柳下毅一郎の皆殺し映画通信

『私は絶対許さない』 呪詛のようにくりかえされる五人のレイプ犯の名前。 絶対に観客を気持ちよくさせないという強い意志を感じずにはいられない (柳下毅一郎)

公式サイトより

私は絶対許さない

監督 和田秀樹
原作 雪村葉子
脚本 黒沢久子
撮影監督 高間賢治
音楽 三枝成彰
出演 平塚千瑛、西川可奈子、美保純、友川カズキ、白川和子、吉澤健、三上寛、川瀬陽太、南美希子、児島美ゆき、東てる美、隆大介、佐野史郎

face 製作総指揮・監督和田秀樹。あわや松方弘樹の遺作となるところだったクラブ映画『銀座並木通り クラブ・アンダルシア』でおなじみモナコ国際映画祭グランプリ監督にして精神科医の顔を持つ。本作は雪村葉子の同名原作の映画化で、集団レイプされた少女の人生を描く。それを全編主観映像で描くという異色作である。集団レイプで人生を狂わされてしまう少女の姿を描くのに、普通のエロ映画のような描写をしていたのではいけない、レイプは苦しく不快なものとして、少女の主観によって描かれなければならない、というわけだ。たしかに一理あるかもしれない。だが、実のところ問題は毎度おなじみヒャッハー演技と紋切り型を絵に描いたようなストーリー展開のほうなわけで、客観的描写で不快感を表現することだって十分できるはずである。しかるに本作ではひたすら生理的嫌悪感のほうに目が向いていて、映画を見た観客に目眩と不快感を味わせることにばかり気が配られている。それでいてしっかりエロシーンは入っているという……

もうひとつのポイントは離人症描写。レイプされた主人公は離人症気味になり、自分の行為を外から見るようになる。映画では部屋の隅に浮かんだ主人公がやや俯瞰気味に見下ろすという一種幽体離脱のような客観描写がされる。この幽体離脱した魂が客観的なマスターショットを見ているので状況説明になっているというわけ。なお、主観描写の撮影にあたってはヒロインの顔の前にEOS-Mをかざし、鏡で自分の姿を見るシーンではiPhone7を胸につけて撮ったのだという。ミラーレスで撮影……高間賢治もすごいことやるなあ。

 

 

私が死んだ日

さて、それは昭和の時代、いまだケータイ電話などないころの物語である。雪深い大晦日、秋田県某所の駅の外で、少女葉子(西川加奈子)は震えながら母(美保純)の迎えを待っていた。そこに通りかかったのがバンに乗ったヒャッハー五人組。いきなり葉子に飛びかかると殴り倒し、車に乗せて拉致する。そのままたまり場になっているマサアキの家に連れ込み、くりかえしレイプ。これが問題の主観映像シーンなんだけど、実は殴り飛ばされたときに眼鏡が飛び、極度の近視の葉子はほとんど何も見えなくなる。つまり、以後ひたすら大画面でブレブレの映像が揺れつづけるわけで、3D酔いどころではない強烈なカメラ酔いに見舞われる。レイプ被害者の主観描写としてはたぶんこれは正しく、ほとんど何が起こっているかわからないような状況でもあるのだろう。ただ、実際にそれを見せられると、そりゃあ気持ち悪いだろうけど、そういうことじゃないんじゃないかな、と……以後、レイプのトラウマになって自傷、拒食症と自傷行為のオンパレードになる葉子、いちいちそれが主観映像で生々しくうつされるわけで、くりかえしゲロ→眼の前に迫る男の下卑た顔の連続技をくらう。ともかく生理的嫌悪感一本槍で、絶対に観客を気持ちよくさせないという強い意志を感じずにはいられない。

 

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