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ナチュラルにサポーターとしての生き方を選ぶ。出現した新世代のひとり、元アイドルの廣山あみが語る「スタジアム第一主義」【サポーター☓シンガー】【無料公開】

 
 新型コロナウイルス感染症対応ガイドラインに沿った大会運営をしているJリーグでは8月15日現在、スタンドでかつてのような応援をすることが出来ない。許されているのは拍手とマフラーを掲げることだけで、選手の名を呼んだりチャントを唄ったりしてはいけない。
 
 いつまでこれがつづくのだろうか。厚生労働省によると、新型コロナウイルス感染症を指定感染症として定める期間は来年の2月6日まで。有効性が立証されたワクチンあるいは治療薬があれば来春からいつもの応援風景が戻ってくるのかもしれない。その場合、公式戦が中止された2月末から起算してちょうど一年間だ。
 そのくらいの期間なら、チャントを歌わなくても忘れないだろう。でも「声のないスタジアム」に慣れてしまうのもどうかと思い、ひとに薦められ、8月12日に発売された「廣山あみ」のCDを聴いてみた。
 
 ゴール裏のチャントとして用いられている表題曲『東京こそすべて-NO TOKYO NO LIFE-』や、『眠らない街』の楽曲化である『眠らない街-TOKYO NEVER SLEEPS-』など4曲入り。嘘がないというか無理がないというか、サポーター発のサポーターのための音楽というように聴こえ、個人的には好感を持った。
 サブスクなる言葉が広まっているこのご時世に開催した手売りの即売会では100枚を売り切ったという。チャントを直接聴くのではなく、楽曲としてチャントが抽象化されていて、聴きやすくなっているのがいいのかもしれない。
 

 
 FC東京応援番組を放送している地元ラジオ界隈で流行しているのは知っていたが、コロナによる「声のない」この時期に聴いたことで、感覚的に少し理解出来た気がした。
 そこでもっと「廣山あみ」を知る必要があると考え、発信源である本人を直接取材してみた。話を聞くとより腑に落ちる。前置きが長くなったが、その様子を以下にお届けする。
 
◆ミニモニを唄っていた初心に返りソロシンガーへ
 
 2年間に渡るアイドル活動をしていた廣山あみは所属グループに在籍中、誕生日の2月14日にはアイドルらしく生誕祭を体験し、いまだに生誕グッズをたくさん抱えている。通年で活躍するライブアイドルだっただけに活動をやめた現在でも多くの痕跡が残っているわけだが、未練はないという。
 彼女は兵庫県伊丹市からソロシンガーになるという夢を追って上京してきたスタート地点を思い出し、昨春、アイドルグループを脱退。つかの間の栄光に別れを告げた。
 
 物心がつく頃にはミニモニがお気に入りで、自然と歌の職業に就こうと思い、それ以外は、アイスクリーム屋さんになりたいとか他愛もない夢を語ることを除けば想起すらしなかった。その初心に返ったわけだった。
 独立後間もなくに創作、FC東京に関係した舞台で披露するはずだった音楽は諸事情によりボツ。その後の発表の当てもないまま昨年8月24日スポーツバーに飛び込み、アウエー8連戦の初っ端となるJ1第24節北海道コンサドーレ札幌戦を観ていると、8連戦用新チャントとして、ボツになった『東京こそすべて』が使われていた。
 本人の手を離れていち早く曲のほうがデビューを果たしてしまったのだ。
 
 アイドルをやめてからサポーターとしての生き方を根本に据えた彼女にとってこれは光栄なこと以外の何ものでもなかった。
 遡るとアイドル時代に参加したイベントで東京のサポーターが旗を振り太鼓を叩いて盛り上げてくれたことが衝撃で、次いで試合を観に行くと初めて見るサポーターの多さ、応援の仕方に「びびった」(廣山)。ゴール裏で飛び跳ねたり声を出したりするのは、座って見守る観戦とはまったくちがう何かだった。この一連の体験がきっかけで、彼女は仕事よりも東京を第一に考えるサポーターとして生まれ変わった。アイドル中から行けるときには味スタに足を運んでいたが、独立後、アイドル活動がなくなったことによって土日を観戦に費やすことが出来るようになると、シンガー活動よりも試合を優先するスケジュールが加速度的に当たり前になっていった。
 そんな彼女にとって自分の曲がスタジアムで歌われたことが転機になった。
 

 
 本格的な音源制作に乗り出すと、コロナで諦めた観戦費用を注ぎ込んでCDは完成した。そしてそのCDを聴いて冒頭のような感想を持ち、廣山あみに会おうと思い立ったわけなので、音楽そのものについてもより深く知る必要がある。ここで唐突に、本人による楽曲解説をお読みいただこう。
 
◆廣山あみによる楽曲解説
 
『東京こそすべて-NO TOKYO NO LIFE-』
 
「シンガーをめざしてがんばろうと独立したんですけど、急にひとりになったので苦しくキツいときもけっこうあったんです。そんな、暗くなったときに気持ちを明るくしてくれたのがサポーターの方たちで……。『ああ、私ってひとりじゃないんだな』と思えるようになり、そのことに気づかせてくれたのも東京のサポーター。そんなサポーターの方たちに出会えたのも東京あってこそ。東京があってこその人づきあいや生活だ、東京こそすべてという生き物が自分なんだ――そう気づいた気持ち、サポーターの気持ちを伝えたいと思って書いたのがこの曲です。自分で言うのもなんですが、これまでの半生を思い返して泣いたりしていたくらいで、自分自身がこの曲から勇気をもらっていたんですね。なので、この曲を通じて、みなさんに少しでも勇気を分けることができればと」
 
『眠らない街-TOKYO NEVER SLEEPS-』
 
「自分がやっているレインボータウンFMの『TOKYO12レインボー』というラジオ番組の特番ゲストにサポーターの植田朝日さんが来たことがあったんですけど、そのとき『廣山のファンには東京ファンも多い。だったら、東京のファンを喜ばせることをしたらいい、AメロBメロをつけてフルにしてみたら――と薦められたことが楽曲化のきっかけです。
『眠らない街』は東京が勝ったときの曲ですよね。自分にとってとても大きい曲です。チャントをきちんと楽曲化する作業を担当すること自体大きなことで、ここでは自分の気持ちを書くというよりは、東京のキャッチフレーズ、たとえば『最後の1秒まで』『心をひとつに』とか、あとはゴール裏で使われているチャントの歌詞を詰め込んで書きました。
 
(責任が大きいぶん、発表したあとの反応が怖かったのでは?)
 そうですね。最初に曲を流したのは『TOKYO12レインボー』だったんですけど、めちゃくちゃ怖かったです、最初……。ほんとに怖くて。自分がやっていいのかな、とか、大丈夫かな、とか。その曲の出来によっては『何勝手にやってんだよ』と思うひともいなくはないでしょうし。しかも、まだ東京を好きになって一年も経たないくらいの応援歴しかないわけで。でも発表したら反響がよくて、咎めるような声もなく、ほっとしました。
(ほんとうに楽しんでいる、東京を理解していることが伝わったのでは?)
 そうだといいですね。ふつうに好きなだけなんですけどね」
 
◆コロナ以後
 
 ゴール裏の熱気に誘われたサポーターとなった彼女にとり、もちろん現状のスタジアムはあるべき姿ではない。リーグ戦再開後、初めて訪れたサガン鳥栖戦で、誰も喋らない様子を見て「あ、喋っちゃだめなんだ」と気づいた。サッカーの試合ではゴール裏のサポーターが空気をつくる面もある。ところがサポーターが声を出せないと選手が自分たちでやっていくしかない。ちょっとでも選手に声を届けたいなといつも思う身からすると、もどしかしい想いでいっぱいになる。
 

 
 コロナ事態がどう収束していくのか、それによってサッカーの試合がどうなるかも決まるとあっては、将来がどうなるかをはっきりと見通すことは難しい。
 ところが、これから東京にどう関わるか――と訊ねると、廣山の口からは即、「シンプルにサポーターでいたい」という答えが返ってきた。
「自分のなかではシンガーであって東京サポーターというよりは、東京サポーターであってシンガーなんですよ。これからもずっと何があろうとサポーターであってシンガー。サポーターのひとりとして関わっていきたい」
 
 いま考えていることといえば、コロナ規制下で行けるホームの試合は出来るだけ行きたいとか、規制が緩くなって超厳戒態勢から厳戒態勢に移行したらアウエーゲームの遠征に使う交通手段とお金をどうしようかなとか、そういうことだ。
「あーもう、ほんとにそうです。貯めたお金を遠征で使う機会がなくなったから音源制作に費やせたので、今回つくれたわけで……さらに言えば、コロナでこういう状況なんで力を貸すねと言っていただいたり、それこそ『東京こそすべて』という状況でつくられた作品なんですよ。またお金を工面しないと」
 東京こそすべてという生き方をする元アイドルが、東京こそすべてというサポーターに向けてCDを発表する。そんな選択を無理なく躊躇なく実行する、ナチュラル・ボーン・サポーターズとでも呼ぶべき新しい世代が台頭しつつあることを、廣山あみは教えてくれた。
(※文中敬称略)
 
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