「人物 - 伊藤野枝」の記事一覧
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「私たちは買われた」から「私は変われた」へ—上野千鶴子の粗雑な論をありがたがるのはもうやめれ[5](最終回)-(松沢呉一)
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「新しい女」たちは偉い。支持した人たちも偉い。妨害した成瀬仁蔵や津田梅子は偉くない—井手文子著『自由 それは私自身』を40年ぶりに再読した[4](最終回)-(松沢呉一)
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成女女学校の宮田修と常磐松女学校の三角錫子—井手文子著『自由 それは私自身』を40年ぶりに再読した[3]-(松沢呉一)
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大正期の奇妙な公開恋愛—井手文子著『自由 それは私自身』を40年ぶりに再読した[2]-(松沢呉一)
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お嬢様・平塚らいてうらと野生児・伊藤野枝—井手文子著『自由 それは私自身』を40年ぶりに再読した[1]-(松沢呉一)
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田嶋陽子の「奴隷論」は男女の差異を固定する—田嶋陽子著『愛という名の支配』を褒めたり貶したり貶したり[13]-(松沢呉一)
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瀬戸内寂聴の訃報を機に自分の書いたことを読み直して感心した—『美は乱調にあり』をめぐって-(松沢呉一)
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田嶋陽子の個人主義は不徹底—田嶋陽子著『愛という名の支配』を褒めたり貶したり貶したり[11]-(松沢呉一)
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伊藤野枝の「感情の自由」を否定した平塚らいてう—女言葉の一世紀[165]-(松沢呉一)
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西川文子自伝『平民社の女』を読んでみたのだが—女言葉の一世紀[163]-(松沢呉一)