【新体制/コラム】ストーリー/圍謙太朗「窮地を救った母の言葉」[4,114文字](2013/01/21)
◆ストーリー 窮地を救った母の言葉
新体制発表記者会見ののちに、新加入選手六名の囲み取材をおこなった。最後は圍謙太朗。その囲みが終わってなお、わたしを含め、三人の記者が圍の周りに残った。
「延長戦」は圍の足を見ての素朴なやりとりから始まった。
「大きいねぇ。何センチあるの」
「29センチですね」
話は高校時代の苦悩へと移る。
囲み取材で「精神的にも病むことが多かった」と圍謙太朗が言ったことが引っかかっていた。ただの比喩ではないのではないか。
しかしそれは真実だった。
「サッカーを止めようというより前に、死のうと思っていました」
高校二年生のときのことだった。
死のうか――思いつめた圍を踏みとどまらせたのは、両親(父・泰一朗さん、母・千加子さん)と高校時代のゴールキーパーコーチの言葉だった。
ご両親や高校時代のGKコーチの方は具体的にどんなことをおっしゃられたんですか。
そうわたしが訊くと、圍は次のように答えた。
「母親に、ほんとうに死にたい、と言ったんですよ。母は、じゃあ死になさい、と」
もちろん、母の言葉には、そのあとに「ただし」がついた。
「死にたければ死になさい。ただし、あなたが死んだら周りはあなた以上に苦しい思いをする。それでもいいなら死ねばいい」
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大津高校でベンチ外に甘んじている高校二年生のときだった。身体にいくつかの異常な症状があらわれるようになった。原因はストレスしか考えられない。
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