「ノンフィクションの筆圧」安田浩一ウェブマガジン

【無料記事】「ヘイトスピーチ解消法」施行を前に — ウェブマガジン開始のごあいさつ

 
名古屋ヘイトデモに抗議するカウンター(2016年5月29日)

ヘイトスピーチ解消法、成立

 5月24日、「ヘイトスピーチ解消法」(正式名称・本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律)が可決、成立した。

 政治が動いた。いや、ヘイト被害の当事者、そして理不尽な差別に反対する人々が政治を動かした。

 この10年近く差別団体の活動と、その被害実態を見続けてきた私からすれば、「確実に前に進んだ」という思いが強い。

 国会の傍聴席で法案成立を見届けた後、私のなかで様々な風景がよみがえった。

 たとえば、まだ「ヘイトスピーチ」なる言葉も一般的でなかったころ──。私が在特会などの差別者集団の動きを取材するようになったのは2007年からである。外国人実習生が警察官に射殺された事件の裁判で、初めて「生身のネット右翼」を目にしたことがきっかけとなり、ヘイトデモ・街宣の現場を回ることとなった。

 ヘイトの現場は、ただひたすら不快だった。正直、こわかった。剥き出しの憎悪、下劣な言葉、ときに笑いながら罵倒するような”軽さ”に恐怖を覚えた。それまで取材で接してきた暴力団や胡散臭い事件屋よりも、気味が悪かった。

 だからこそ、取材したいと強く感じた。一人の記者として、この不快や恐怖を伝えたかった。

 だが──。多くの編集者の反応は冷ややかなものだった。知り合いの新聞記者やテレビマンも同様だった。

 リベラルを自称する編集者は「いつの時代にもバカはいる」のだと、ニュース価値を否定した。保守的な記事を量産してきた編集者も「誌面が汚れるだけ」だとそっぽを向いた。

「いずれ淘汰される」「一過性のもの」

 そう話すマスコミ関係者がほとんどだった。

 ネタを握りつぶされた気持ちになった私は、同業者の鈍感さを恨んだ。舌打ちし、腐ってみせることで、自分だけが「わかっている」のだと思うようになった。

 情けない。恥ずかしい。いま、振り返ってみれば、同業者も、そして私も、肝心なものを見ていなかった。

 私が、私たちが目にしていたのは「ヘイト加害者の姿」だけだったのである。ヘイトスピーカーを異形の者として、その醜悪さ、下劣さだけをあげつらい、この問題を考えるうえで一番大事なこと──つまり、被害の実態を見ていなかった。

 ヘイトスピーチは人間を壊していく。被差別の当事者の心を壊し、加害者をも壊していく。さらには地域に分断を持ち込み、社会を破壊していく。

 そのことに気がつくまでに時間を要してしまった。結局、淘汰されるどころか差別者集団の隊列は膨らみ、事態を甘く見ていたメディアは、「ネタ」としての認識しか持つことのなかった私も含め、差別デモの拡大に手を貸すことになってしまった。

 苦い思いが、いまでも抜けない。

 そして、在日コリアンなどの排斥を訴えるヘイトデモがようやく社会問題としてメディアが頻繁に報じるようになったのは2013年になってからである。

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