柳下毅一郎の皆殺し映画通信

『マカロニ・ウエスタン 泥だらけの美学』-前篇- まがいもの西部劇のボブ・ロバートソンが「巨匠」セルジオ・レオーネになるまで (柳下毅一郎) [12,316文字]

 

 

東京国立近代美術館フィルムセンターで好評開催中(~3/31)の展示会西部劇(ウェスタン)の世界 ポスターでみる映画史Part 1
このなかで、柳下毅一郎による『マカロニ・ウエスタン 泥だらけの美学』と題されたギャラリートークが行われた。「皆殺し映画通信」では、その模様を前篇・後篇と2回にわたってお伝えすることにいたします。

 

昨年展覧会があった時に、『西部劇(ウェスタン)の世界・ポスターでみる映画史』のギャラリートークのお話しをいただいて、「マカロニ・ウエスタンか」というくらいで思っていたんですけど、いざ近づいてみると大変タイミングのいいことになりまして。ただいま映画館で絶賛公開中のクエンティン・タランティーノ監督の『ジャンゴ繋がれざる者』という映画があります。これがマカロニ・ウエスタンへのオマージュでつくられた映画なんですね。

クエンティン・タランティーノという人は非常に奇妙なというか変わった映画監督で、基本的には「ジャンル映画」をアートフィルムとしてつくっている。本来ならば使い捨てというか見てその場ですぐ忘れ去るようなタイプの映画であるアクション映画やホラー映画やセックス映画などのジャンルの映画を今つくる。過去のそういう映画に対するオマージュとしてつくっていくとそれが何故かアートフィルムになってしまう。アートフィルムとして単館ロードショーとかで公開されてしまうみたいなそういう奇妙な映画監督、その彼の今回のターゲットがマカロニ・ウエスタン。ということで久方ぶりにマカロニ・ウエスタンが脚光を浴びることになったわけです。そういう意味で、たいへんいいタイミングで話をできることになりました。

クエンティン・タランティーノはイタリア系とはいえアメリカン人ですから、ただ普通に考えてアメリカ人が西部劇をつくるとなるとアメリカ西部劇、例えばジョン・フォードやハワード・ホークスなどへのオマージュを捧げるということになります。そこがなぜかマカロニウエスタンになってしまうというところが、タランティーノの奇妙な病巣というか歪んだところですね。ですが同時にそれはマカロニ・ウエスタンがいかに大きな存在だったかということを逆説的に証明をしています。つまりマカロニ・ウエスタンの登場によって西部劇の世界というのは徹底的に変わってしまうわけですね。これはぜひ皆さんにポスター展の展示を見ていただくと分かるんですが、ある意味牧歌的だったアメリカ産の伝統的な西部劇がありまして、これがマカロニウエスタンの登場によって決定的に変質してしまうわけです。もちろん、それだけでなく、西部劇の変質にはいろんな理由があるわけですが、その最大のものがマカロニ・ウェスタンの衝撃でした。ですから今の西部劇は多かれ少なかれマカロニ・ウエスタンに影響を受けています。

クリント・イーストウッドは今アメリカにおいて西部劇スターというオーラをまとっている唯一最大の存在だと思います。もっとも有名な、たぶんアメリカで最後の本格西部劇といっていいでしょう『許されざる者』という西部劇があります。監督主演ですね。まさに最後の西部の男として存在している。思えばその昔、クリント・イーストウッドが最大のスターになるのはもちろん『ダーティーハリー』という映画なんですが、その前に『マンハッタン無宿』というのがあります。これは西部の男が都会にやってくるという話です。その後『荒野のストレンジャー』『ペイルライダー』『許されざる者』と西部劇をつくっていってアメリカで最大最後の西部劇スターとなった。しかし、彼がなぜ西部劇のイメージを抱くことになったかというと、それはまさに『荒野の用心棒』なんですね。で、『荒野の用心棒』が世界的なヒットを飛ばしたせいで彼は西部劇スターとして遇されるようになるんですが、実はそれ以前は『ローハイド』という人気TVドラマに出ていたが、あくまでもTVドラマなので映画スターとしては二流どころだとアメリカでは思われていたんですね。それが『荒野の用心棒』の大ヒットで西部劇スターとしての格を手に入れた。もともとは本物ではない西部劇でイーストウッドが育ってきた。その彼が今ではアメリカで最大の西部劇スターになっている。タランティーノと同じような意味での倒錯があります。

このイーストウッドが主演した『荒野の用心棒』、これがいってみればマカロニ・ウエスタン第一作。これが最初のマカロニ・ウエスタンです。この世界的大ヒットによってマカロニ・ウエスタンというジャンルが生まれます。マカロニ・ウエスタンというのはイタリア製西部劇という意味ですね。日本だけでそのように呼ばれていて、欧米では「スパゲッティウエスタン」と言われている。日本では当時スパゲッティという料理はそれほど有名ではなかったので、マカロニの方が通りがいいだろう、ということでマカロニウエスタンと名付けられたと言われています。

このポスター(『荒野の用心棒』)が非常に面白いんですよね。言ってみればこのマカロニ・ウエスタンの非常に複雑なというか奇妙な立場をよく表現しているんです。監督はボブ・ロバートソン。クリント・イーストウッドはもちろんアメリカン人です。マリアンナ・コッホはドイツ人の女優さんがヒロインで他は全部アメリカ人なんですね。ジョン・ウェルズ、これはジャン・マリア・ヴォロンテという俳優で敵役なんですけど彼はジョン・ウェルズというクレジットになっている。音楽はモリコーネになってますけど、プリントではアメリカ人名です。監督のボブ・ロバートソンというのは誰だということなんですが、これはセルジオ・レオーネ監督のアメリカ名なんですね。つまり最初から、イタリアの西部劇というタイトルで出すとまがい物だと思われるのであえてアメリカ人が作った映画のように偽装していた。そこらへんに非常に複雑な心理があるわけです。

そもそもマカロニウエスタンがなぜ生まれたのかという話をしていきたいんですが、ロケ地はもっぱらスペインの南部の町でつくられていました。色々な理由があります。ひとつはヨーロッパロケのアメリカ映画の存在ですね。第二次世界大戦後、ヨーロッパは壊滅状態にありましたから、多くの輸出があって、でもその金を全部アメリカに戻しちゃうと復興の妨げになる、ということでドルを本国に持ち帰る制限があったわけです。アメリカ映画が大量に上映されて、興行収入をあげるわけですが、それをアメリカに持ち帰るのは制限されていた。それをヨーロッパで使わないといけないというわけでヨーロッパ・ロケのアメリカ映画が何本かつくられました。最も有名なのはいわゆる一連の歴史劇ですね。『北京の55日』とか『ソドムとゴモラ』とか巨大な歴史劇・巨大なセットを作ってスペインロケで歴史ドラマを作っていました。ロケ地にスペインを選んだのは、気候の問題とかだと思うんですが、同じようなパターンでスペインロケのアメリカ西部劇というのがありました。『荒野の七人』がたしかスペインロケですね。そういう形でスペインで西部劇あるいは映画を撮るということでスタッフも育成されるしロケの便がやりやすいという状況があったんですね。

もうひとつはイタリアの映画人という特殊な存在です。ヨーロッパは戦争前はもちろんドイツがヨーロッパ国内では最大の映画大国だったんですがドイツは様々な理由でというかユダヤ人の映画作家たちが国外に脱出し、国は破綻して、ほぼ映画産業は壊滅してしまいました。一方でイタリアは戦前からの、サイレント時代からといってもいい歴史劇の伝統がありまして、それがある意味温存された。戦後はいわゆるイタリア産歴史劇というものが大量につくられていました。英語だとソード&サンダルものと言うんですけど、要するに薄物を纏ったグラマーな美女と筋骨隆々の剣士のチャンバラ映画。日本でいうところのチャンバラ映画なんですが。史劇といっても例えばヘラクレスだとか、ローマやエジプトやギリシャとかの神話を映画にしたチャンバラ娯楽映画、というのが大量につくられていました。そのスタッフとキャストというのが、あくまでもイタリア国内ですけれど、娯楽映画のフォーマットとしてはほぼそこで出来上がっていたわけですね。それがそのまんま流用される形で流れ込んだのがマカロニ・ウエスタンだったということです。

この『荒野の用心棒』は1964年にイタリアでつくられます。ここにイーストウッド、セルジオ・レオーネ、音楽のエンニオ・モリコーネという主要プレーヤーを集結する形でこの映画は生まれます。セルジオ・レオーネはもともと西部劇が大好きで西部劇を作りたかった人です。レオーネの執念で集まったメンバーということです。主役はアメリカ人で撮りたかった。最初はヘンリー・フォンダに打診するんですけど、イタリア人の作る映画なんかに出られるかということで断られ、チャールズ・ブロンソンとか色々名前は挙がったが片っ端から断られて最終的にTVでくずぶっていたイーストウッドが呼ばれることになる。イーストウッドはちょうど『ローハイド』に出ている最中だったのでその間は映画には出られないという契約だった。だけど彼はもちろん映画をやりたかったわけですから、イタリアでも主演で西部劇やらせてくれるというので二つ返事で飛んできたわけです。

タイトルは『荒野の用心棒』。今では大変有名ですけど、黒澤明の『用心棒』という映画の盗作だと騒がれたんです。盗作というのは本当に盗作で、レオーネは『用心棒』をみてこれはすごいと思い、これを基にして西部劇をつくればいいんだと実際に劇場へ行って映画を見て脚本を書き起こしたというくらいなので盗作なんですよ(笑)。でもレオーネとしては盗作するつもりはなくて、リメイクを作ろうということでリメイク権を買ってくれとプロデューサーにお願いしていたんです。どういう加減でそうなったのか、そこら辺はよくわからないんが、どうやらプロデューサーはバレやしないだろうと思って買わなかったらしい。レオーネには「大丈夫大丈夫やっておいたから!」と言っておいて実際には何もやってなかった。これがイタリアで公開されてこれは面白いと大評判になりました。当時東宝のイタリア支局の人がいて、評判になっている西部劇があるらしいと観に行ったら「これは『用心棒』じゃないか、どういうことなんだ」とびっくりして(笑)、東宝本社からどういうことだと裁判を起こすことになる。最終的には和解して、東宝東和が日本での配給権をもらう。最初からお金払ってリメイク権を買っていればもっと安く済んだのに、賠償金がだいぶ高くなっちゃったんですね。ちょっとまけてやるかわりに日本とアジアでの配給権をよこせ、ということになり東宝東和で配給されることになりました。

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