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【有料記事】高橋秀人、移籍の深層<29歳の決断>(2017/01/01)

進路を定めた高橋秀人の眼には覇気が宿っていた。写真は2016年12月17日の練習試合vs.流通経済大学戦。

進路を定めた高橋秀人の眼には覇気が宿っていた。写真は2016年12月17日の練習試合vs.流通経済大学戦。

2016年12月28日、高橋秀人がヴィッセル神戸へと移籍することが正式に発表された。FC東京が作成したリリースには、完全移籍を決断した理由や現在の心境が記されている。事実を知るに十分な情報であり、真摯な報告であると思う。
公式としては異例の熱く、長いコメント。しかし、これでもまだ言い足りないのかもしれない。高橋はただたんに出場機会が減少したからより容易に試合に出られる移籍先を得ようと新天地を求めたのでもなければ、クラブへの不満を抱えたまま東京を去ろうと考えたわけでもない。東京に加入する前から現在にいたる自身の変遷を踏まえ、そしてクラブの未来を考え、よりよい選択をしたまでだ。しかし、そうした心情の機微は、かぎられた紙数では伝わりにくい。

「クラブの批判はしないでほしい。結果としてクラブと異なる路を歩んでいくことになったけれど、みんなにはこれからも高橋秀人を応援してほしいし、いままで以上にFC東京を応援してほしい」
高橋はこう言っていた。
今回の移籍が高橋と東京の合意によりなされたものであることを、より深く理解していただければと思い、シーズンの終わりを迎える前までに、幾度か折に触れ聞いていた彼の気持ちを、ここに語り下ろしの形式で急ぎ編み直し、お届けしたい。
特別指定選手の大学生だった彼がFC東京の9年間で少しだけおとなになり、いよいよ外の世界に巣立つときが来た。そんな感慨に襲われる。

◆神戸への移籍を決断した理由

最初にオファーをくれたヴィッセル神戸と、所属しているFC東京のふたつに絞り、それ以外の話が来る前に考えました。神戸は「自分たちには君が必要だ」と言葉で訴えてくれましたし、契約内容にもそれを反映してくれた。仮に、ほかに移籍のオファーがあったとしても、これ以上はないだろうという条件を示してもらったんです。
人間性とかではなく、プレーヤーとして見てくれたことは、決断をするうえで大きな理由になりました。

(東京学芸大学在学中に特別指定選手として参加したのち)長期の契約を結び、2010年に正式に東京へと加入しました。その後、レッズ戦で骨折した(※2010年9月12日開催/J1第22節「FC東京vs.浦和レッズ」/味の素スタジアム。診断は左腓骨不全骨折 左下腿打撲)タイミングでプロC契約からプロA契約へと移行すると同時に契約期間を延長したこともあり、以前は東京での選手生活をまっとうするつもりで、移籍を考えたことがなかったんですよ。権ちゃん(権田修一、現SVホルン)とも常々「FC東京以外の日本国内のクラブでプレーしたいと思わないよね」と、東京を離れて日本代表に招集されているときなどに話し合っていました。権ちゃんは海外に行ってしまいましたけど、国内移籍はないだろう、と。

加入して2年め、東京がJ2だった2011年からレギュラーで試合に出させてもらうようになりました。苦しかった時期からクラブが発展していく過程を見てきて、それが自分自身の成長と一致していたから、すごく思い入れがある。言うなれば、フジさん(藤山竜仁、2016シーズンはFC東京U-15深川コーチ)のように、東京で現役生活をやり遂げられればと思っていたけれど……。

マッシモ フィッカデンティ監督体制の一年め、2014シーズンが終わったときに浦和レッズからのオファーがありました。金額的にも内容的にもすばらしいもので、格も成績も、スペインに喩えるならレアルやバルサといった感のある、日本一と言われるクラブからの打診だった。きちんと話をしなければならないと思いました。
最初は断るつもりで交渉のテーブルに着いたんですけれども、話に耳を傾けるうち、ACLに出たりJ1優勝を狙える位置にいて、なにより自分を欲してくれるクラブに行くのは悪い話ではないと思うようにもなりました。
でも、返答までの期限がやや短かったり、個人的には結婚式が迫っている事情があったりと、熟慮する時間が少々足りず、なかなか決断を下せなかった。そもそも、東京自体、あと一、二年でJ1で優勝する、あるいはトップ・オブ・トップのところ、たとえば3位以内に入れるくらいの潜在能力があると思っていたから、やはり東京しかないと、浦和のオファーを断りました。

2015シーズンは最後の最後で3位にぎりぎり手が届かなかったけれど、内容はよかったし歴代最高の勝点も得ていた。自分自身についてもサッカー選手として成長したと思うし、クラブも、絶対にあの3位を獲らないといけなかったけど、天皇杯優勝チームがJ1年間3位のガンバ大阪になったことで、繰り上げで東京がACLにプレーオフから出場できることになったし、これから先も2年、3年と、東京でやりたい、と思いました。ACLのタイトルを狙いたいし、J1も4位まで行ったのだから3位だ2位だと。
ところが、浦和からのオファーを断ったのはまちがいではなかったな――と思った2015シーズン終了時に一度契約が切れたあと、再び契約が切れたタイミングで臨んだ今回の更改交渉の席で、年俸ではない部分で、自分の望みとはちがう内容が含まれていたんです。この考え方のずれには、少し戸惑うところがありました。でも冷静に考えてみると、この9年間でクラブにもおれ自身にもいろいろと変化があって、一致しない点が出てきてもおかしくはないなと、思い直しました。特別指定選手としての2年間を含めた9年間を東京で過ごしてきて、少なからず『甘え』『マンネリ』の二言に収まるような部分があったし、もともと自分が成長できたときは、自分の上に今ちゃん(今野泰幸)、モリゲ(森重真人)といった名だたる選手がいて「よし、こいつらを追い越そう」と、ギラギラしたものを持っていました。それも年齢が上がるにつれ失われてきて、若い選手もおれたちを見て育ってきている。(橋本)拳人とか。
そういう変化を踏まえ、クラブの客観的な評価と自己評価のギャップが意味するものが何か、時間をかけて自分なりに考えました。来年も再来年も東京でプレーしたい、いままでの成長段階を見てきた身としては来年もこのクラブにいてその積み上げのつづきを見たいという思いもすごくあるけど、誰も自分を知らないところで、自分がJ2で公式戦に出始めたときのように、何がなんでもとアピールして、いちから出直すために、環境を変えたほうが学べるという思いもありました。
特にオファーがなければ、そこまで考えが熟さなかったかもしれないんですけれども、神戸が必要としてくれたことで、ならば決断して外の世界に行き、もっと器を大きくしようと思いました。サッカー選手として構えるのではなく獲りに行くという姿勢になれるよう、なおかつJ1のタイトルを獲れるところに行こう、と。
プロとしては、望みうる範囲で適した条件を出してくれた神戸以外のオファーを待つ必要はないと思ったし、自ら減俸を願い出てまで東京に年俸以外のところでの調整をしてもらうのも筋が通らないことなので、ふたつの提示条件を比較した結果、来シーズンは神戸に所属することを決めました。

東京のファン、サポーターは優しいひとが多いから「秀人が試合に出ていないんだったら、出られるところに移籍したほうがいいんじゃない」と言ってもらえる機会もけっこうあって、その厚意はとてもうれしいけれど、おれは「試合に出られていないから外に行く」のではないんですよ。特別指定を含めれば9年間もいたうえで、来年30歳になるという年齢に達したことも踏まえて、移籍するならばこのタイミングなのではないかと、今回の提示を受けた時点で考え、契約内容の意味を解釈していた。このタイミングしかない、と思いました。
仮に2016シーズンの試合に全部出ていたとしても、そういう決断になっていたと思う。レギュラーとして出ていたとしても、ACLの出場権を獲ったりリーグ優勝を果たしていたとしても、移籍はこのタイミングだったのではないかと思います。

もちろん東京に残る選択肢もあったけど……。
ことし(2016シーズン)の出場率が30パーセントから40パーセント(※J1リーグファーストステージの出場時間は544分、同セカンドステージの出場時間は543分で、17節フル稼働した場合の1530分に対し、それぞれ約36パーセントと約35パーセントとなる)だったことを考えれば「おまえ、何言ってんだ」ということになるかもしれないけれど、冷静に、客観的に見れば、神戸のボランチも東京と同じように層が厚いと言って差し支えないほどにいい選手が揃っている。ニウトン選手をはじめ、藤田直之選手、三原雅俊選手、松下佳貴選手……と。
試合出場が確約されているから行くわけでもないし、神戸にとってボランチが弱点だから行くわけでもない。そう自分では思っています。
もしかしたら、ファン、サポーターのみんなはおれの肩を持って「おいおい社長とGMは何やってんだ、秀人を留めないのか」と思ってしまうかもしれない。でも決してクラブの批判はしないでほしい。ゼロ円提示をされたわけではなく減俸もされていないし、戦力としての必要性は説いてもらっている。評価や考え方のちがいに関しては自身の実力が不足していることも関係があるから、自分としては納得しているんです。
なにより、大金(直樹)社長、立石(敬之)GM、石井豊強化部長、強化スタッフ、コーチングスタッフ、ビジネススタッフ……FC東京に携わる人々に多くのことを学ばせてもらったし、いろいろなアドバイスももらい、さかんにコミュニケーションをとってくれた。その恩義がとても大きいから、自分が思っていた契約内容と提示されたものがちがうからと言って、FC東京に悪感情を抱くことはありえないんです。
今回、ガネさん(大金社長)、立石さん、石井豊さんは、神戸からのオファーについて「クラブのスタッフとしては何がなんでも引き留めないといけない立場なんだけれども、自分で決めて、キャリアをどう描いていくか、ステップアップしていくかを考えたうえでの決断ならば、それは尊重する」と言ってくれました。
結果としてクラブと異なる路を歩んでいくことになったけれど、みんなにはこれからも高橋秀人を応援してほしいし、いままで以上にFC東京を応援してほしい。そう思います。

◆努力する人は希望を語り、怠ける人は不満を語る

いちばん最後にお世話になった篠田(善之)監督は、

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