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【コラム】山﨑凌吾、湘南移籍を決断。

先月末に大﨑玲央のJ1神戸への移籍を伝えたばかり。ときを同じくして、山﨑にもJ1湘南からレターが届いた。主軸を2選手も夏の補強で欠くことになると開幕前には想像できなかったが、山﨑も大﨑同様に移籍を決断。もちろんのことながら2つ返事で決断したわけではない。

山﨑自身に移籍の経緯と心境を尋ねた内容をインタビュー形式で掲載したい。

――オファー時期や意図は?
第20節・山形戦(2●3)後に正式なオファーをいただきました。特に昨年の後半戦から今年にかけての自分を評価していただいたと聞いています。去年対戦した中で徳島のサッカーと湘南のサッカーが似ているというか、アグレッシブに攻守に前へという点を、チームとしても個人としても評価してくれていました。その中で僕が戦力として湘南でマッチできるんじゃないかと話していただきました。

16年、加入会見挨拶の様子

――決断した最も大きな理由は?
(プロ初年度)鳥栖でJ1の舞台でやってきて、その舞台にもう一度早く立ちたいと思っていた中で、そのチャンスをいただいて挑戦したいという気持ちが強かったことです。

――チームメイト、強化部、監督とは、どういう話をした?
(強化部長の)岡田さん、社長、監督含め、残って欲しいという思いをすごく伝えられました。僕自身もすごく悩みましたし、「君の力が必要だ」とすごく言ってくださいました。ただ、その中でも「決めるのは凌吾」と尊重してくれました。選手にはキャプテンの(岩尾)憲くん、副キャプテンであり、色々な人に相談しました。

――シーズン途中に離れなければならない点についてどう考えた?
そこが最も悩んだことです。僕自身、強い思いや決意を持ってシーズンをスタートしました。その中で結果が出ず、自分自身に不甲斐ないと思っていました。出て行くことに対して申し訳ない気持ちがあり、同時にいつチャンスがくるかわからない中でJ1にチャレンジしたい気持ちも強く、色々と考えた中で決めました。

第21節・大分戦(3○0)、岩尾憲の先制点に駆け寄る

――第21節・大分戦(3○0)がラストマッチであることはチーム内ではわかっていたこと。得点後に監督のもとへ真っ先に向かった気持ちは?
監督から試合前に「最後にふさわしい姿をみせて行きなさい」と言われていました。選手のみんなからは「最後にゴールを決めて置き土産していってくれよ」と言ってくれて、それが実現できて監督のところへ走っていました。

――16年に期限付き移籍を機に徳島へ加入。この約2年半をどう振り返る?
鳥栖で出場できずに徳島にお話をいただきましたが、徳島に来ていなければ再びJ1の舞台を踏めることはなかったと自分の中ですごく思っています。徳島に来て本当に成長できたと自分自身感じています。監督にも恵まれて、ちょーさん(長島裕明 前監督※現・岐阜ヘッドコーチ)、リカルドのもとで自分がいままでできなかったプレーもできるようになりました。徳島には本当に感謝しきれません。次の舞台で活躍することが恩返しだと思っています。

第21節・大分戦直前、バスを降りて頭を深々と下げる

――ラストマッチとなった大分戦直前、バスを降りた直後にファン・サポーターに向かって深々と頭を下げた。それは特別な思いがあったから?
感謝しきれない気持ちがありました。バスに乗っているときから最後の試合だと思って移動していました。そして、自然と頭を下げていました。

――試合後、ゴール裏で勝利後の挨拶を誰がするかという場面があった。チームメイトから山﨑選手が「行け」という雰囲気になったが、あのときはどう思った?
選手たちからは「最後だから」って言ってくれましたけど、正直何を言えばいいのか悩みました。

――そのときに岩尾憲選手が側につき、2人で何かを話していたように見えた。何を言われた?
あのとき感極まっていていて、グッと堪えていました。なので、挨拶は僕じゃなくて大丈夫ですと思っていました。でも、憲くんが「俺が横に居るから、ちゃんと挨拶をして終わればいいんじゃないか」と言ってくれました。

――チームもそうだが、いいキャプテンにも出会えたのでは?
同時期に入団して、それからキャプテンになって、責任感が強くて、憲くんだから任せられるプレーがあって、人間的にも大きな人でした。信頼していました。ピッチの中では質の高いパスであり、プレーの要求があって、自分自身のプレーの幅が広がったと思います。この移籍に関して憲くんにもしっかり相談して、後押ししていただきました。

――これから行く湘南も成長できる地だと思う。それは湘南、そして曺貴裁監督のもとで育った岩尾選手という存在が、いま徳島でどんな存在なのかを考えれば容易に想像できる。
憲くんも「必ず成長できる」と言ってくれました。自分も湘南に行って、もう1つ2つ成長できると思っています。

――ゴール裏での最後の挨拶、徳島は「こんなものじゃないので」と引き続き後押しを願う内容だった。移籍リリースがされていない中で伝えられる言葉、伝えられない言葉があったと思う。あの言葉にはどんな意味がこもっていた?
チームメイトの能力の高さは僕自身がよくわかっています。いまの順位にいるチームでもないと思っています。徳島でプレーしてきて、もっともっと上を目指さなければいけないと思いましたし、それを言葉にしました。

 

 

――これは厳しい質問かもしれないが、クラブ発行・会報誌のインタビューで「自分がJ1に上げる」と言葉にした。当然、そのとき、その言葉に迷いはなかったと思う。ただ、それについて、いまどう思う?
その気持ちを言葉にするのは、すごく難しいです。本当に思っていました。プレシーズンからずっと。その思いを背負ってやってきたのは本当ですし、その強い気持ちを持ってシーズンを過ごしていました。湘南からオファーをいただいた際も、自分がそういった発言をしたことも感じていましたし、チームの中心であることも自覚していました。なので、本当にいいのかという葛藤もありました。でも、こういうチャンスが次もあるかどうかわからない中、チャレンジしたいという気持ちが上回りました。

――勝手な推測だが、決断の根幹にあるのは同会報誌の中で、今後の夢について「公言はしませんが、大きな夢を持っています」という部分に理由があったのではないか?
おっしゃられた通り、大きな目標があります。(これまで公言していなかった思いとして)本当に日の丸をつけたいと思いながらサッカーをしています。徳島で成長してきた中で湘南からオファーをいただいて、その目標に向かってチャレンジせざるを得なかったです。

試合後恒例のタオルまわし

山﨑にとってこの移籍は、夢を目標に変えようとする覚悟だったのだろう。「もっともっと成長していかなければ上ではやっていけない」。それは山﨑自身が誰よりもわかっている。今年の9月に26歳を迎える。いまを、人生を懸けるチャンスと決断した。徳島は選手獲得する要素として「野心」という言葉を大切にしているが、山﨑はその「野心」を胸に抱いていま旅立とうとしている。

「ファン・サポーターの皆様には、どんなときでも応援してもらって、勇気をいただきました。まずは結果を残すしかないと僕は思っています。そこにすべてを懸けたい。感謝しかありません」

最後に、上記の動画データを餞別として山﨑凌吾に預けた。この光景と「本当に大好きだった」と言うチャントを胸に抱き、前進して欲しい。

reported by 柏原敏

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