ヴォルティススタジアム

岩尾憲、最後のインタビュー。

当然ながら徳島ヴォルティスは全身全霊で慰留した。だが、それでも岩尾憲は決断した。徳島を去り、新たなスタートを切ることを。

聞き手/柏原 敏

徳島で6年間という時間を過ごし、その一瞬一瞬が自分のためでもあり、チームのため、クラブのためでもありました。その前提がある中で進んできたことに間違いはなかったと思います。言葉が正しいかどうかわかりませんが「胸を張って出ていける」という気持ちでいます。なのでネガティブな気持ちで(続きを)読んで欲しくはないと思っています。

――移籍の噂がニュースになり、今回ばかりは本当に出ていくと感じました。最終節の挨拶が一人称ではなかった時点で、岩尾憲が去る可能性を覚悟しました。

最終節を迎える時点でオファー自体はいただいていました。ただ、決まってはいなかったですし、決めてもいなかったです。でも、自分の中で「ここが区切りかな」と、そんな風には感じました。それは降格した事実もあったかもしれませんが、それだけではなくキャプテンとして「このクラブを何とか良くしていきたい」という思いで5年間やってきた中で、組織も人間の細胞と一緒で生まれ変わらなければいけないときもあると感じていた部分があったからです。しっかりとした軸で生まれ変わることができれば、必ず前進できると思っています。自分がキャプテンをやり続けることはある意味で簡単かもしれません。ただ、それはクラブにとっていいのかどうか。そして、自分自身にとってもいいのかどうか。これまでとは異なる感覚を抱きました。

――クラブと自分の未来を両側面で同時に考えられる選手であることは理解しています。ただ、岩尾選手自身の人生に対し、最終的にどうしたいという気持ちがあったから決断したのか。そこも聞かせて欲しいです。

ひとつは時間の使い方です。年齢的に選手生命が長くないという時間の立ち位置にいる中で、キャプテンをするしないは別として、徳島でプレーを続けるのか、それとも場所もチャレンジする目的も変えた中で時間を使うのかなど、いろんなことを考えました。もうひとつは、いまの僕には「できるだけ親の側でいたい」という考えもありました。2021年は、そう痛感した一年でもあったので。そういったことも含めて考えながら、縁を感じた部分もありましたし、ここがタイミングなのかもしれないと思いました。

――当然ながらクラブからは慰留がありましたよね?

キャプテンは置いておいたとしても、引き続き力を貸して欲しいと言っていただきました。僕をいちプレイヤーとしても必要としていただきましたし、この先も徳島の文化を作る手助けをして欲しいという話もいただきました。契約についても、価値のある選手であると評価してくださっていると感じられるオファーの内容でした。なので、リスペクトは多分に感じていました。

――徳島に加入し、いろんな目的を達成するためにもJ1挑戦に大きな意味を持って臨まれていました。1年での降格にはなりましたが、2021シーズンを振り返るとどんな感想をお持ちですか?

僕らにとっては非常に難しいイレギュラーなシーズンでした。残念ながら、結果として降格になりました。ただ、チームのためにどうすべきなのかを常に考えてアクションを起こしてきましたし、そこに対しての後悔もありません。全力で走った結果でも、そのラインには届かなかった。個人的にはそう受け止めています。

――近年活躍した主力選手の多くがチームを離れる今オフの現状ですが、クラブとして時間が止まることはありません。そして、同時に引き続き徳島の地で頑張ると決断された選手も多くいます。移籍について全選手に直接報告できているわけではないと思いますが、2022シーズンも徳島で戦うチームメイトに伝えたいことはありますか?

クラブの長い歴史をすべて見てこられたわけではありませんが、少なくとも在籍した6年間では多くの変化を感じられました。サポーターの方々の人数、拍手が起きるタイミング、いろんなことが良い方向に進んでいると感じています。来季も徳島でプレーするみんなには引き続き徳島らしさを。そして、自分自身の特徴、自分らしさを表現しながら徳島のスタイルを表現していって欲しいと思っています。そうすればサポーターの方々にも喜んでいただけると思いますし、結果も伴えばクラブとして大きく前進するきっかけにもなるはずです。僕は当事者ではなくなりますが、そう願っています。

――「自分らしさ」という言葉があったので、この場を借りて布石を打ちます。5年間キャプテンとして、いろんな活躍をされました。その功績があるからこそ、次にキャプテンマークを巻く選手に対しても岩尾選手の面影を重ねたい方は多くいると思います。でも、記者の私はそんな必要まったくないと思っていますし、真似もしなくていいと思っています。新キャプテンには「自分らしさ」で頑張ってくれればいいと思っています。現キャプテンから次期キャプテンへ、申し送り事項はありますか?

自分の後を次いで欲しいという思いはまったくありません。そして、キャプテンの在り方も世の中に正解があるわけではありません。自分のことを振り返ると「キャプテンとは本来こうあるものだ」と思っていたものに近づこうとしましたが、その自分で思う理想に対して僕には力が足りませんでした。そう理解してからは、いろんなキャプテンやリーダーと呼ばれる方々について勉強するようになりました。そのおかげで現在の人格が作られたと感じています。ただ、それは僕の見つけた方法で、誰が任されるとしても自分の思うキャプテンマークの意味を表現できればそれでいいと思います。その表現方法はプレーだけでもいいでしょうし、声をかけるモチベーターでもいいでしょうし、何でもいいです。極端に言えば、そういうことが無くてもいいです。その人なりの、ありのままの姿でやってもらえればそれでいいです。つま先立ちする必要はありませんし、地に足を着けて「自分はこういう選手です」と表現できればいいと思っています。

――この6年間で印象に残っていることを項目ごとに聞かせてください。1つ目、チームについて。

どのシーズンを振り返っても、それぞれにストーリーがありました。1年という長い時間だと、本当にたくさんのことが起きます。いずれにせよ、どのシーズンも手を抜かずにやったという自負はあります。なので後悔はありません。上手く行かずに苦労した時期もありましたが、どのできごとも選手としても一人の人間としてもより成長したいと感じられた時間でした。だからこそ直ぐ行動にも移し、チームをより良くしようとする作業を続けられました。

個人的な部分で振り返るとマネージメント的な話が多くなってしまいますが、フットボールの側面では「ボールを大切にするスタイル」を築きながら、チームという側面では「徳島の選手としてというスタイル」を、両側面でブラッシュアップしてこられたと感じています。周りの方々がどう評価されるかわかりませんが、僕自身では「チームだな」と感じる場面が多々ありました。なので、素晴らしい時間でした。

――2つ目、クラブ(主にフロントという意味合い)について。

選手のことをリスペクトしてくれていて、話にもしっかりと耳を傾けてくれました。その上でクラブとしてどう進んで行くとか、良いディスカッションを繰り返しながら進んでこられたと感じています。仮に選手が意見を持っていたとしてもフロントの理解を得られなければ進められないことは多くあるわけなので、そういう意味でも現場に対してたくさんの協力をしてくださったことに感謝しています。


――3つ目、サポーターについて。

ほじくり返すのは嫌ですが、湘南戦の行為に関しては正直にそれがなければという気持ちがあります。コロナ禍になってからはオンラインミーティングをする時間をいただくなどして、例えばサポーターからの「スタイルやサッカー的な部分でよくわからないことがある」という質問に対して僕から「いまはこういう状況です」という説明をさせてもらったり、逆に僕の方から「もっとこういう風にしてもらえませんか」という提案をさせてもらったり、ゴール裏のサポーター団体を中心に非常に密なコミュニケーションを取らせていただいていました。だからこそ、お互いが進むべき方向に前進できた6年間だったと感じています。そして、ゴール裏の方々だけではなく、メインスタンド、バックスタンド、いろんな座席で後押しをしてくださった方々を見ても、非常に多くの方々がスタジアムに足を運んでくださるようになったと実感しています。カテゴリーが変わっても、サッカーの素晴らしさ、面白さ、楽しさ、その裏側にある苦しさは何も変わりません。これからもスタジアムに足を運んでもらって「徳島ヴォルティスをみんなで作っていく」というスタンスを大切にしながら一緒に進んで行って欲しいと思っています。

――湘南戦について「それがなければ」で言葉が濁りました。それがなければ何があったのですか?

それがなければ、彼らに対して、もっと本当にありがとうと言えました。僕が徳島に来たばかりのときは好ましくないことも多くありました。でも、時間とともに減っていると感じていましたし、もう無くなったものだとも思っていました。でも、まだそういうことがあったという事実に正直なところ少しガッカリしたというか、悩ましい気持ちは残ってしまいました。

――4つ目、徳島県について。

当初は慣れない土地での暮らしでしたが、地域の方々があたたかく迎え入れてくれました。そして、たくさんのサポートもしてくれました。例えば飲食店の方々は家族で足を運んでもいろいろな気を使ってくれたりして、地域の方々にも本当に感謝しています。最初は道もわからなかったですけど、いまでは裏道の土手も走りこなすくらいに頭の中に地図が入っています(笑)。とても住みやすい環境でしたし、自然も豊かで美しく、家族ともども落ち着いた時間の中で穏やかに生活させてもらいました。素晴らしい環境で6年間プレーさせてもらって感謝しています、本当に。

――覚えているかわからないですけど、水戸から徳島に移籍してきた際に水戸の記者サトタクさんから「自分の理想に対してあと何センチある?」と聞かれて「地球一周分です」と回答していました。徳島での6年間を経て、どれくらい進みましたか?

自分の理想自体が上がりましたね。あのときは「地球一周分です」と答えたかもしれませんが、いまは地球規模では測れません(笑)。まだまだ知らないことは多くて、サッカー的にも成長し、学ばなければいけないと感じさせられました。そして、2018年のように難しいことが起きたときに「結局は何もできませんでした」という状況を二度と作りたくはありませんし、もっともっと知らないことにも触れていかなければいけないと感じさせられました。そういう軸で考えていくと、もはや地球規模で距離を測ることは不可能かもしれないですね(笑)。この世には宇宙もあるので。

――「宇宙なう」の時事ネタも彷彿させますが、見える景色が広がったという意味でも岩尾選手の人生に影響を与えられた土地になったことを記者の私も徳島県民として光栄に思います。重複するかもしれませんが、これが本当に最後です。岩尾節を、岩尾ハラスメントを、もう一度だけ最後に聞かせてください。

6年間という長い年月を過ごした中で「このクラブが少しでも前進するように」、「もっと徳島県の人がJリーグやサッカーやヴォルティスに興味を持ってもらえるように」という思いでどうすればいいだろうかと考えながらプレーをしてきました。プレーだけではなく、いろんなアプローチもしてきたつもりです。「楽しめたよ」という方が一人でも多くいらっしゃれば嬉しいですし、逆に「何も変わってないじゃん!」という方がいらっしゃれば次はそう感じられた方が徳島というクラブを前進させる挑戦をして欲しいと感じています。

僕らは企業に属する人間でもあり、興行としてサッカーをやっているのが外向きの見え方です。ただ、サッカーの本質は「みんなで作っていくもの」という哲学が僕の中にはあります。W杯のときに日本中がみんなで日本を応援するように、Jリーグでは徳島に関わる方が全員で徳島ヴォルティスを応援するということを実現できると信じています。

もちろん、それを実現するためにやらなければいけないことはたくさんあります。選手はボールを蹴ることだけに留まらず、いろんなことに向き合うことも必要かもしれません。フロントスタッフの方々は、いままでやってきたことだけではなく、足し算や掛け算をしてどういう風にクラブの魅力を発信していくのかを常に問われていると思います。サポーターの方々はお金を支払っていただいて観戦いただくわけなので勝った負けたを楽しんでいただきたいという気持ちは当然ありますが、お金を支払っている支払っていないという階層の話ではない部分で、例えば「近所の人がヴォルティスにどうすれば興味を持ってくれるのだろう」ということを一人ひとりが考えて、行動も変わっていけば徳島を動かすきっかけになると信じています。

それぞれ異なる立場ではありますが、その一人ひとりがヴォルティスをどういう風に前に進めていくのか、どんなクラブにしていくのか、そういうことを考える楽しさも持ちながら街のみんなでヴォルティスにコミットして素晴らしいクラブ作りをこれからも続けて欲しいと願っています。

6年間、一人の人間として全力でやってきたことに嘘はありません。僕は徳島を離れます。でも、これからもずっと徳島のことを応援します。

岩尾 憲

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