「ノンフィクションの筆圧」安田浩一ウェブマガジン

「人身売買」大国ニッポン 2 〜 法務省の基準を無視する司法と、人身取引被害者を救済しない「美しい国」に母子は引き裂かれた

そして母子は離別の道へ

 葛藤を繰り返したあげくの、それは苦渋の選択だった。
「悲しくて、つらいことだけど」
 高校2年生のウォン・ウティナン君(16歳)は、そう前置いたうえで、自らの決断を報告した。
「誰であっても、いつかは親と離れて生きていかなければなりません。僕の場合、それが少し早くなっただけだと考えるようにします」
 国外退去処分の取り消しを求めて裁判闘争を続けてきたタイ人母子は、ついに離れて暮らすことになった。

裁判報告会でのウティナン君母子

 人身取引被害者として日本での不法滞在を強いられたタイ人女性(44歳)と、女性の子で日本で生まれ育ったウティナン君(16歳)が、先の東京地裁判決を受けて以降、初の報告集会を甲府市内で行った。
 集まった支援者や同級生を前にして、ウティナン君から、今後はひとりで日本に残り、在留許可を勝ち取るまで闘うといった方針が報告された。
 不法滞在を理由に退去強制処分を命じた東京入国管理局を相手取り、処分取り消しを求めた裁判を闘ってきた母子については、7日に報じたとおりだ。
 東京地裁は母親の長期に及ぶ不法滞在を「悪質」だと判断、日本で生まれ育ったウティナン君に対しても、「高い順応性」といった意味不明の理由をもって、日本にとどまりたいとう願いを退けた。
 判決後、母子と支援者らは話し合いを重ねた。支援継続を確認しつつ、しかし客観的に状況を検討するなか、ウティナン君のみが控訴し、母親は帰国することで今後の方針を固めた。
 というのも、地裁判決では母子の請求を棄却する一方、次のようにも指摘しているのだ。

(ウティナン君は)定時制高校に進学するなど、本邦の社会への順応の度合いを高めつつあることがうかがわれ、仮に、今後、原告母が本国に送還された後も原告母に代わって原告子(※ウティナン君のこと)の監護養育を担う監護者となり得る者が現れてそのような支援の態勢が築かれ、原告子自身も本国に帰国する原告母と離れても日本での生活を続けることを希望するなどの状況の変化が生じた場合には、そのような状況の変化を踏まえ、再審情願の審査等を通じて、原告子に対する在留特別許可の許否につき改めて再検討が行われる余地があり得るものと考えられるところである。

 わかりにくい文章であるが、この裁判を母子の立場で闘ってきた児玉晃一弁護士は、次のように翻訳する。

「要するに、ウティナン君に関しては、もう一度、入管に行ってお願いしなさい、と。そうすれば、もしかしたら良いことがあるかもしれませんよ、といった意味です。実際、ウティナン君に関しては、在留特別許可のガイドライン(※)に照らし合わせても、なんら消極事由がない。ですから裁判所としても、日本に残るための一定の含みを持たせたのでしょう。であるならば、ちゃんとした判決を書けばいいだけなんです。わざわざ敗訴させるような理由などないはずです」

 (※)編集部註:在留特別許可のガイドライン」とは、非正規滞在者(不法滞在、オーバーステイ、難民申請者)を対象に、在留許可を与えるために法務省が定めた基準。日本での定着性、家族状況、生活状況、人道的配慮などが総合的に判断される。

 ウティナン君母子は日本での滞在が17年にも及んでいる。これほどまでに滞在が長期化しているうえ、その間に多くの友人、知人に恵まれ、人間関係を築いてきた。しかも自ら入管に出頭しているのだ。

「判決では長期間の滞在を消極事由としていますが、そんなことはガイドラインのどこにも記されていない。そもそも定着性が重要であるのならば、長期滞在するしかないわけです。まったく矛盾した判決だったわけです」(児玉弁護士)

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