「ノンフィクションの筆圧」安田浩一ウェブマガジン

【速報】「人身売買」大国ニッポン 2 〜 「僕は日本にいてはいけないのでしょうか」 在留特別許可を求めたウティナン君控訴審・意見陳述全文

母親がそばにいない控訴審、はじまる

 「不法滞在」で強制退去処分を受けたタイ人少年、ウォン・ウティナン君(17歳・甲府市在住)が処分取り消しを求めた裁判の控訴審が、10月18日、東京高裁でおこなわれた。
 当初は人身取引の被害者でもある母親のロンサーンさん(44歳)と一緒に 滞在資格を求めて裁判を闘ったが、一審では敗訴。これを受けてロンサーンさんは9月にタイに帰国、ウティナン君のみが控訴し、さらに裁判闘争を続けることになった。
 これまでの経緯については『「人身売買」大国ニッポン2』シリーズにて、3回お伝えしている。

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 この日も傍聴席はウティナン君を支援する人々で埋まった。その多くは、ウティナン君の同級生の母親たちだった。

東京高裁前でのウティナン君

 開廷前、ウティナン君は落ち着かない様子を見せていた。
「昨夜はよく眠ることができなかったんです」
 胸に手を当て、深呼吸をする。
「ただでさえ平熱が高いのに、今日は緊張して、さらに体温が高くなっているような気がするんです」
 無理もない。大事な控訴審だ。意見陳述もしなければならない。いつもそばに寄り添ってくれた母親が、この日はいない。寂しげな表情を浮かべながら、「緊張する」と何度も繰り返した。

 午後2時。控訴審が始まった。
 裁判官に促されて、ウティナン君が証言台に立つ。
 身に着けた紺のスーツは、ウティナン君の一張羅だ。線の細い体型にはフィットせず、余裕のありすぎる寸法が、かえって心許なかった。
 ウティナン君は手にした原稿用紙を広げた。何度も書き直したという自筆の陳述書だ。裁判官に一礼すると、彼はそれを読み上げた。
 ゆっくり、ゆっくり。一語一語をていねいに、しっかりした口調で彼は自分の気持ちを訴えた。心配するまでもなかった。ウティナン君は堂々としていた。

 以下、ウティナン君の意見陳述の全文である。

 6月30日に東京地方裁判所で判決が出て、母も僕もタイに行くよう言い渡されました。そして、9月15日に母はひとりでタイに帰りました。悲しい、そして悔しいというのが今の気持ちです。

 悲しいのは、母がタイに帰ってしまったことです。判決文には、母がタイに帰り、僕の保護をしてくれる人が日本にいれば、僕に在留と区別許可が出る可能性があるかもしれないとあります。僕と一緒に日本にいたかった母は、このまま日本に残って控訴するか、タイに帰るか悩んだはずです。しかし、僕が日本にいられる可能性が高くなるのだったらと、タイに帰ることを決めました。勇気の要る決断だったと思います。母の覚悟を考えると、母はすごいと思うし、感謝しています。

 僕は父の記憶がありません。小さいころからずっと、母と二人きりで生きてきました。母は、僕の唯一の理解者で心の支えでした。支えだった母が、そばにいなくなったことによって、心に穴が開いてしまって、考えれば考えるほど悲しくなってしまいます。

 悔しいのは、敗訴になったことで、地域のみなさんや、友だち、学校の先生が僕のためにしてくれたことが、無視されたことです。地域の皆さんや、友だち、学校の先生は、僕と母のために署名や寄付を集めてくれたり、チャリティーバザーやチャリティー落語会を開いてくれたり、裁判の傍聴に来てくれたり、裁判官に嘆願書を書いてくれたりしました。それなのに敗訴となってしまいました。僕は悔しいです。

 僕は日本に生まれて日本で育ちました。日本が自分の生まれ育った場所で、故郷です。地域の皆さんや友だちが、たくさんいる場所で、僕の居場所です。僕は小学校に行きませんでしたが、支援してくれる人たちがいたおかげで、一生懸命勉強して中学校の授業に、なんとかついていけるようになりました。そして、高校にも合格して、今は楽しく高校に通っています。

 日本を思う気持ちは他の人と変わりませんし、日本が大好きです。僕はタイに行ったことがありません。タイには母がいるだけで、友だちもいなければ、知り合いもいません。タイ語も簡単な日常会話ならできますが、タイ語のニュースは言葉が難しすぎて理解できませんし、読み書きもできません。自分の名前すらタイ語では書くことができません。そんなタイで生活することは僕には考えられません。僕はこのまま日本に住み続けたいです。

 在留特別許可が出たら、裁判を始める前に心に決めたように、まじめに働きながら勉強を続けて、僕と同じ境遇の人がいたら、その人たちのために今まで経験してきたことを役立てたいです。苦しい人、つらい人、心に傷がある人を助けられるようになりたいです。

 最初、裁判をする覚悟を決めるには、勇気が要りました。なぜなら、裁判をするには、中学校の友だちみんなに自分の状況を話さなければいけないし、地域の皆さんにも自分のことが知られてしまうからです。それでも、そうなるとわかったうえで、僕は裁判をすることを決めました。みんなに僕のことが知られてしまっても、日本で生活したいと思ったからです。そして、僕の覚悟を知った友だちや地域のみなさんは、僕のことを支援し続けてくれています。みなさんへのご恩返しになるということからも、裁判で在留許可を勝ち取りたいと思います。

 僕はたくさんの人たちの協力を得て裁判をしています。裁判は高校生の僕にとって非常に大きな経験です。何十年経っても忘れられない経験になるに違いありません。これからも悲しいことやつらいことがあると思いますが、どんなに苦しくても、この裁判のことを考えたら、乗り越えられます。

 僕の願いは、生まれ育った日本にいたいという、ただそれだけのことです。

 僕は日本にいてはいけないのでしょうか。僕が日本にいることで、なにか迷惑になるのでしょうか。僕はなにか悪いことをしたのでしょうか。

 僕は、まだまだ日本でやりたいことがたくさんあります。もっと勉強したいし、日本語も上手になりたいし、就職して人の役に立つような仕事がしたいし、温かい家庭をつくりたいです。

 僕はタイに行かないといけないのでしょうか。

 お願いですから、このまま僕を日本にいさせてください。タイに行けなんて言わないでください。どうか、僕の願いをわかってください。そして、力を貸してください。よろしくお願いします。

  ウティナン君はもう一度、頭を深く下げた。
 ウティナン君の訴えは果たして裁判官に通じただろうか。願いは届いたであろうか。私はただ、祈るような気持ちで、無表情な裁判官の顔を見つめるしかなかった。

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