松沢呉一のビバノン・ライフ

「救済より権利を」の声を聞け!—要友紀子が提起した疑問について考える[下]-(松沢呉一)-[無料記事]

無力で無能な存在を救済するという発想の差別性—要友紀子が提起した疑問について考える[中]」の続きです。

 

 

存在をなかったことにされている女たち

 

vivanon_sentenceつい最近、ちょっといい話を聞きました。20年以上前に交流があった女性がいまして、結婚して以降はまるで連絡をとっていなかったのですが、彼女をよく知る人物がその後の彼女のことを教えてくれました。現在40代後半だと思いますが、何年か前に離婚をして(その経緯が特筆すべきなのですが、相当に珍しい体験なので、どこの誰か特定されてしまいましょうから、泣く泣くここはカット)、仕事でストレスが溜まると、売り専ボーイを呼んでいるそうです。頑張っているなあ。

彼女はずっと同じ職場で働いていて、けっこうな収入があるはずです。性欲を自覚して金で処理する女たちが増えるとともに女風マーケットも大きくなっていますが、性風俗店を経営する女たち、AVの制作に従事する女たち、プロダクションを経営する女たちの存在が無視されるように、性風俗の女の客も存在しないかのように扱われ、AVマーケットを支える消費者としての女たちも無視されます。

こうして、ひたすら「性風俗店の客は男」「性風俗店の経営者は男」「AVを利用するのは男」とされてしまうのもまた女に対する蔑視の表れと言っていい。

「女は性欲も自覚できない人形のような存在」という自分の思い込みにとって都合の悪い存在を消して、自分にとって都合のいい解釈をひねり出しているに過ぎません。

だから女はつねに搾取されているのだし、つねに悪辣な経営者の餌食となり、自分の意思で行動できているように見える時は背後に黒幕がいて、男に操られているとヤツらは主張するわけです。対等な関係として時に店とセックスワーカーが共同で行動することもありますが、そういう人たちにかかれば、主導は店であり、セックスワーカーは店の傀儡にしか見えない。

こういう連中にとって、女は自立なんてできるはずがない存在なので、「私たちが助けてあげる」と思い上がるのが常です。自分だけはいっぱしの人間であると思えているらしい。実のところ、そうすることで税金を得て、メシを食っている人たちが自分らの食い扶持を確保するために、女の存在を貶め続けている構造もあります。要友紀子はここもしっかり押さえています

※2014年3月12日付「NBC NEWS」 「Rights not Rescue」は誰が言い出したのだろうと思って検索したら、この記事がひっかかりました。「“セックスワーカーは救済よりも権利が必要”と著者は言う」とあるように、これは本の紹介です。メリッサ・ギラ・グラント著『Playing the Whore: The Work of Sex Work』は社会に広くあるセックスワークにステロタイプなイメージを覆す内容。その前からあったフレーズを拾い上げただけかもしれないですが、この本が「救済より権利」とはっきりと宣言をしたことによって、このフレーズが広まったようです。

 

 

救済より権利を(Rights not Rescue)

 

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世界各国のセックスワーカーの団体、あるいは支援の団体はしばしば公道での情宣活動をしています。彼らは「か弱い私たちを助けて欲しい」と言っているのでしょうか。違います。「当たり前の職業として認めろ」「スティグマを押し付けるのはやめろ」と言っています。

その象徴的なフレーズが「救済より権利を(Rights not Rescue)」です。端的に彼らの主張を表現した素晴らしいフレーズです。

このフレーズは「無力で無能な女たちを救済するという発想にへばりつく職業蔑視と女性蔑視こそがセックスワーカーからプライドを奪うのだ」と言っています。救済をしたがる人たちは、セックスワーカーの意思も認めない。だから話さえ聞かない。解決できるのは自分らだけだと思いあがっています。その内実は蔑視のかたまりのくせに。

もちろん、個別には救済が必要な人たちはいるでしょう。しかし、蔑視に基づく救済は役に立たない。要友紀子が指摘するように、この人たちの救済は職業否定でしかないからです。本人は仕事を続けたい。続けるためによりより労働環境を求めているのに、職業自体を否定され、時には奪われてしまう。何を求めているのかも聞きもせずに、自分の都合を押し付けるのがこの人たちの「救済」です。

※ Melissa Gira Grant著『Playing the Whore: The Work of Sex Work』 この本はよさそうだなあ。どっか邦訳を出すといいのに。著者のメリッサ・ギラ・グラントも過去にセックスワークに従事していたことがあるとしていますが、詳細については語ることを拒否。

 

 

背後にいる存在を見ないではいられないくらいに「女は何もできない存在」という思い込みからそろそろ抜けるべし

 

vivanon_sentence5月22日に新宿アルタ前広場で行なわれた「AV業界に有利なAV新法に反対する緊急アクション」に対して、セックスワーカー差別集会への抗議行動0522」がカウンターをかけたことは「「AV業界に有利なAV新法に反対する緊急アクション」とそれに対抗する「セックスワーカー差別集会への抗議行動」の試合は後者の圧勝—法をめぐる議論で法を曲解する人たちは退場すべし」で報告した通りですが、「セックスワーカー差別集会への抗議行動0522」もここに書いてきたような社会構造を見抜いた上で、問題がどこにあるのかを明快に語っています。

彼らが当日配布していた声明文にはこうあります。

 

私たちが抗議しているのは、
「セックスワーカーは判断もできずに搾取されているかわいそうな人たちで、その存在を許すことはできない」
という言説です。
これは非常に差別的、かつ暴力的であり、許すことのできないものです。

 

彼らはこのようなセックスワーカーの扱いを拒否する宣言をしています。セックスワーカーを意思も頭脳もない存在としてまとめるのはやめろと言ってます。

事前にあれだけ批判されていても、あの日の「AV業界に有利なAV新法に反対する緊急アクション」でのスピーチは差別意識が溢れまくってました。

「友だちがAV嬢になってしまった。そんなことをしなくていい社会に」など、その友だちの意思を否定することを平気で言うんですよ。無自覚な差別者は手がつけられない。

これこそが「女子供バイアス」です。女自身がこれをやります。ここにセックスワークに対する道徳的蔑視が加わって、「女が望んでそんな仕事をするわけがない」「強制されている」「搾取されている」という話になっていきます。

とくにセックスワークに顕著にその二重の差別意識が出やすいのですが、女はただの意思なき人形であるという思い込みにとらわれていて、意思らしきものを口にするとしたら、誰かが吹き込んだだけ。黒幕が言わせているだけ。「女の陰に男あり」です。

これがSWASHのような団体に対して、あるいは新吉原女子保健組合に対して、「業者の傀儡」「業者寄り」といった根拠なき決めつけがなされる背景です。個人に対しても「要友紀子の黒幕は☓☓だ」とか言っている阿呆がいるんだと思います。

すでに書いてきたように、SWASHはSTDの調査や啓発活動をやってきています。店に協力してもらわないと話にならない。「女子供バイアス」で頭をいっぱいにしている人たちは、これも「業者寄り」「業者の傀儡」に見えてくるらしい。どうやったらSTDの対策ができるのかで奮闘したことがなく、「そんな業界は法で潰せば解決」と考える連中らしい粗雑さですが、これはもはやデマに近い。

自身の中の「女子供バイアス」に基づくデマを流すのはもうやめないっすか。

あの行動のためだけのアカウントなので、その後の書き込みはないのが残念

 

 

 

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