柳下毅一郎の皆殺し映画通信

『ゾウを撫でる』 一本の映画にかかわる人たちの人間模様。見ているこっちがどんよりとした気分になったところで映画は終わる・・・ (柳下毅一郎)

公式サイトより

 

 

ゾウを撫でる

監督 佐々部清
原案・脚本 青島武
撮影 今井孝博
音楽 富貴晴美
出演 小市慢太郎、高橋一生、金井勇太、大塚千弘、羽田美智子、菅原大吉、中尾明慶、大杉漣、伊嵜充則、三宅ひとみ

劈頭一番、浜松の砂丘にぱおおおお~んとゾウが鳴く。

いやあの。ここでいうところの「ゾウを撫でる」って「群盲象を撫でる」っていう意味の奴でしょ? それって単なる比喩であって、そこで現実のゾウが出てきてどうすんの? えー本作は二〇一三年に製作され、二〇一五年のお蔵出し映画祭で審査員特別賞を獲得した佐々部清監督作品。「伝説の映画監督」が十五年ぶりに映画を撮ることになる。その一本にかかわる多くの人たちの人間模様……

 

 

 

別に全体像がわからないのは映画だけではなかろうが、あえて映画がとりあげられるあたりにどうも嫌な特権意識を感じてしまう。そこでオムニバス形式で綴られていく「人間模様」というのも、たとえば……

脚本家は若手の鏑木(高橋一生)。ある日、台本印刷会社で働く栃原(伊嵜充則)は、まわってきた原稿を見て鏑木が書いたものだと気付く。シナリオ教室で同期だった鏑木が映画の脚本を手掛けていることに戸惑う。

同期の鏑木とはほとんど接点はなく、ただどこかの名画座で今井正かなんかを見ているときに、たまたま見かけて、映画が終わっても出てこなかった(次の回を続けて見ていた)鏑木が

「映画の中に消えてしまったようだった」

 という思い出を抱えているくらいだった栃原、いつのまにか鏑木が一本立ちし、あまつさえ「伝説の監督」の新作を書いていることを知って激しく嫉妬する。じっくり読むうちに一ヶ所に違和感を覚える。

「ここのセリフは、前後関係から言って、『私たちは』ではなく『我々は』であるべきだ」

 と、そこへ鏑木から電話が入ってくる。相手が栃原だとは気づかないまま、鏑木は印刷前の台本の訂正箇所を指示する。それは栃原が思っていたのとは全然関係ない箇所だった……

それで? それで栃原はどうしたの? 彼の確信は結局間違っていて、それが鏑木と栃原の才能の差を意味しているわけなのか? そんなひとつのセリフを入れ替えるかどうかがそんなに重要なことなのか?(よりによって、現場で俳優に変えられてしまいそうな一言で)だがそうした問いに何も答えることなく話は進んで、栃原は二度と出てこないのだった。このあと出てくるのもどれもこれもこんなゆるい話ばかりで、もうちょっとなんかないんでしょうか。

 

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tags: お蔵出し映画祭 フィルムコミッション 三宅ひとみ 中尾明慶 今井孝博 伊嵜充則 佐々部清 大塚千弘 大杉漣 富貴晴美 小市慢太郎 羽田美智子 菅原大吉 金井勇太 青島武 高橋一生

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