ヴォルティススタジアム

井筒陸也、引退。新たなステージへ。

徳島の方々に知ってもらいたい3年間。
自分の人生に向き合えた時間。

――徳島でプロになったきっかけをあらためて聞かせてください。
どうしようか考えているときは、すごく不安でした。出場できないかもしれない。けがをするかもしれない。出場したとしてもその後に何があるのかとかも含めて。でも、いろんな人に話を聞いていくといろんな人生がありました。あえて大企業に就職しないことを選ぶ人もたくさんいますし、独自の道を行ってめちゃくちゃ楽しんでいる人もいます。そこで当たり前のレールに乗る必要はないと思ったのがまず一番のきっかけです。あとは単純にオファーを一番最初に出してくれたのが徳島ヴォルティスで、それは本当にありがたい話でした。僕に選択肢を与えてくれるクラブがあったからこそ、人生についてめちゃくちゃ考えるきっかけになりました。周りのみんなが同じように就活して、内定や給料や福利厚生がどうのこうの話している間に自分は人生についてかなり考えることができました。人生について本当に考えた唯一のタイミングだったと思います。めちゃくちゃありがたかったです。

――プロ入り後の生活はいかがでしたか?
いま思うとプロ初年度は自分自身に惑わされていました。弱かったなって思います。「試合に出場しないと何もない」という考えに踊らされていたと思います。とはいえ、一人のサッカープレイヤーとして何かを表現することは言葉より先にまずは自分のプレーがあるはずです。その先に抽象的ですけどブログを書いてみたことや、これから先に進む会社で働くことであったりと段階的に物事があると思います。ただ、その一番最初の段階にあたる「現場ではどうなのか?」というところでプロ初年度の自分は何もできていませんでした。先ほど話した表現を使えば「現場でスライディングできていなかった」から試合に出場できていなかったのだろうし、何かを語る価値もなかったと純粋に思います。そんな中でも自分が3年間、Jリーガーナイズされずにやってこれた理由があります。
それは自分という人間を肯定してくれる味方が結構いたからです。それは出場している、出場していないに関わらず、自分の考えていることや思っていることを「面白い」って言ってくれたり、共感してくれる人が周りに沢山いました。それを一番わかりやすく感じさせてくれたのがサポーターでした。試合の日にはベンチ外の選手がサイン会をしたりしますけど、僕は2・3回やったと思います。でも、そんな自分のサインですら並んでくれました。そういうできごとで自分の気持ちがどうこうなるタイプではないと思っていますけど、そのときは素直に「申し訳ない」って思いました。でも、いま思えばそういう方々がいたからこそ、そのままの自分の姿でいられたって思います。

――徳島の方々が、「いい意味でほおっておいてくれたことに感謝している」と言っていました。その意味を聞かせてください。
僕、結構エゴサーチするんですけど(笑)。自分がどう言われているかどうかをよく見ています。自分から情報発信するようになって賛否両論ありましたが、実際に会う人はたとえ共感してくれていなかったとしても「面白い」って言ってくれました。ネット上にあるどうこういう意見よりも、実際に声をかけてくれてリアルを感じさせてくれたのが徳島の人たちでした。それはサポーターだけではなく、スタッフやフロントなどの人もそうでした。例えば、さこさん(前迫分析コーチ)、小幡(通訳)、山口くん(広報)、かっしー(記者)、コーチやアカデミーコーチ、羽地さん、倉貫さん、柘植さん、呉屋、竜士(杉本)、憲くん(岩尾)。他にも徹くん(長谷川)みたいなやつでも面白いって言ってくれました。

――徹くん“みたいなやつ”で表現いい?(笑)
いいです。ぜひ、そのままお願いします(笑)。他にもクリーニング屋のおばちゃんとか、飯屋のおっちゃんおばちゃん、英会話の先生、挙げたらきりがないですけど、いろんな人が興味を示してくれていました。「意味わかんないですけど読んでます(笑)」「長いけど読んでます(笑)」とか、どんな内容でも身近なひとたちの反応が本当に嬉しかったです。
だからこそ次の挑戦に関しても、この挑戦を面白いって思ってくれる人がいるって信じていますし、自分の言いたかったことを次の舞台で証明したり実証したいです。そのときに「井筒の言いたかったことってこういうことだったんだ」ってあらためて感じてもらって、その人たちに勇気を与えたいというか、そういうことも大事なんやなって思って欲しいなって思っています。

気付けば徳島県の人に支えられていた日々。

――引退について何を伝えたいですか?
徳島という地で過ごせたからこそ、安心して引退できるって思っています。周りの人はずっと声をかけてくれて、賛否がある発言をしたときでも「井筒先生!」なんて呼んでくれる人もいたりして(笑)。変な表現ですけど、いい意味でほおっておいてくれました。いろんな行動ができたのも「この街の人や徳島のサポーターならわかってくれる」って思えていたからです。
シーズン後には謝恩会で話をしたり、徳島の方と飲みに行ったりする機会がありましたが、「自分のこれから進む先の話を直接伝えておきたい!」と思った人が予想以上に多いことにも気付きました。自分の人生を振り返るとマイノリティーで、どちらかというと友達や味方が少ないけど気にせず孤独に淡々とやっていくみたいな感じでした。でも、意外とそんなことないんだなって。自分ってめちゃくちゃ支えられて生きていていて「孤独ブランディングって上手くいってないんやな(笑)」って気づきました。シーズンを終えて実家に帰ったときに「オカン。俺、全然孤独じゃなかった」って言ったら「そうなん?」って言われました(笑)。オカンに言ったというよりは、自分がただ言いたかっただけなんかな。オカンは何のこっちゃわかってなかったでしょうけど「俺、やってるよ!」っていうのを言いたかったんだと思います。その証拠に、実家に帰って開口一番その話をしていましたから。

――徳島県の人間になることができましたか?
最初はたぶん徳島ヴォルティスの選手っていうだけで応援してもらっていたと思います。でも、途中から「そうじゃないんだな」ってすごく感じるようになりました。僕は長引いてしまっているんですよ、徳島のせいで。もう少しサッと切り上げられるはずだったのに、徳島が楽しいから長引いてしまっています。本当に。

この決断も、1つの線上。

――最後に何か伝えたいことはありますか?
Jリーガーという肩書きがあって、ある程度のお金もありました。その中で「あーだ、こーだ」とマウントを取るようなポジションから好き勝手に言ってきました。でも、それがいまの自分の限界で「偉そうに言っているな」って聞こえてしまって共感してもらえなかった人たちもいたと思います。その居心地の悪さは自分自身で感じていましたし、もっとチャレンジしないと世界は変わらないって思いました。だから、これから週5は会社で働いて、仕事後に水・金曜の夜は社会人選手として練習に行って、土・日曜は練習または試合という環境に身を投じて、ほぼ休みなく動き続けていきます。めちゃくちゃキツイですし、お金も減ると思います。でも、何かを取捨選択しないと1つの目的は成し遂げられないと思っています。「苦しまずして得られるものは大したものではない。自分が苦しまずして得られたものは誰でも得られるもの。それは、しょうもない。苦しんで苦しんで、ギリギリ手に入れられるかどうかのものに挑戦していかなければ意味がない」ってすごく思います。
それは例えば日本代表になりたいという目標であっても物凄い苦しみが伴うと思います。いまから自分が選んだ道で仮説と実証を繰り返していくことも物凄い苦しみが伴うと思います。どっちに身を置いていても苦しいことに変わりはありません。でも、自分の中でどちらの苦しみが知的好奇心を持ちながらトライできるのか。あとは、人との差分。みんな同じことを目指していることなのか、自分だけがその重要性に気づいて目指していることなのか。そこで希少性の高い方が興奮するし、興奮するから知的好奇心も沸きます。だから、これからチャレンジすることの方が自分の中で面白くなってしまって決断に至りました。僕はそういう形で進むので見守っていただきたいです。

――シンプルに怖くはないですか?
他人と違うことをするのがリスクなのか、他人と同じことをするのがリスクなのか。何をもって「失敗」と言うのかわからないですけど、僕が何も成し遂げられなかったときに「点」で捉えれば失敗したか成功したかのどちらかです。でも、大切なのは「点」だけではなく、そこに至るまでの「線」。結果も含めた、道筋が大事だと思っています。
確かに最終的な点だけを見て「成功しなければ駄目」となると怖いです。でも、そこを目指している途中の線がどうなのかというのは常に自分次第です。100パーセントでチャレンジできているかどうかは、本当に自分次第。時代や周りからの評価に依存することはありません。この線を面白いものにしておけば、1つの目標地点は無数にある点の最後の1つでしかなくなります。これは自分のこれまでの生き方とのコジツケでもありますけど、中学時代からずっと引退を同時に考えながらやってきて「この経験が何に生きるんや?」ってずっと向き合ってきたからこそ自信があります。「いまはサッカーでやっていることだけど、これは絶対に社会でも生かせる」。そんなことを常に考えながら生きてきました。だから、この次のチャレンジが仮に上手くいかなかったとしても、チャレンジした線を次の何かに絶対生かせられるという自信がめちゃくちゃあります。
でも、絶対にキツイんやろうな(笑)。それは、いまからわかっていますよ。



【取材後記】
忘年会と送別会を兼ねて飲みに出る前に、井筒の暮らしたマンションにも立ち寄った。噂に違わず「何これ?」って思うような本が山ほどあり、その本には無数の付箋が貼ってあった。ぜひとも「女性を口説くための決め台詞に転用できる言葉であれ」と期待したが、その期待は外れた。どのページもガチ中のガチ。何やら難しそうな内容ばかりだった。

「総括すると・・・。結婚、遅そうやな(笑)」(柏原)
「やかましいわ!」(井筒)

新宿5.5畳からの再スタート。
オデコに手を当てて「行ってきます」の敬礼ポーズ。

It’s a piece of cake.
かぺ。

reported by 柏原敏

前のページ

1 2
« 次の記事
前の記事 »

ページ先頭へ