柳下毅一郎の皆殺し映画通信

「カナザワ映画祭2013」 -映画館の暗闇に飛び交う銀色のボール、謎の黒マントの男、恐怖に震える椅子。ギミック抜きでは映画に意味は無い (柳下毅一郎) -4,454文字-

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『カナザワ映画祭2013』

 

ico_yan 秋は金沢である。毎年9月の連休にもよおされるカナザワ映画祭は、ある意味では日本でもっともラジカルな映画祭かもしれない。他の映画祭と差別化をはかり、毎回そこでしか上映できない映画を提供する。クリスピン・グローヴァーの自主映画を上映したのはもはや伝説と言える(結局、国内ではあのあと一度も上映されていない)。その分、ゲストやスタッフのコキ使われ方もハンパでなく、日本でいちばんゲストの扱いがぞんざいな映画祭とも言われている。まあそれでもこうやって、頼まれもしないのに毎年行ってるわけだから、他では得られない驚きと楽しさがあるという証拠である。

興行師たちの映画史 エクスプロイテーション・フィルム全史
一回性を旨とするカナザワ映画祭、今年はとうとうギミック映画の祭典となった。ギミック映画とは映画以外の部分で客寄せを試みるような映画のことである。映像至上主義、スクリーンに映るものこそがすべてだとする立場からすれば邪道の極みのような映画だ。ぼくは以前からそうした存在に興味があり、興行師たちの映画史(青土社)でも一章割いて論じている。今回はその中でもギミック映画のチャンピオンとしてとりあげたウィリアム・キャッスル、その最高傑作『ティングラー』が上映されるという。しかも最強ギミック〈パーセプトゥ〉つきという。これを見ないわけにはいかないだろう。というわけで今年も金沢に向かったのである。

b_kozaさて、今年のプログラムは大きくふたつのシンポジウムを中心に組み立てられている。ひとつは元東宝東和宣伝部の重鎮を迎えての〈東宝東和ギミック宣伝の極意〉トーク。かつて派手な宣伝によって実際には存在しない映画さえをも売りこんでしまった東宝東和の宣伝にまつわるあれこれが語られる。そのトークに合わせて、『ファンタズム』をはじめとする東宝東和のギミック映画を上映。さらに〈新映画理論講座〉と題する横山茂雄高橋洋両氏によるトーク。映画界ではそれほど知名度も高くないのではないかと思われる横山氏だが、現代オカルト研究の重鎮ともいうべき巨人である。以前にカナザワ映画祭で高橋氏とトークをして意気投合、現在対談本を準備中だというが、その予告も兼ねての対談である。このトークの関連作品として『ティングラー』や『獣人島』が上映された。

今回のテーマは「観客参加」である。映画の一回性をテーマにしている以上、それは必然である。したがって最大の売り物のひとつとなったのが『ロッキー・ホラー・ショー』上映だった。これ以上に観客参加(スクリーンに合いの手を入れる)が必須のものとなっている映画は存在しないからだ。そういうわけで、高橋ヨシキくんをMCにして派手に観客参加型上映が展開されたのである。

さてこんなにも盛りだくさんの映画祭、東京からわざわざ出かけたんだし、当然朝から晩まで映画を見まくる……と思いきや、実は全然そんなことはないのである。

映画祭のスケジュールが厳しすぎて老体には辛いとか、真面目につきあってると飯を食うヒマもないとかいろんな理由があるんだけど、要は金沢の飯が美味すぎて、正直映画よりもそっちにハマっているという情けない理由である。そんなわけで映画をさぼりまくりの映画祭、目玉作品の半分も見ていないのだが……

tingler2目玉作品の『ティングラー』、かつてWOWOWで放映されたことはあるが、劇場で上映されるのはこれが本邦初。ウィリアム・キャッスルは映画におまけをつけて劇場に客をカツアゲしたことで知られている。普通の映画製作者は客をつかまえたければ面白い映画を作ろうと考える。だがキャッスルは劇場でしか味わえない体験を提供した。映画館にいけば何かが起きる。たとえば『地獄へつづく部屋』の場合、クライマックスで映画館内を幽霊(実物)が飛び交う仕掛けが用意されていた(日本でも公開されたが、幽霊の飛ぶ仕掛けは輸入されなかった)。そのキャッスルの最高傑作とされる『ティングラー』、なぜ最高傑作なのかということ、ここでは客をおどかす仕掛け(ギミック)が映画の中に有機的に組み込まれているからである。実質的に、ギミック抜きでは映画は意味を持たないのだ。

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tags: 洋画

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