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【トピックス】みーも、安らかに 宮本卓也さんを悼む

モンテディオ山形などでプレーした宮本卓也さんが5月1日、不慮の事故で亡くなったこことが、宮本さんが選手・指導者として所属したクラブから6日、リリースされた。

8年間のプロ生活のうち、5年間をモンテディオの一員として過ごし、チーム内でもサポーターからも「みーも」の愛称で親しまれた。右サイドバックでプレーし、クラブ初のJ1昇格や2度のJ1残留に貢献。当時は劣勢に立たされる試合が多かったなか、粘り強い守備と献身的なハードワークでチームを支えた。でもふだんはおとなしく、人の前に出ることがなく、自分はいつでもサポート役に回るようなやさしい性格。そのギャップも魅力だった。

クラブ初のJ1昇格を達成した08年、ベガルタ仙台とのみちのくダービーが3度行われた。アウェイの第1戦(第14節)は前半2-0からの後半3失点で逆転負け。しかし、モンテディオは翌節から連勝を続け、第20節、ホームで行われた仙台との第2戦で3-0と快勝した試合が6連勝目となった。

この一大リベンジ劇にもっとも深く関わったひとりが宮本さんだった。第1戦、仙台に1点を返されたところで2枚目のイエローカードを受けて退場となった。仙台は1点を返したことに加えて、相手が一人少なくなったこととで勢いを増し、ホームの後押しも受けて逆転に成功している。逆に第2戦、リベンジの口火を切ったのは宮沢克行選手の魂のこもったヘディングのゴールだったが、そこにクロスを供給したのが宮本さんだった。内に秘めた熱量の凄まじさを見る思いだった。

あまりにも早過ぎる逝去に、ご家族の悲しみは察するに余りある。そして、もっとも無念だったのは宮本さんご本人だっただろう。
ここにご冥福をお祈りするとともに、宮本さんのモンテディオ在籍時代を写真とともに振り返る。

この年は新燃岳噴火の影響で宮崎キャンプを途中で切り上げ、開幕戦までの1週間を急きょ、静岡県沼津市でトレーニングした。どんな状況だったかは思い出せないが、パイロンを持っているだけでかわいくなってしまう。(2011年3月2日 @県営愛鷹広域公園多目的競技場)

セレッソ大阪からモンテディオ山形に加入したのは2008年。小林伸二監督が就任したシーズンだった。前列右端が宮本さん。その隣が高卒ルーキー・山田拓巳選手。(2008年1月18日 @山形県総合運動公園会議室)

06年に大阪商業大学からセレッソ大阪に加入。当時の監督は大学の先輩にもあたる小林伸二監督だった。しかし、小林監督はその年の4月に解任されたため、モンテディオで約2年ぶりのタッグとなった。(2008年1月18日 @山形県総合運動公園会議室)

08年のキャンプ出発前、雪が残る第2運動広場(人工芝)でのトレーニング。同じ右サイドバックでプレーすることになる山田拓巳選手は、宮本さんから直接ポジションを奪うことはなかったが、小林亮選手を経由して継承することになった。(2008年1月19日 @山形県総合運動公園 第2運動広場)

集団の中では口数少なく、控えめ。けっして先頭に立って引っ張るようなタイプではない。ホワイトボードを使った説明を聞くときも、ランニングをするときも、いつも「後ろ」や「端」を定位置にしていた。ホワイトボード、たぶん見えてない。(2009年2月14日 @雲仙市国見総合運動公園)

集団の中では口数少なく、控えめ。けっして先頭に立って引っ張るようなタイプではない。ホワイトボードを使った説明を聞くときも、ランニングをするときも、いつも「後ろ」や「端」を定位置にしていた。ホワイトボード、たぶん見えてない。(2010年2月15日 @宮崎県総合運動公園)

1対1の守備は大きな見せ場だった。この低い体勢で間合いを測り、しつこくしつこく食い下がる。練習試合の様子。(2010年2月27日 @宮崎県内)

こちらは白の練習ゲームウェア姿。この年の開幕戦はベンチ入りしたものの出場なし。翌日、雪が残る山形に戻り、トレーニングゲームに出場した。(2011年3月6日 @山形県総合運動公園サブグラウンド)

東日本大震災の発生でリーグ戦は中断。チーム練習も数日間は行なわれたが、その後、約2週間の中断を余儀なくされた。写真は中断明け間もない頃のトレーニングの様子。(2011年4月1日 @山形県総合運動公園第3運動広場)

セレッソ要素多めのリフティング。5人中4人。鹿島から加入した中央の川島大地選手のみ、セレッソの在籍経験がない。(2011年2月23日 @宮崎県総合運動公園)

シーズン終了後のサンクスパーティー。壇上に選手が勢ぞろいしたが、並んでみるとあらためて165cmの小柄さがわかる。(2010年12月7日 @山形市・パレスグランデール)

上山市のかかし祭。あいにくの雨のなか、上山出身の秋葉勝選手とともにトークショーとサイン会を終え、帰路に着くところ。ピッチを離れると「オーラ」や「威圧感」とは無縁で、逆に話しかけやすさがあった。(2010年9月23日 @上山市・月岡公園)

練習はじめのランニングも安定の目立たないポジショニング。この頃は隣の山田拓巳選手がこのチームのキャプテンになることも、後ろを走る鈴木雄太選手がチームの強化部に入ることも想像できなかったはず。(2011年2月17日 @雲仙市国見総合運動公園)

「これぞ“みーも”!」という表情。Jリーグのマスコットやゆるキャラみたいなこの表情に癒された人も多いことだろう。(2010年2月10日 @雲仙市国見総合運動公園)

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