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ドキュメンタリー映画『ジョホールバル 1997 -20年目の真実-』が掴んだものとは何か/Interview 植田朝日監督

2011年の第一回開催以降、サッカーをテーマにした国内外の映画を取り上げてきた「ヨコハマ・フットボール映画祭」。2018年のことしは2月11日と12日の二日間にわたって開催される。この最終日に登場するのが、サッカー日本代表が初めてワールドカップへの出場権を掴んだ「ジョホールバルの歓喜」を解明しようとするドキュメンタリー映画『ジョホールバル 1997 -20年目の真実』だ。岡田武史、井原正巳、岡野雅行、名波浩、呂比須ワグナー、山口素弘各氏への取材とジョホールバルへの再訪をベースに、日本がアジア予選を突破した背景に何があったのかを探る意欲的な作品となっている。制作の狙いは、取材の過程で発見したものとは、代表からクラブへとサッカー人気の裾野が拡がったこの20年間の変化とはなんなのか。そしてFC東京の歴史はそこにどう位置づけられるのか。12日18時15分からの初お披露目を控え、最後の編集作業に追われていた植田朝日監督の許を訪ねた。

――本来、昔のことについてはわれわれメディアが率先して保存、伝えていかないといけないのですが、やはり目先の報道に追われてなかなかそれができていない。個人的にそう思っていた矢先に、1997年に日本初のワールドカップ出場を決めた「ジョホールバルの歓喜」についてのドキュメンタリー映画を制作するというので、少々驚きました。植田さんは応援する側として現場から“いま”を発信する立場なのだろうなと思っていたのですけれども、それなりの年月を経たことでもはやご自身がかつての出来事を掘り、残し、伝えていかなければいけない年齢やポジションになったからなのかなと勝手に推測していたんですが、映画監督としてはどういう考えで今回の制作にいたったのですか。
植田朝日 1997年の「ジョホールバルの歓喜」は、体験したぼくらからすると当たり前の出来事。でもいまの若い子たちからしたら、たぶん昔話なんですよ。なぜそう思ったかと言うと、30年前の自分自身のことを思い出すからなんです。1988年の“アサヒくん”は、1968年のメキシコ五輪で釜本(邦茂)さんが得点王になり日本代表が銅メダルを獲得したという事実を“昔話”だと思っていた。自分の場合はすごく興味があったから、それがどういう出来事だったんだろうと調べたんですけど、周りは誰も興味を示していなかった。
――ふつうは20年前の出来事を活きた知識や体験として認識していないし、認識していないなりに調べるところまで辿りつくのは、よっぽどのサッカー好きということですか。
植田朝日 そうですね。そのことを思い起こすと、ジョホールバルのメンバーがJクラブの監督になったりして指導者などで“現役”であるいまのうちに、あのときのことを伝えなければいけないんじゃないか、と。そう考えました。


――そのままにしておくと、眠った歴史になってしまうから。
植田朝日 はい。世界で勝てるか否かは別にして、もうアジア予選を突破してワールドカップに行くことが当たり前になっているけれど、何事にも初めてはあるわけじゃないですか。原点となるあのときの感動、信じられないような盛り上がりが風化しないようにするのはぼくの役目ではないかと思ったということが制作の動機です。いまそれを実地で体験しているファンがいるけれど、同じようにジョホールバルにいた、同じようにドーハにいた人間となると少なくなってくるでしょう。定点で、ということでは、記者やカメラマンのひともそうだと思いますけど、ぼくもゴール裏から定点で観つづけていて、応援をする者として感じるものがある。だとしたら、ブレない視点から「ああだった、こうだった」と発信していくことが必要なのではないか、と。その手段は書籍でもテレビやウェブの番組でもよかったんです。でも自分は劇団もやっているので演出と脚本ができますし、ドキュメンタリーではなくフィクションですけれども『ユルネバ』というFC東京をテーマにした映画を撮っている。だとしたらそのスキルを活かして、エンタメ性も持たせながらわかりやすく伝えるために、映画がいちばん適しているのではと思ったんです。
――感覚の点で言うと、いまどきは日本代表が20年前に比べれば遙かにアジアで突出した力を持っているにもかかわらず、過度に悲観するような感想や批判が多いですね。
植田朝日 その反対に、楽観しすぎたり。どっちもありますよね。時代だと思います。ワールドカップに行けたことがなかった1997年のワールドカップアジア最終予選でアジア第3代表決定戦に勝ち、滑り込みで本大会出場を決めた「ジョホールバルの歓喜」がなぜ歓喜としてあったのかと言えば、それはその前に「ドーハの悲劇」があったから。1993年にドーハでイラクに勝ち、ワールドカップ初出場を決めていれば、その4年後にはもうアジア予選通過は当たり前のことになっていたはずです。地元開催だった2002年を経て2006年のワールドカップドイツ大会進出を決めたときは、ウズベキスタンがその現場でしたけど「タシュケントのなんとか」とは言わないわけじゃないですか。自分が子どものときは夢だったワールドカップ出場が、ドーハであと一歩のところまで迫ったことで目標に変わった。
――現実的な。
植田朝日 現実的な目標ですね。現実のサッカー日本代表よりも常に先行していた漫画『キャプテン翼』に於ける翼くん(大空翼)がまだワールドユースを戦っているとき(『キャプテン翼 ワールドユース編』)に、それは物語の進展速度が関係しているにしても、現実の代表が先にワールドカップに行ってしまったわけだから、それがいかにすごい出来事だったか、ということです。
――そのすごい出来事の過程で何があったか。発掘していく過程でなかなか新しい事実が出てこなかったのか、それともいろいろと見つかったのか。どういう塩梅(あんばい)でしたか?
植田朝日 新しい発見だらけ。自分ではよく知っているつもりだったのに、こんなに知らないことがあったのかと驚きました。20年経って人間関係が出来上がっているので、当時の関係者とは、もう胸襟(きょうきん)を開いて、いわゆる“ぶっちゃけトーク”ができる間柄ではあるんですけど、それでもあらためて取材すると聞いたことのない反応が返ってきたんです。たとえば、代表選手たちの応援されていることに関する皮膚感覚ですね。1997年は日本中が日本代表を応援している感じがあって、国立競技場に集まった5万人の観衆にはその全日本人の代表という自覚があるのではないかと思うほど全員が大きな声を上げていた。いまの若い世代には少々ぴんと来ない感覚かもしれないけれど、そういう感覚で入場券を握りしめていた。そんな時代だったのに、監督や選手は応援を心理的なプレッシャーとしか感じることができなかったんですよね。要するにファンの声援を信用するような心理状況ではなかった、と。いまだから言えることなんでしょうけど。


――いまはもっとフラットに、観客と選手、ファンとチーム、みたいな距離感ですよね。
植田朝日 いまはプロ選手がサポーターとの関係を当然のことと認識していて、そのうえでサポーターにどうわかってもらうかということまでよく考えている。でも1997年の代表選手にとっては、既にJリーグが始まって4年経っていたにもかかわらず、まだ応援されることが非日常に近かった。未体験ゾーンを突破しようとする日本代表を励まそうと思うばかりに応援も激しすぎたと思いますし。
――ホームでUAEと引き分けたときは暴動みたいになっていましたものね。そういう苦しさが。
植田朝日 今回の取材では「ワールドカップに出られてうれしかった」という言葉が、誰の口からも出てこなかった。「ほっとした」「解放感があった」「戦うにあたって背中を押されているというより開き直っているという感覚だった」とか、応援されている選手の言葉ではないですね。
――ほとんど戦争ですよね。
植田朝日 そうそう、ほんとうに戦争に臨む感覚なんですよ。実際に取材対象の口から「戦争」という言葉が出てきたし。ワールドカップ初出場を決めた英雄の言うこととしては意外でしたね。勝った日の夜にどっと疲れが出て祝勝会ムードどころではなく、みんな部屋に帰って寝た、とか。
――メキシコ五輪で銅メダルを獲った日本代表も宿舎に戻ると選手が倒れ込んでしまったそうですが、やはり極限状況でミッションを達成するとそうなるものなんですね。
植田朝日 そんなにですか、とこちらが驚くくらい。
――いまは代表も出世ルートの一部というか、代表の試合に出て欧州のクラブに移籍する、くらいの感覚ですよね。
植田朝日 自分のためのステップですね。対して、ジョホールバルのメンバーからは「日の丸の重み」という言葉が出てくる。覚悟がちがう。それがおもしろい。でも、昔のほうがよかったと言いたいわけじゃないですよ。そういうつもりは1ミリもない。むしろ、いまのほうがいいと思っています。だからこそ、です。あの日があっていまがある。ふだんは忘れていてもいいけれど、節目節目で思い出さなければいけないんじゃないかな。
――あの日そこにいなければいけなかった1997年11月16日のジョホールバルと、そこに行かなくてもいいが行きたくて行った今回のジョホールバル(2018年1月に撮影)とで、どういうちがいがありましたか。
植田朝日 もう、最初はジョホールバルに行こうとは思っていなかったんですよ。でもFC東京の試合を観るために直行便でインドネシアに行くより、シンガポール経由のほうが安かったし、寄り道するならマレーシアに、と思い直して。北海道コンサドーレ札幌と提携しているジョホール・ダルル・タクジムFCはクラブカラーが青赤ということもあって現地に行きたい気持ちが強くなったんです。日本のサッカーをリスペクトしていてスタジアムの傍らには日本サッカーのミュージアムがあるくらいですからね。過去にはアイマールやリーガ得点王のグイサを獲っているようなクラブだし、日本がここ20年で大きく変わったのと同じように、マレーシアも大きく変わっているんです。FC東京ファンとしての視点で言っても今回、ジョホールバルに行ってきてすごくよかった。ACLで戦いたいなと思いましたし。


――20年を経て、あの国際大会でのひりひりするような感覚が代表からクラブに移ってきた感じはしますね。
植田朝日 胃がきりきりする(笑)。でもそれは、日本がワールドカップに行ったことがないなか、クラブ、チームの垣根を越えて日本中が日本代表を応援してアジアの壁を突破したからこそ、ですよ。だからいまの、クラブの応援に傾注し、クラブの国際大会を必死に応援する環境が整った。なんなら、ぼくが組んだ応援ツアーに自腹で参加した元FC東京社長の村林(裕)さんが写っているジョホールバルのスタンドの写真が、いまも歴史的資料として残っていますからね、その意味では「ジョホールバル1997」は「東京ガス1997」でもあったわけです。あのとき代表のゴール裏では多くの東京ガスファンが応援していたし、天皇杯では多くの代表選手を含むベルマーレ平塚と東京ガスが対戦していたわけですし。
――浅利悟が中田英寿をマークするという。
植田朝日 そうそう。そしてあのときの代表には、東京スタジアムのこけら落としで2ゴールを決めた“味スタ初ゴール男”の呂比須ワグナーがいた。東京ガス対本田技研の試合で、ロペくん(呂比須)に「帰化してくれ」と頼みに行った話もこの映画に入っていますし、東京にも無縁ではない。FC東京にとって初めて踏んだACLの舞台であるブリスベンのように忘れられない土地のひとつがジョホールバルなんです。そういう意味で、すべてのサッカーファンにも、FC東京のファンにも、この歴史を知ってもらいたいという気持ちがあります。東京ファンにとっては横浜はアウエーですけど、12日のヨコハマ・フットボール映画祭2018に、ぜひお越しいただければと思います。

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『青赤20倍!トーキョーたっぷり蹴球マガジン』は、フリーライターである後藤が編集し、FC東京を中心としたサッカーの「いま」をお伝えするウェブマガジンです。試合のレポート、監督や選手のインタヴュー、コラムなど、他媒体では読めない量と質を追い求め、情報をお届けします。
FC東京トップチームのほか、U-18、関係他クラブや東京都のサッカーについてもお伝えしていきます。

青赤20倍!トーキョーたっぷり蹴球マガジンは平均して週4回の更新をめざしています。公開されるコンテンツは次のとおりです。

 

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新聞等はその都度「点」でマスの読者に届けるためのネタを選択せざるをえませんが、自由度が高い青赤20倍!トーキョーたっぷり蹴球マガジンでは、より少数の東京ファンに向け、他媒体では載らないような情報でもお伝えしていくことができます。すべての記事をならべると、その一年の移り変わりを体感できるはず。あなたもワッショイで激動のシーズンを体感しよう!

 

◎後藤勝(ごとう・まさる)
東京都出身のライター兼編集者。FC東京を中心に日本サッカーの現在を追う。サカつくとリアルサッカーの雑誌だった『サッカルチョ』そして半田雄一さん編集長時代の『サッカー批評』でサッカーライターとしてのキャリアを始め、現在はさまざまな媒体に寄稿。著書に、2004年までのFC東京をファンと記者双方の視点で追った観戦記ルポ『トーキョーワッショイ!プレミアム』(双葉社)、佐川急便東京SCなどの東京社会人サッカー的なホームタウン分割を意識した近未来SFエンタテインメント小説『エンダーズ・デッドリードライヴ』(カンゼン)がある。2011年にメールマガジンとして『トーキョーワッショイ!MM』を開始したのち、2012年秋にタグマへ移行し『トーキョーワッショイ!プレミアム』に装いをあらためウェブマガジンとして再スタートを切った。

 

■J論でのインタビュー
「ライターと編集者。”二足の草鞋”を履くことになった動機とは?」後藤勝/前編【オレたちのライター道】

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