柳下毅一郎の皆殺し映画通信

『トワイライト ささらさや』 空白の中心のまわりを永遠にまわりつづける無意味な運動。それを純粋な芸術と呼ぶこともできるだろうか (柳下毅一郎) -3,087文字-

FireShot Screen Capture #045 - '映画『トワイライト ささらさや』公式サイト' - wwws_warnerbros_co_jp_twilight-sasara_index_html

 

『トワイライト ささらさや』

監督 深川栄洋
脚本 山室有紀子、深川栄洋
原作 加納朋子
撮影 安田光
音楽 平井真美子
主題歌 コブクロ
出演 新垣結衣、大泉洋、中村蒼、小松政夫、石橋凌、富司純子

 

ico_yan なんだかもうこのタイトルを見ただけで絶望的な気分になってくるんだが(配給サイドはこの映画を誰にアピールするつもりでこんなタイトルをつけたんだ?)、中身はもっと絶望的である。いったい誰がこんな企画をたてたのか? ひょっとして大手映画会社には死人が甦る原作を片っ端からチェックしては映画化企画をたてる“ゾンビ担当”みたいな奴がいるのかもしれない。だって、そうとでも考えないと、この映画の前に『想いのこし』の予告編がかかるなんて事態が発生するわけがない。それにしてもこの映画、加納朋子にとっても逆宣伝にしかならない気がするんだが、どうなのかねえ。

さて、大泉洋が演じるのは「おもしろくない落語家」ユウタロウ。来た客の中でたった一人笑ってくれたサヤ(ガッキー)に恋をして結婚する。ちなみにガッキーが笑ったのは「一生懸命やってたから」というかなり身も蓋もないもの。だが新婚で子供ユースケも生まれ、幸せの絶頂で交通事故にあって死亡。映画はその葬式からはじまる。

おわかりだろうか? つまり、この映画、「おもしろくない落語家」である大泉洋が始終やたらと突っ込みをいれまくるという完全なる副音声映画(「面白くない落語家」なので不必要なつまらないことしか言わない)。その大泉洋がサヤの周囲の人間に乗り移って、乗り移られた人が大泉洋の形態模写を演じるわけだが、じゃあ大泉洋の物真似ってどんなのよ? どんな名優でもそれは無理だろう……というわけで最終的にはガッキーが「あなたが見える!」とか言い出して大泉洋本人になってしまったりする台無し感。さて、葬式に突然あらわれた強面の男(石橋凌)、いきなり棺桶に向かって「バカもん!」と怒鳴りつけ、「一人で仕事をしながら育てるのは無理だ。赤ん坊はわたしが育てる」といきなりシングルマザー全否定の発言をぶちかます。実はユウタロウが「死んだ」と嘘をついていた父親である。このままでは息子が取られてしまう……と大泉洋は師匠(小松政夫)に乗り移って「いいから誰も知らないところに逃げろ」とガッキーに命じ、ガッキーは死んだ叔母が住んでいたという「ささら町」に向かう……ここまでがオープニング。

この物語で最大の問題である「幽霊」とか「乗り移る」とかいうのが三秒くらいで終わってしまって、もうガッキーは最初から大泉洋がそこにいて、いつも自分たちを見守ってくれていて、ときどき生きてる人に乗り移って会いに来てくれる、というのを信じているのである。メルヘンだから。それはいいんだけどこの映画二時間あるんだよ。どうすんのよ。やっぱ頼る者もないガッキーにはさまざまな問題がふりかかり、それを大泉洋がここぞというところで助けるという展開になるのだろうな(一度乗り移ると免疫ができて同じ人間には二度と乗り移れないので、自由が利かないという設定はある)。ガッキーには仕事の問題とか、近所のイジメとか、通り魔の凶行とか、そういう事件が次から次へと……

 

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tags: コブクロ 中村蒼 加納朋子 大泉洋 安田光 富司純子 小松政夫 山室有紀子 平井真美子 新垣結衣 深川栄洋 石橋凌

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