話すと、しばしば「悪辣な経営者と闘う女たち」という捉え方をされた上で、拍手喝采をする人たちが出てきます。この拍手喝采は比喩ではなく、左翼や右翼のおっさんたちが多数集まる場でこの話をした時は実際に拍手が起きました。

どういう言葉だったか覚えてないですが、エールの言葉から、「経営者を悪玉としてとらえているな」と気づいて、「そういう側面もあるんだけれど、それより敵は社会の偏見だったり、道徳だったり、セックスワークを規制する法律だったりする」と説明をしました。

前回出したライターの団体を例にするとわかるように、対経営者との関係で生じる活動もあるにせよ(ECPの対象はおもに街娼なので、経営者が存在しない。レッドスレッドは飾り窓が拠点で、こちらは場所の所有者がいるだけ。という具合に業態からして、日本とは違います)、世界各国の団体は対社会の活動に重きがあります。なかでも法改正です。外に見せる活動としてはそうなるのは当然。

悪辣な経営者がいるのは事実として、しばしばその悪辣な経営者を支えているのは「悪辣な社会や法律」なのです。日本では赤線地帯に暴力団が入り込むのは売防法がきっかけであったことが象徴します。

いわば社会と対峙することを見据えるしかないそれらの運動を、「対経営者との労働運動」という側面にのみ押し込めようとする人々は、「つねに経営者は悪辣で、つねにか弱い女たちは不当に搾取されている」というステロタイプな考え方にとらわれています。

それと闘う女たちを肯定するという意味では拍手喝采する人たちには悪意はないわけですが、この固定的な考え方からすると、か弱い女たちと店とは対等ではない。

こうして、問題はその見方そのものにあるのだと私は気づき出していきます。

※2019年8月2日付「VOX」 米国におけるセックスワークの非犯罪化要求の動きをまとめたもの。 前はそれほど見なかったと思うのですが、こういった行動で出されるプラカードで最近よく見るのは「Rights not Rescue」の文字です。「救済より権利を寄越せ」と。「女子供バイアス」の拒否です。このフレーズが地面に書かれた写真も出ています。

 

 

「搾取バカ」が湧く理由

 

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なぜセックスワークにおいては「サクシュサクシュ」と騒ぎ立てる搾取バカが湧いてくるのかという疑問があります。こういう人たちに聞いても正確に剰余価値率を計算している人なんていやしない。計算していたら、セックスワークは決してひどい労働ではなく、むしろ他業種では考えられないくらいの高い報酬を支払っているってことがわかってしまいますから、決してそんなことはしない。

では、何が根拠かといえば「女は自分で考えることができない存在なので、セックスワークのようなけがらわしいことをするのはつねに騙されているのだ」という二重に差別的な思い込みです。「女子供バイアス」に性風俗蔑視を合体させています。

剰余価値率を計算もしないで搾取だと騒ぐのは「ギャラの計算もできないバカ女は搾取されているに違いない」という思い込みに基づくのだとしか思えません。

少し頭が働く人なら、根拠なく搾取と決めつけることに抵抗が生じて、「男の経営者が女の肉体を使って得た金をその一部でももっていくことは女という性からの不当な搾取である」みたいなことを言いそうです。気が利いていそうですが、この論は女の経営者が想定されていない点で欠陥品。

現実にちょんの間のような小規模な経営では、女性経営者の方がずっと多い地域がありますし、SMクラブでも女性経営は当たり前。デリヘルにもよくいます。ソープランドでは少ないですけど、皆無ではない。

それらの女性経営の性風俗店は搾取ではないってことになり、肯定されるべきです(そのような論を言う人たちにとっては、です)。「女の経営者をもっと増やせ」と主張するのが筋ですが、そんな主張をする人は見たことがない。ただただその存在を無視されるだけ。

※Melissa Petro「Pros(e)」 要友紀子・全国風俗街キャラバン第二弾は熊本—要友紀子がやりたかったこと」で取り上げたメリッサ・ペトロには著書があるのをAmazonで発見。セックスワークがテーマですが、解説を読んでもイマイチ内容がわからんです。

続きます

 

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