【オフ企画第二弾/最終回】羽生直剛で振り返る2014年/05「トータルでチームのために働かなければぼくの存在する意味はない」(2015/01/02)
シーズン半ばからインサイドハーフで多くの出場機会を得た羽生直剛選手にフォーカスし、2014年を振り返るオフ企画第二弾の最終回。
とどのつまり、羽生選手がマッシモ フィッカデンティ監督に認められた最大の要因はなんだったのか。その答えには、チーム力を高めたり維持したりする秘訣、サッカーとは何かを考える材料が潜んでいるように思えます。
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◆羽生直剛で振り返る2014年/05「トータルでチームのために働かなければぼくの存在する意味はない」
2014年を振り返ると、外国籍選手はエドゥー、マテウス、カク ヒジュ、カニーニの4人で、エドゥー以外はいずれもディフェンダーだった。
攻撃的な中盤の新戦力は、梶山陽平と羽生直剛の「復帰組」、前半戦はカターレ富山へと修行の旅に出ていたU-21日本代表の中島翔哉、そして高校三年生の佐々木渉のみ。
佐々木は味の素スタジアムに於けるJ1第25節対徳島ヴォルティス戦に3分間+アディショナルタイムの出場を記録したが、これには「体験学習」の要素が含まれているだろう。まだ二種登録の新人を潰すことなどありえない。
中島は選手層が薄い時期に復帰して貴重なメンバーとなったが、第22節対鹿島アントラーズ戦で途中出場してから5試合95分間の出場にとどまった。初先発は第33節。来シーズンに向けて自らを成長させながらチームにフィットしていく一年だった。
梶山にしても初ベンチ入りは第22節、今シーズンの初出場は中島より一試合遅い9月13日の第23節対ヴィッセル神戸戦だった。7試合214分間。ボールを保持する力と攻撃を創造する力を示したが、本格的に戦力たりえてきたのは最後の二試合、第33節と第34節だ。
つまり中盤の補強は羽生だけだった。中盤に何かを足せるとすれば、羽生だけだった。
その羽生にしても、コンディションを上げながらチームで認められる過程を踏んでようやくシーズン半ばに先発メンバーの常連となったのだから、即戦力の補強はそもそもなかったのだ。
羽生にしても、もともと東京にいて他クラブに期限付き移籍していた選手で、まったくの新戦力ではない。
今シーズンの東京は、マッシモ フィッカデンティ監督が言うように「これまで出場していなかった選手」「若い選手」を鍛えて戦力にしていきながら、戦い方を浸透させていった。フランク・ランパード級の選手をふたり足してどうにかしようという発想ではない。
2001年の東京ヴェルディは降格寸前の終盤戦にエヂムンドを補強して急場をしのいだが、それによって10年のスパンでチーム力を維持することはできなかった。
しかしだからといって、反対の概念が正解である、とは言い切れない。若手育成型のチームづくりにもリスクはつきまとう。実際、2014年の東京は、ワールドカップによる中断期間まで、降格圏内に転落しかねない状況だった。
そこで羽生がチームのためにと献身的な姿勢をとったことは、必然だったろう。
「夏の頃は残留争いに巻き込まれかねないという気持ちも少しあり、チームとして“このままじゃまずい”と思いました。再開明けの何試合かで見えてくるものがある、中断明けの試合は誰が出ても大事だと思っていましたし、そこでしっかりプレーできなかったら、勝点を得られなかったら、これはやばいぞと思ったから。活性化させるために危機感を持とうと、みんなで意思統一を図ろうと意識して。
自分が出る出ないというよりは、チームをいかにまとめていくかということのほうが大きかったんです。
ただ、そのなかで自分がチャンスをもらった。
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