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J1の“1分”をめざす岡崎慎。彼の心に生じた変化とは

初のプロ生活で味わった苦しみが岡崎慎の在り方を変えようとしている。

岡崎慎がFC東京U-15深川に在籍していたときの話だ。

「奥原(崇)監督(現育成部長)はキャプテンを任せたいと思っていたと思うんです。でも、国体とかユースの練習で中学三年生のときは深川の練習に全然出ることができていなかった。最初、任命されてはいたけれど、たしか二週間くらいで“解雇”されて(苦笑)」

いち選手として考えたときに十分な大きさの器であることはまちがいない。当然、周囲はキャプテンマークを巻かせようと考える。それはFC東京U-18に昇格しても同様だった。

「高校(三年生のとき)も同じような感じですね。最初はカズさん(佐藤一樹)に『(キャプテンは)マコじゃないか』と言われていたんですけど、自分がJ3のメンバーにすごく絡みたがっていましたし、思っていただけでなく実際に出場することになり、キャプテンに立候補せずにいたら、(蓮川)壮大が立候補したので。そういう感じになりました」

誰かほかに責任を持つ選手がいる。あるいは年上の輪のなかに入っていく。プレーに集中できる環境だから、己の能力を発揮しやすい。そういう人生を送ってきた。

「いままで、上の代のチームで(先輩たちに)引っ張られてやってきたほうだと思うんです。同い年でプレーした経験が少ないというか。中学のときも中一からずっと上のほうのチームでしたし、高一になってもそのように絡ませてもらっていた。高三になってもトップチームに行っていたので、どうしても同い年の集団のなかでチームメイトを引っ張るという経験がまったくないままにここまで来てしまった。だからキャプテンマークを巻くとプレーが悪くなるだろうということは自分でもわかっていました」

FC東京U-23でキャプテンを務めると、まずい試合がつづいた。J3第21節ではアスルクラロ沼津に5-0、第23節では栃木SCに4-1で敗れた。オーバーエイジ(OA)不在というエクスキューズがあるにはあったが、自らチームを率いる立場となっての大敗が堪えないはずがない。

憂いを帯びた岡崎が、かつての師匠である奥原育成部長と顔を合わせたのは、トップチームの紅白戦を終えてクラブハウスへと引き上げてきたときのことだった。
「言われるかなと思ったら、言われました」
奥原育成部長から、

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