「ノンフィクションの筆圧」安田浩一ウェブマガジン

【プレイバック Part.1】ウェブ版『「ペンの力」とメディア〜レイシズム、ポピュリズム、ナショナリズムと闘うには』 石丸次郎 × 西岡研介 × 松本創 × 安田浩一

 今年の9月22日、大阪にて安田浩一ウェブマガジン主催トークイベント 『「ペンの力」とメディア~レイシズム、ポピュリズム、ナショナリズムと闘うには 石丸次郎 × 西岡研介 × 松本創 × 安田浩一』を開催いたしました。外では雨もぱらつく中、会場は満員となる大盛況で、予定時間をオーバーしての四人の熱いトークが繰り広げられました。当ウェブマガジンでは、今回から三回にわたり、このトークイベントのウェブ版を公開いたします。会場で話し足りなかった部分も加筆し、当日ご参加いただいた方にも再度楽しんでいただける内容とボリュームでお届けいたします。(編集部)

メディアとして、どう時代と向き合い、抗うのか

安田:足元の悪い中、ありがとうございます。まさかこんなに人が集まるとは思っていませんでした。まずは自己紹介をお願いしたいと思います。

石丸:石丸次郎と申します。アジアプレスという、主に国際報道をやっているジャーナリスト・グループに所属しています。最近は主に朝鮮半島の取材をしているビデオ・ジャーナリストです。今日はよろしくお願いいたします。

西岡:西岡研介といいます。最近はヤクザ社会ばかり追いかけていますが(笑)、その前は神戸新聞におりまして、それから『噂の眞相』という、今は無くなった雑誌におりまして、さらに週刊文春、週刊現代と渡り歩き、2008年からフリーランスで仕事をしています。

松本:こんにちは。松本創と申します。フリーランスのライターで、編集仕事もやっています。西岡さんの神戸新聞の、年次でいうと一年下になります。当時から飲み友達というか、腐れ縁です(笑)。神戸の灘に住んでいるんですが、この会場のある中之島界隈には、非常になじみがあるんです。というのは、『月刊島民』という、中之島周りのことだけを書くというマニアックなフリーマガジンの創刊から関わっていまして、この辺をよく歩いていたんですけど、こんなおしゃれな店があるとは露知らず。今日は場違い感丸出しですけど、よろしくお願いいたします。

安田:非常にアクが強いというか、個性的な人たちが来てくださいました。
 私自身のことからお話します。私は週刊誌記者を経てフリーになりましたが、週刊誌時代から必ずしも「デキる記者」ではありませんでした。特ダネを飾るという記者ではなかった。編集部でも私の評価はとても低かったと思います。ですが、当時の週刊誌、私がいたのは90年代ですが、その頃はいまよりもっと自由に仕事ができたような気がします。だから楽しかった。
 飲み屋でデスクと話をしていると、「安田、お前誰に会いたい?」などと聞かれる。私は咄嗟に「天皇」と答えたら、「そりゃ無理だろう」と(笑)。仕方なく次の候補として「ネルソン・マンデラ」と答えました。ちょうどその年はアパルトヘイトが撤廃された96年。デスクは、「じゃあ行って来い」と言うわけです。酒呑みながら。だいたい、南アフリカがどのへんにあるかわからない、そもそもマンデラの住所や電話番号も知らない、どうやったらいいのかわからないけど、とりあえず編集部はお金を用意してくれるんですね。で、とにかくマンデラの家へ行って来いと。行けばなんとかなるかもしれないと。だいたい僕らはそういう取材をしているわけです。結果から言えば、マンデラの家には行けたけど、マンデラには会えなかった。しかし、マンデラの周辺、あるいはマンデラに希望を託した人々の声を拾う、そういうことができた。それだけではなくて、様々な海外取材がバンバンできた、そういう時代に、非常に幸せな時に週刊誌記者時代を過ごしたなという気がするわけです。
 実はその時の経験というのが、僕にとっては血肉となっている。週刊誌の記者を続けることによって、あるいは一種の嗅覚みたいなもの、あるいは取材のテクニカルな問題、そうしたことをひとつひとつ学んでいったような気がします。
 今、若いライターと話していると、かわいそうだなと思うのは、そうした訓練の場所というのがほとんどない。まず週刊誌自体が、フリーライターの雇用の受け皿になっていないということ。多くのライターは取材の訓練も受けていないし、そもそも発表する媒体もない。昔は長尺の記事を発表できる媒体があったわけです。ところが今、ノンフィクションを発表する場所がないんですね。そうした環境で、書き手はどう自分の問題意識を世間に向けて発表していくのか、極めて深刻な状況です。書く能力も取材する能力もある若いライターさんはいっぱいいます。しかし、そうした人々の力作がなかなか世間一般に浸透しない。そうした中で、今日集まったこの三人は、それぞれ書く場所を持っている、書く力がある、取材する力も持っている、そして影響力もある。しかも関西を拠点としているということがとても重要だと思っていて、今回、大阪でお話させていただくことができました。
 この三人は関西から日本の社会の問題を、あるいは世界をきちんと見つめて、取材をして、論じている。そこがすごいと思うんです。今の混沌とした社会の中で、メディアとして、時代とどう呼応していくのか、向き合っていくのか、あるいは抗っていくのか、そうしたことをお話していただきたいと思っています。

 まず、お一人ずつお話いただきます。


石丸次郎氏

 石丸次郎さん。国際報道の中でも、北朝鮮取材の第一人者です。ビデオ取材は日本国内だけでなく、世界中のテレビ局で、石丸さんや石丸さんの仲間が映した映像が流されています。北朝鮮取材ではギャラクシー賞(編集部註:放送批評懇談会が日本の放送文化の質的な向上を願い、優秀番組・個人・団体を顕彰する賞)を受賞されています。現在は北朝鮮内部でもジャーナリストを育成する活動もされています。特に、中国、北朝鮮報道は僕も週刊誌の現場を経験していると、いい加減なものも多いわけです。情報はいろんな形で入ってくるけれど、ソース自体が信用できるかどうかといった問題がある。刺激的であれば、つい飛びついて記事化してしまう。それが通用するんですよ。なぜかと言うと、訴訟リスクがまるでないから。金正日のどんなことを書こうが、訴えられる心配はない。だから書きっぱなしなのが非常に多いわけです。北朝鮮情報というのは精度の高いものからどうでもいいものまであります。そういう中で、石丸さんはご自身で判断するだけでなく、北朝鮮内部からしっかりネタを取ってくる、情報を取ってくるということをきちんと自分の回路に入れていて、律儀にそれを守っている。非常に地味ではあるけれど、重要な情報がわたしたちの前に提出されることがあるわけです。そうした意味においても、石丸さんの仕事にはいつも頭が下がる思いでいます。

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