【コラム】ストーリー「塩田仁史がFC東京を愛する理由、FC東京に愛される理由」[3,375文字](2013/01/16)
◆塩田仁史がFC東京を愛する理由、FC東京に愛される理由
FC東京がJ1に昇格した初年度は、まるでJFLのメンバーがそっくりそのままやってきたかのような選手たちがピッチ上を躍動していた。
東京ガスFCの時代からプレーしている選手たちには、このFC東京というクラブに自分が帰属すべき理由があり、ファン、サポーターが彼らを愛する理由も明確にあった。
近年は大学経由も含めてFC東京U-18出身の選手が多数加入するようになった。彼らもまた、FC東京の下部組織から育ってきたからファン、サポーターには「ウチの子」として扱われるし、選手たちもFC東京を自分たちの家として愛している。
ではその中間の世代は?
すなわち大学や高校から新卒で新人として加入するか、他クラブからの移籍で加入し、東京ガスに関係のない「純粋にFC東京の第一世代」とみなされた選手たちがこのクラブのファンに愛され、このクラブを愛する理由はどこにあるのだろうか。
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1月16日、FC東京公式サイトで塩田仁史の契約合意が発表された。
2004年、流通経済大学からFC東京に入団した塩田仁史は、ことし2014年に33歳を迎える。東京ひと筋に生きてきて11年めのプロ生活になる。
「10年間このチームにいて、長くこのクラブにかかわっている人は、自分の状況をよくわかっていて、けがをしたり病気になったことも踏まえて、いつでも応援してくれた」
塩田さん、なぜあなたは、FC東京のファン、サポーターに愛されるのか、思い当たるところがあれば教えてください――そう訊ねると、塩田は言葉を探すように、ぽつりぽつりと話し始める。
「昔から(先発メンバーに入らず)ゲームに出られないときには、途中から出た試合、たまに出た試合で、すごく声援を送ってくれた。
土肥(洋一)さんがヴェルディに行って最初の年ダービーをやったとき(2008年4月12日J1第6節対東京ヴェルディ戦、味の素スタジアム)くらいから、よくサポーターのところに行くようになりました。フミさん(三浦文丈)が引退するときにも一回行ったことがあって。(習慣は)その頃からいまもつづいていますけれども、初めて出向いたときにもすごく声援をくれたんです。
ヴェルディ戦は(長友)佑都の最後のあれ(89分、オウンゴールに判定された決勝ゴール)で劇的に勝てたからよけいに印象深く思い出に残っています。そういうことがあり、この10年間いっしょに歩んできた。
おれ自身もハタチそこそこの子どもでしたけれど、それが10年積み重なり、いま30を超えて、こうやってまた味スタでサポーターと(喜びや悲しみを)分かち合えるのはすばらしいことだと思っています。そういったところも含めてサポーターの人たちは声援を送ってくれているのかなと思います」
塩田のプロに於けるキャリアは常に光と影、栄光と挫折が紙一重で同居していた。
2004年のルーキーイヤー。アジアカップに日本代表として土肥洋一が招集されているその裏で、FC東京はスペインへと遠征していた。塩田は遠征チームの「正キーパー」。ロイ・マカーイの斜めから撃ってくるシュートはすごいですよね――そう言って眼を輝かせながら臨んだ試合で、塩田はR.C.デポルティーボ・デ・ラ・コルーニャを倒す大金星の立役者となった。
この海外遠征でヨーロッパのスピード感覚を獲得した東京は質の高いサッカーを維持、ナビスコカップを勝ち進み、優勝。塩田は初のメジャータイトル獲得に貢献した。
しかし決勝戦でピッチに立ったのは土肥だった。
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