青赤20倍!トーキョーたっぷり蹴球マガジン

無料記事 【レビュー】第92回 天皇杯全日本サッカー選手権大会 2回戦、FC東京対横河武蔵野FC戦(2012/09/12)

2012年9月9日 13:04キックオフ 味の素スタジアム
[入場者数]7,287人 [天候]晴、弱風、気温31.9度、湿度44% [ピッチ]全面良芝、乾燥[試合時間]90分 延長30分 PK戦
[マッチコミッショナー]山田正 [主審]吉田哲朗
<J1>FC東京0-1(0-0)横河武蔵野FC<東京都代表>
[得点]岩田啓佑(後半45+2分)※直接FK

ハーフタイム、わたしが飲食店の列に並ぶと、すぐ傍にいた横河武蔵野FC下部組織の若者たちが、上気した表情で「勝ちたいな」と熱っぽく語っていた。自分たちが意図したとおりに0-0でファーストハーフを終えた手応えを感じていたのだろう。その予感は的中した。

真っ正直に自分たちのスタイルを押し通す戦い方が多い日本で、時間帯ごとに戦い方を使い分ける、あるいは時間を使うサッカーは、比較的少数派となる。横河武蔵野FCは今季開幕後、6月、あるいは7月頃から、そうした時間を使う戦い方に変えてきた。リーグ戦に於けるスタイルの変化は天皇杯予選にあたる東京都サッカートーナメントの結果にも反映され、準決勝(対東京ヴェルディユース)、決勝(対東京23FC)、ともに延長0-0引き分けの末のPK戦勝利。横河武蔵野FCは東京都代表として、天皇杯本選のチケットを手にした。

最初の45分間を0-0で終えることはゲームプランどおり。横河武蔵野FCがそのように時間を使ったことで、勝率は少し上がっていた。

依田博樹監督、立花由貴コーチなど、複数の関係者の話を総合すると、セカンドハーフの終盤30分、40分まで「0-0」をつづけることで、何かが起きることを、彼らは狙っていたようだ。そうして実際に何かは起きた。

横河武蔵野FCは、これしかない、という戦い方を徹底してFC東京から勝利をもぎとった。オーガナイズはまったくぶれなかった。ひたすら、やるべき任務を遂行した。

無心であり、初心しかないということでもある、横河武蔵野FCの真摯さに東京は敗れた。あるいは、天皇杯を愉しむ純粋さに敗れた。

味の素スタジアムの入場門前にしつらえられた横河武蔵野FCのテントの周囲で、関係者やファンが高揚した気分を辺りに振りまいていたのを、東京ファンのみなさんも目撃したはずだ。その高揚感はアウエー側ゴール側からも発せられていたし、場内に伝播していた。アウエー用ユニフォームの色に合わせ、下部組織の選手たちもアウエー用に身を包み、スタンドを黄色に染めていた。クラブカラーの青と黄色を東京の青赤と比較した場合に、当然のことながら大きな差異として感じられるのは黄色だ。黄色がこの日の、横河武蔵野FCの象徴になっていた。

「横河まつり」。アウエー側に掲げられた、決戦用のダンマクのとおり、この試合はフィエスタになった。バックスタンドには「俺らの街からJへ」のダンマク。その、てらいのなさは、挑戦者の特権かもしれない。しかしその特権をきちんと行使したことに、この試合の価値がある。

東京都の予選を突破し、1回戦でグルージャ盛岡を倒したことで、横河武蔵野FCは「ノルマ」を果たしていた。ファン、サポーターが文句を言う状況ではまったくない。力強い後押しがありこそすれ、全力プレーを阻む要素は何ひとつなかった。

加えて、横河武蔵野FCは、天皇杯にはいい思い出がある。2009年、同様にアウエー環境で戦った対大分トリニータとの試合で惜敗はしたものの、横河武蔵野FCのファン、サポーターからこれ以上ないという声援を受け、高く評価された。そのときには、イレヴンは場内を一周したそうだ。

同じ光景が、今度はJ1クラブ相手の勝利をもって繰り返されるとは……。ちなみにそのとき、大分を率いていたのはランコ ポポヴィッチ監督だ。ポポヴィッチ監督は試合前、依田監督に挨拶し、抱擁したそうだが、そこには陽気な気質によるものという意味以外に、「手加減してくれよ」という気持ちがあったのかどうか?

昨年のJFLでは、ポポヴィッチ監督はFC町田ゼルビアを率いていた。横河武蔵野FCとFC町田ゼルビアの「南北多摩合戦」二巡目、ポポヴィッチ監督が指揮する町田は攻撃的なサッカーで試合の主導権を握っていたが、これを凌いだ横河武蔵野FCに、選手交替で流れを変えられ、引き分けに持ち込まれた。

依田監督には「ポポヴィッチ監督の能力を打ち消す能力」があるようだ。

その「打ち消し方」とはなんだったのか。FC東京はいかにして敗れたのか。

試合後の共同記者会見で、依田監督に「もう試合も終わったことなので、守備のポイントを教えてほしい」と訊いたところ、次のように答えられた。
「スペースを空けて飛び出され、一対一にされる場合には、やはり個々の能力が高いので。マークのずれを生じさせないように、わたしたちのほうでは、スペースを消したなかで人だけを見られるかたちをつくればいいと思っていました。

ふたつポイントがあったと思うんですけれども、ひとつは両サイドですね。相手の両サイドハーフ、両サイドバック。ここをスピードにのらせないということと、もうひとつは、ウチのディフェンスラインと中盤ラインのあいだ。後半は梶山選手が入ってきましたけれども、あそこのボールを入れられて前を向かれると、なんでもできてしまう状況になるので。そこのふたつ、ディフェンスの意識をもって臨もうとしました」

依田監督はファーストハーフを振り返り、前半は東京に長い動きがなく自分たちの守備陣が前後に動かされることがなかったという。スペースを埋めるだけでなく、数的有利/不利が同数になった場合はチャレンジしに行っていた。

ところがセカンドハーフは梶山陽平とルーカスの投入でドリブルや高さのファクターが加わり、つかまえにくくなった、そのような攻撃を最初からされていたら危なかったかもしれない、という。暑さによる運動量低下が東京の攻撃を鈍らせ、それに助けられたというのが、依田監督の率直な見方だった。

さらに会見ののち、選手たちに話を訊いたあと、依田監督と再び話した。この試合用のスペシャルな戦い方を決めるにあたり、依田監督は、自分の攻撃観がポポヴィッチ監督のパスをつなぐそれに近いことが、発想の役に立ったと言った。相手の身になって考え、自分がされたら嫌なことをする。

依田監督は難敵だ。わずか一週間の準備で5-4-1の布陣を整え、東京のよさを消してしまった。

具体的な落とし込み方は次のようなものだった。立花コーチは言う。

「まず一対一で勝てないだろうという基本的な考え方があり、対人で負けることも想定してふたり、三人で守るべく5バックにした。勝てる確率は10%から15%。0-0の時間を増やすことで10%の確率に近づけていく。後半40分まで0-0で行ったらわからない。選手交替も延長まで考えていた」

「(最後は)FC東京の選手は焦れていた。崩しきれずにシュートを撃ってきている感じだった。守らせたらウチは強い。ふだん対人トレーニングをこなしているから、選手には自信があったと思う」

「1トップは5秒、10秒でもいい、なるべく長い時間キープするというのを、意識的にやっていたと思う」

「勝つんだったらこれしかないと10人中9人は思う。その勝てる可能性にはめ込んでいくのを選手も理解して焦れずにやった。すごくみんな喜んでいる」

人数が整うまでスペースを埋め、同数以上になったらボールを奪いに行く。ボールを奪ったらサイドのスペースへ。東京の選手を振り切り、なるべく長い距離をゲインし、時間を使った。このプレーを黙々と繰り返した。

ルーカスと梶山のテクニックが巻き起こす波も、極度に高まった集中力で凌ぎ切った。

横河武蔵野FCは確かに弱者の戦術を行使していたが、それだけで勝てるほどサッカーは甘くない。FC東京の選手たちが不まじめにやっているようにも見えなかった。

つまり、東京に比べて横河武蔵野FCの選手たち個々のクオリティは下回るかもしれないが、対応した戦術をしっかりとこなす以上のよいプレーをしたから、彼らが勝ち、東京が敗れたのだ。

東京の選手には油断はなかったと思いたい。ポポヴィッチ監督も試合前「下のカテゴリーのチームは、そのあとリーグで5連敗しても格上のJクラブに勝ちたいと思ってくる」と、天皇杯特有のモチベーションがJFLのチームにあることをよく理解する発言をしていた。選手にもその理解度は伝わっていたはずだ。

それでも東京は敗れた。サッカーの勝敗は相対的なもの。東京が暑さに負けて多少運動量が落ちたのだとすれば、そのわずかなマイナス分と、この試合にかける意気込みという横河武蔵野FCのプラス分が実力差を縮め、正しい戦術を運用した横河武蔵野FCに、大きな勝利をもたらした。

石川直宏が言うように、カテゴリーがふたつ下の相手に敗れたこの試合からも得るものはある。東京イレヴンには、気落ちしすぎることなく、この敗戦を見つめてほしいと思う。読者の皆さまにも、後掲の選手、監督コメントと併せて読み、考えていただきたい。

いっぽう、横河武蔵野FCに携わるすべての人々には、おめでとうというほかはない。天皇杯三回戦以降も、東京都代表としてがんばってほしい。

まるで世界一になったかのような試合終了時の光景は、一生のうちでも、なかなか目撃できるものではない。

この日の観客は日本サッカー史に残る、貴重な瞬間の証人だ。


今日も青赤な飛田給前


味スタ前横河テント


横河の旗

« 次の記事
前の記事 »

ページ先頭へ