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吉本一謙──引退を惜しまれる心優しき男と、しどろもどろの記者

 

FC東京アカデミーで背負っていた背番号4をトップでも着けたのは2017年から。現役最後のクラブとなった清水エスパルスでも4番を着けている。

 いわゆる〝全消し〟、ゴール前での捨て身の守りで一斉を風靡したディフェンダー吉本一謙が、惜しまれながら引退する。何度もけがを繰り返した果ての決断。ずっと現役でいるものと勝手に思い込んでいたので初めて聞いたときは驚いたが、よくよく考えてみれば無理からぬこと、いや、そうして然るべきかと納得した。直前のツイートが「オムロンの低周波治療器。」だもんなぁ。
 おつかれさまでした。

◆苦い思い出

 現役引退を知ったのは少し前に本人の連絡で、だった。吉本カズは律儀で実直なヤツなのである。おかげさまで私もこうして原稿を書きながら心の整理をすることが出来た。

 記憶を遡ると、吉本の前にいる私は常にしどろもどろだった。

 原博実現Jリーグ副理事長がFC東京の監督に再任した2007年にトップチームへと昇格。フレッシュな若手の旬を掴む傾向が強い原監督(当時)により開幕スタメンに抜擢された吉本は、味の素スタジアムでおこなわれた3月3日の第1節サンフレッチェ広島戦で、東京でこれからの10年を背負って立つ次世代の旗手として、堂々とプロデビューを白星で飾るはずだった。
 ところが前半27分までに佐藤寿人に2点、ウェズレイに1点をくらい、瞬く間に3失点。当時の背番号と同じ数字の29分でベンチに下がった。

 慌てがちな性格の私は少なからず動揺した。
 よりにもよってボールのないところの動きに長けた広島のフォワード陣ふたりが相手。跳ね返しが強い一方で足もとやポジショニングに課題のある吉本にとって不利な対戦であったことは確かだ。それでも倒せば自信になると踏んでいたが、逆の結果に。

 試合後のミックスゾーンでも私の動揺はさめやらず、喋りはしどろもどろ。質問が迷走した。自分でも何を訊ねているのかよくわからない。吉本に、何を言っているのかよくわからないので落ち着いてくださいという意味の何かを言われたことだけは憶えている。ショックが大きかったはずの本人のほうが遙かに落ち着いていた。
 2007年に彼が得た出場機会は、その開幕戦の29分間だけ。苦い思い出とともに一年が過ぎた。

◆戦力外の危機から主力へ

 その後、武者修行をしてきたFC岐阜、水戸ホーリーホックでは、貴重な経験を積むと同時に両膝にけがを負った。満身創痍。それでも念願叶い、2014年には青赤のユニフォームを着てレギュラーの座についた。おぼろげな記憶では2013年の最後、某所での練習試合のあとにバスの前で話をして、どうなるかわからない──と、戦力外の可能性も感じてさすがに明るいとは言えない表情を見せていただけに、そのときとは対照的な成功が私としても嬉しかった。
 同期の森村昂太、権田修一とともに黄金時代を築くという未来図とは少しちがったけれど、アカデミー卒期待の星がトップでポジションを掴む、概ね思い描いていた光景が出現した。

苦しい時には自らを鍛えることで前を向いた。

◆ACLにも

 2016年のACLでは、

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