「ノンフィクションの筆圧」安田浩一ウェブマガジン

福岡ヘイトビラ事件 判決にみる「差別事件」として踏み込まない司法と「謝罪と反省」の方向の曖昧さ

 

福岡の商業施設にヘイトビラ、有罪判決

 107日午後1時10分。福岡地裁(福岡市)第4号法廷の傍聴席に、ほぼ空席はなかった。前日に地元紙「西日本新聞」が1面トップで「ヘイト裁判 割れる評価」と題してこの事件を報じた。それによって関心が高まったものと思われる。
 岩田淳之裁判官に促され、被告男性(64歳・同市南区在住)が証言台に立った。紺ブレザー姿の男性は恰幅もよく、一見、企業経営者風でもある。
「それでは判決を言い渡します」
 裁判官がそう告げると、男性は両の手で握りこぶしをつくった。
「被告人を懲役1年に処する。ただし、この裁判が確定した日から3年間、その刑の執行を猶予する」
 男性は裁判官に向かって頭を下げた。
 検察側の求刑は懲役1年6月だった。量刑に関しては、おそらく予想の範囲内であったのではないだろうか。男性も、そして弁護人も、落ち着いた表情で、そのあとに続く量刑理由を耳を傾けていた。


各紙はヘイトビラ事件の有罪判決を一斉に報じた

 「事件」は今年6月17日から30日の間に起きた。
 男性は市内の「福岡パルコ」、「ソラリアプラザ」、「西鉄高速バスターミナル」の各トイレなど14か所に侵入、在日コリアンを中傷、差別するビラを貼った。
 関係者によればビラは2種類(いずれもA4判)。
 「在日コリアンの社会迷惑」と題されたビラには、消費者金融、暴力団の多くが在日コリアンによって占められているとする文言や、在日コリアンが起こしたとする事件名などが連ねられていた。
 また「日本人をだますコリアン政治家」「日本人を排除、差別する企業」などと題したビラには、政党別に在日コリアン議員の人数を記したり、または在日コリアン系の企業名などが書かれていた。
 各ビルの施設管理者からの通報で福岡県警が捜査に着手。630日、男性は警戒中の捜査員に建造物侵入容疑で現行犯逮捕された。
 逮捕直後の調べに男性は「用を足すついでにビラを貼っただけで、容疑には納得がいかない」と供述したという。
 以上が事件のあらましである。
 判決では「量刑理由」を次のように説明している。

 被害者らは(※侵入被害を受けた各商業施設のこと)、いずれも、本件各犯行により貼付されたビラは特定の外国人等を排除する内容で、企業や商業施設として重要な顧客の信頼を損なうため貼付を許可することは考えられないなどとしており、生じた被害は大きい。
 本件は、貼付されたビラが不特定多数の利用者の目に触れやすいバスターミナルや駅ビル、商業施設のトイレを殊更に狙った計画的犯行である。動機に特段酌むべき事情も見出せない。
 約2週間に10件の同種事犯を繰り返したことは強い非難に値する。被告人の刑事責任は到底軽いものとはいえず、本件についての懲役刑の選択は免れない。
 他方、被告人は本件各犯行を認めて反省の態度を示し、今後は妻の監督に従う旨を述べている。被告人には前科がない。被告人は被害者らに対して謝罪や被害弁償の意向を伝えるなどし、10万円の贖罪寄付を行った。本件により一定期間身柄拘束された。これらの被告人に対して酌むべき事情を考慮し、主文の刑期を定めた上、情状によりその他の刑の執行を猶予することとした。

 男性は大学卒業後、学習塾経営などにもかかわり、犯罪などに手を染めたことはない。今回の事件では一部メディアによって実名報道もされ、社会的制裁も受けている。40日間という長期の身体拘束も受けた。弁護人を通じて西鉄やパルコなどに謝罪を申し出たほか、さらに、日弁連に対し、改悛の真情を表すための「贖罪寄付」(犯罪被害者支援などに使われる)もしている。
 また、同居する妻も、二度と同じことを繰り返さぬよう、今後の監視を約束したという。
 情状酌量する余地は十分にあるだろう。
 だが、男性がこれまで裁判で口にしてきた「謝罪」の意味を考えると、あるいは判決の中で触れられる「謝罪」の内実に関しても、私にはどうしても、しっくりいかない部分があるのだ。
 今回の裁判が全国的にも注目されたのは、6月に法施行されたヘイトスピーチ解消法が同事件に一定の存在感を与えたと見られるからだ。
 地元記者によれば、福岡地検は起訴時に、建造物侵入容疑という軽微な事件としては異例ともいえる記者レク(司法担当記者を集めた背景説明)をおこなったという。そこでは担当検事が「新法ができた情勢にも照らし、悪質と判断とした。こうした趣旨の起訴は全国でも珍しい」などと話した。
 さらに論告でも検察側はこの事件を「社会全体として本邦外出身者に対する不当な差別的言動を廃絶しようとしている現在の情勢に逆行するものだ」と指摘している。
 であればこそ、判決でもヘイトスピーチ問題に踏み込んでほしかった。差別の罪深さを被告に伝えることで、社会に対してメッセージを送ってほしかった。単純な建造物侵入ではなく、明確な差別事件であったことを示してほしかった。相場以上の量刑であることに、丁寧な説明がなければ、その意味は社会に届かない。
 また、被告男性の「謝罪」に関しては、あくまでもビルの施設管理者に向けられていることにも違和感を覚えざるを得ない。
 判決でも示されているよう、確かに「顧客の信頼を損なう」行為に対しての謝罪は必要だろう。一方、事件の本当の被害者は、不当な差別を喧伝された側、つまり、在日コリアンである。トイレの壁はビラを剥がせば原状回復できる。しかし人間の心は、感情は、簡単には修復できない。日弁連に贖罪寄付をしたところで、差別に傷ついた者たちを癒すことにはならない。デタラメな情報で社会に分断を持ち込み、ヘイトスピーチで人や社会を傷つけた罪は重たい。「謝罪」の向く先は、ビル管理者だけであっていいはずがないのだ。

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