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【頼コラム】遠い人、その名は審判。

先月、生まれて初めて狂言というものを観に行った。以前から興味があったというわけではないが、野村万作・萬斎親子の共演が地元で観られると誘われて行かないという選択肢などあろうか。いや、ない。そこがミーハーのミーハーたる所以である。舞台は普通のコンサートホールで、おそらく上演側も初心者の観客を想定した普及公演であるらしい。演目が始まる前に役者さんの一人が出てきて、あらすじや動きの約束事や用語を解説してくれるのだが、それがなんとも低姿勢というか、「狂言難しくてほんとすみません」「でも眠いのを我慢して観ているうちにだんだん面白くなってきますからね!」的なエクスキューズを小刻みに挟んでくる。こちらこそ教養なくてすみません、なんですけどね。しかし面白いと思うためには一定の知識が必要となると、ファン層拡大にはハードルが上がる。伝統芸能業界も大変なのだなあと感じた次第である。

翻って、サッカーといえばわかりやすさの権化のようなスポーツである。ルールはシンプルだし、ボールを追って観ているだけで十分に楽しめる。もちろん、細かい知識がついてくればそれだけ、より面白くなるのも事実だ。「うわーあの人、誰もいないところにボール蹴っちゃったー」と思うだけだったのが、「せっかくスペースにパス出してるのに誰も反応しないってどういうこと?」とか。そして、さらに観戦を重ねるうちにどうしても湧いてくる疑問がある。「今のはなぜファウルなの?」である。

「スペースへのパスに誰も反応しなかったのは何故か」的な疑問は、リプレイをよく見ればわかるだろうし、良い解説者ならきちんと説明してくれることもある。「足元に欲しかったんですね」とか「相手ディフェンスがうまくラインを上げて対応していました」とか。ところが、判定の話になると詳しい解説はほとんど聞くことができない。Jリーグが発足してから20年以上になり、日本のサッカーファンの観戦スキルはずいぶんと上がったのではないかと思うが、審判の判定基準についてはなかなかリテラシーが上がらない。なぜなら、ファンには審判のプロによる解説を聞く機会がほとんどないからだ。

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