松沢呉一のビバノン・ライフ

要友紀子がイメクラ嬢だった頃—UNIDOSからSWASHへ-(松沢呉一)-[無料記事]

 

期日前投票をしてきました

 

vivanon_sentenceここ数日、あんまり体調がよくなくて、今日は寝たり起きたり。明日はさらに悪化するかもしれないので、とっとと期日前投票を済ませてきました。体調がよくてもたいてい私は期日前投票をしますけど、体調の悪い時はなおのこと期日前投票がありがたい。

期日前投票の会場に向かう途中で選挙カーとすれ違いまして、八幡カオルが乗っていたのでビックリしたのですが、よーく見たら小池百合子でした。なんだ、本物かよ。すごい勢いで走り抜けていったので、写真は撮りそびれ、誰の応援をしていたのかも見逃しました。

期日前投票を済ませていない方は明日は朝から投票所へ。遅くなると、面倒になっちゃいますから。

よく「セックスワークだけで人は生きているわけではない。経済や国防も大事だ」と言う人がいますが。一度で二回投票ができますから、選挙区では経済や国防重視、比例ではセックスワーク重視でいいんじゃないですかね。

むしろ私は、あれもこれも手を出して調子のいいことばかりを声高に言う候補の方が信用できない。要友紀子も、その気になればもっと広い範囲のことを語れますけど、それより自分の専門に絞り込むのが大事。

 

 

池袋時代・横浜時代

 

vivanon_sentence要友紀子の「全国風俗街キャラバン」は、あとは「吉原編」を出して終わりかと思ったら、昨日は「沖縄編」、今日は「横浜編」を2本出しています。

とくにこの回は感激しました。

 

 

私の記憶違いじゃなければ、彼女はこの店の前に、同じ系列の、池袋にあった学園系イメクラで働いていて、そこが風俗デビューのはず。

たまたまそこがそうだったに過ぎないのかもしれないですが、学園系イメクラって、ノリが女子校みたいなんですよ。女の子ら同士のつながりが強くて、学校(仕事)が終わると近くのパセラでカラオケをしたり、平和通りの焼肉屋に行ったり。皆でメシを食うのが楽しみで、それで太ったと要友紀子は言ってました。

女の子らが店と交渉することもあったはず。何がテーマだったか覚えてないですが、店長がまた友だちみたいなノリで接するので、要望は受け入れられたんじゃなかったかな。

当時の彼女は本当に楽しそうに仕事をしていたことをこの動画で思い出しました。

 

 

UNIDOSからSWASHへ

 

vivanon_sentence池袋時代はまだSWASHは始まってなくて、その前身のUNIDOSの時代です。UNIDOSとはくに誰が代表ということはなかったはずですが、要友紀子は下っ端のパシリって感じ。

UNIDOSはわりと癖の強い集団で、そもそも関西拠点です。とくに京都。東京在住の要友紀子も関西出身ですから、共通言語は関西弁。京大の学生、院生、卒業生が何人もいるインテリ集団で、平均偏差値は65くらいか。

事実より思い込みを重視する記事作りはやめれ—要友紀子に関する「デイリー新潮」の記事を批判する[上]に、『売る売らないは私が決める』が完成した打ち上げをやったことを書きました。

あの当時はまだカメラ付きの携帯がさほど普及していなかったこともあったし、なにより「記録を残すこと」より「記録を残さないこと」に気配りしていて、写真も残していないため、正確に誰が参加していたのかはっきりしないですけど、UNIDOSのメンバーが多く参加していたはず。

それ以外では小説家になっていた菜摘ひかるがいました。彼女がSM系の店にいた頃に私は知り合っていて、原稿を依頼したのですが、他の人たちとはその時が初対面で、彼女はUNIDOSのノリにはついていけず。

それに対してSWASHは、UNIDOSとは活動内容が違うってこともあって、メンバーも活動も東京拠点になっていき、ノリも変わりました。それからちょうど20年くらいか。

菜摘ひかるとUNIDOSとの接点はそれ一回で、その2年後に死去。

南智子はこの本に収録した座談会に参加。彼女はUNIDOSのメンバーではなく、打ち上げに来ていたのかどうかも覚えてませんけど、2017年に死去。

死んでしまったり、行方知れずになったり、行方はわかっているけれども、交流がなくなった人もいて、今があります。

選挙に出るまでに20年以上かかったんだなあとの感慨がどうしたって湧いてきます。

ちょっと泣きそうです。

 

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