『素直 石川直宏』特別に本篇の一部を公開!【無料公開】
プロサッカー選手としての最後の目標が決まった。12月2日のJ1リーグ第34節ガンバ大阪戦に出場する、目指す場所が明確になったからこそ、気持ちが上下左右に揺れることもない。
「あるべき姿を見せたい、ってなった。そこに至るまでの時間は、本当に長かった。先が見えなかった。先を見ようとしたらダメだと思った。でも、引退を決めて、リミットが決まった。そうなると、ようやく先が見えた」
試合1カ月前から徐々に全体練習へと加わる。唯一、心に引っ掛かっていたのは、「散々ポジションを奪えと言ってきたのに、最後だから試合に出るんだって周りに思われないようにしたい」ということだった。
「パフォーマンスを上げることだけを考えていた。1カ月前に復帰して一番は離脱しないようにプレーしながら、自分のパフォーマンスを上げていく。その難しさはあった。でも、不思議と練習すればするほどコンディションは上がっていった」
試合2日前の練習に行われる紅白戦で、ベンチ入りメンバー18人がほぼ決まる。ウォーミングアップが終わり、恐る恐るメンバーが書かれたホワイトボードをのぞき込んだ。まずサブ組に自分の名前を探したが、そこにはない。
「その前の週は、サブ組にも主力にも名前はなかった。でも、それが最終節前の紅白戦で、サブ組に名前はなかった。メンバー外にもいない」
「もしかして」と思って見た先発組の中に『石川直宏』がいた。「周りの選手の顔は見られなかった」と言う。もしかすると、最後の試合よりも、その日の紅白戦のほうが緊張していたかもしれない。自分がピッチに立つ資格を証明するためのゲームだ。ありったけの思いと、力を込めた。その姿に、周りの選手も驚いていた。
「ナオさん、本当に引退するの?」
その言葉が何よりもうれしかった。
ラストダンスの幕が上がる。決して平たんでなかった18年のプロ生活。その最後の2年間は表舞台から消え、ほとんどの時間をリハビリに費やしてきた。
「人生の半分をプロサッカー選手として過ごしてきた。これまでサッカーからも、出会った人からも本当にたくさんのモノを得た。でも、この2年は本当に濃かった。プロになりたてのころは自分しか見えていなかった。そこから経験を積んで徐々に視野も広がった。いろんな人が支えてくれたし、ライバルや、サポーターの存在をモチベーションに変えてきた。そうやって広げてきたモノが、この2年でギュッて凝縮されて自分に戻ってくるような感覚があった。だから濃いって思う。
オンとオフの使い分けができる方だったし、サッカーの夢なんてこれまで見なかった。でも、シュートを打つ瞬間に足が痛くて振れなかったり、夢の中ではどんなことをしてもボールを蹴らせてくれない。これまでの18年間で、あがいてきたし、全てをさらけだしてきた。自分が好きなことで、誰かを笑顔にできる。それならどんな代償を払っても、想いを形にしたい。そう思うのは自然だよ」
この濃密な2年で、鬱積してきた熱を解き放つ瞬間を待ち続けてきた。ナオは「オレ自身が一番見てみたい」と言った。
辛苦のプロサッカー人生の最後には、粋な花道が用意されていた。安間貴義監督は試合前日からユニホームを脱ぐナオを先発で起用することを明言した。引退発表記者会見で「必ず出る」と言葉にしたが、「相当プレッシャーになっていた。立てない状況も考えた」と吐露する。この一戦に間に合わせるために、痛みを抱える左膝や、体のメンテナンスにも細心の注意を払ってきた。そうして、たどり着いた約束の場所だった。
「ボールに触れて、あの味スタのピッチを走るだけでもいい。楽しみにしてくれている人たちがいる。だから、絶対にゴールに向かう姿勢だけは見せていきたい」
代名詞でもある、ピッチを跳ねるような大きなストライドで、駆け抜けてきたプロサッカー人生。最終コーナーは周った。あとは、全力で駆け抜ける。そう誓って試合当日の朝を迎えた。焦る気持ちはキックオフ時間が近づくにつれ消えていった。不思議と自然体でいられた。今までピッチの外に長く居すぎて忘れていたのかもしれない。サッカー選手として続けてきた、日常の感覚を取り戻せた。それがうれしかった。
2人のまな娘の手を引き、万雷の拍手を背に入場した。「やっと帰ってきた」。
そして、キックオフの笛が鳴る。
今回、編集協力という立場で携わらせていただいた『素直 石川直宏』が、10月6日、ついに発売された。“ついに”というのは、石川直宏にとり決定的な一冊とするべく、特に著書の馬場康平さんが極上のテキストを絞り出すべく呻吟(しんぎん)し、結果として発売日が二転三転したからである。名鑑本の類ではなく地道な取材の積み重ねによるドキュメントやルポあるいはノンフィクションの範疇であるからできるかぎり著書の意向を尊重して待つことに徹したが、それにしても難産だった。悩んだのは構成も同様で、ここに抜粋したラストマッチに向かう描写そしてラストマッチそのものをどこに位置づけるか、始終考え抜いていたと言っていい。労作だと思います。ぜひご一読ください。(後藤)
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