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【無料記事】「人身売買」大国ニッポン 2 〜 法務省ガイドラインや国際法を無視した東京高裁判決


記者会見を行う児玉晃一弁護士(左)とウティナン君(右)

国際法『児童の権利に関する条約』も無視した判決

 一方、ウティナン君の代理人をつとめる児玉晃一弁護士は怒りで顔を真っ赤にしていた。
「薄っぺらな判決だ」
 そう吐き捨てるように言う。
 「なぜこのような判決となったのか、いまだに理解できない」
 児玉弁護士がなかでも「理解できない」と指摘するのは、法務省が定める「在留特別許可に係るガイドライン」が、まるで判断材料となっていないことだった。
 すでに何度か報じているが、非正規滞在者が在留特別許可を得るための指針として設けられたのが「ガイドライン」であったはずだった。これに照らし合わせてみれば、ウティナン君には消極要素はなにひとつない。
 彼は日本生まれの日本育ちである。日本での生活はすでに17年近い。積極要素として認められる「定着性」は十分に有している。しかも母親と一緒に入管に自ら出頭した。
「公平性を担保し、透明性を高めることを目的に定められたのがガイドラインです。これがまったく無視されている。ガイドラインがあったとしても、最終的には法務大臣が決めたことなのだから正しいのだと、判決ではそのように主張しているにすぎません。結局、大臣は偉いのだから従えということですよ。これが不当判決と言わずになんといえばよいのですか」
 判決文には次のように記されている。

 在留特別許可に関する判断は、法務大臣に極めて広範囲な裁量権に委ねられているのであって、その判断が違法とされるのは、判断が全く事実の基礎を欠き、又は社会通念上著しく妥当性を欠くことが明らかであるなど、法務大臣に与えられた裁量権の範囲を逸脱し又はこれを濫用した場合に限られる(中略)たとえガイドラインに示された実例の積極要素又は消極要素に一定の共通性が見いだせるとしても、それがそのまま一義的な判断基準となるものではなく、法務大臣等がその判断に際して、ガイドラインに拘束されることはないというべきである。

 そのうえで、地域との交流や定着性についても、こう判断している。

 控訴人(※ウティナン君のこと)は、出生以来、長野県内や山梨県内等を転々としていた一審原告母と行動を共にし、幼稚園や小学校に通うことなく、一審原告母のタイ人仲間の限定されたコミュニティの中で、ひっそりと生活して生育されていたものであって、地域社会との交わりは希薄であったことがうかがわれる。そして、12歳になってようやく、外国人支援団体の協力を得て、日本語の読み書きを本格的に修得し、地元の甲府市内の中学校2年生に編入され、本件裁決後の昨春に定時制の県立高校に進学しているところ、学校生活を中心として一般社会と広く交流するようになったのは、比較的近時のことであって、その生活歴を見ると、社会への定着性の点において、必ずしも地域社会に根付いて強固な関係を築いていたとまでは言い難い。

 判決文を読み返してみても、今の私には溜息しか出ない。
 いったい、これまで、地域においてどれだけ多くの人たちが、ウティナン君を支援してきたというのか。政治的な立場、入管制度への是非などの違いを超えて、とにかく「ウティナン君を守れ」と、地域ぐるみで声を上げてきたのだ。町内会は裁判を支えると宣言し、1万5千筆以上の署名を集めた。ウティナン君の同級生の親たちは、裁判費用を集めるためにバザーやチャリティ落語会などを開催してきた。十分、彼は地域の中に溶け込み、そして地域とともに生きている。これ以上、「定着性」のために何が必要だというのか。あるいは、もっと長期に及ぶ「不法滞在歴」が必要とでもいうのか。

 さらに、判決は国際法上からみても問題は大きい。
 一貫してウティナン君を支援してきた甲府市内の外国人支援団体「オアシス」の山崎俊二事務局長は次のように訴える。
 「日本も批准している『児童の権利に関する条約』(子どもの権利条約)がまったく無視されている」
 同条約は1989年に国連で採択され、日本も1994年に批准した。
 条約にはこのように記されている。

第3条 児童に関するすべての措置をとるに当たっては、公的若しくは私的な社会福祉施設、裁判所、行政当局又は立法機関のいずれによって行われるものであっても、児童の最善の利益が主として考慮されるものとする。

第9条 締約国は、児童がその父母の意思に反してその父母から分離されないことを確保する。ただし、権限のある当局が司法の審査に従うことを条件として適用のある法律及び手続に従いその分離が児童の最善の利益のために必要であると決定する場合は、この限りでない。このような決定は、父母が児童を虐待し若しくは放置する場合又は父母が別居しており児童の居住地を決定しなければならない場合のような特定の場合において必要となることがある。

 国際法たる同条約によれば、「児童の最善の権利」こそが考慮されなければならず、しかも、親の意思に反して「分離」されない権利をも有していることになる。
 だからこそ「国際法は二の次とでもいうのか」(山崎事務局長)とった声があがるのは当然だ。
 法の順守を主張するのであれば、国内法以上に尊重されなければならないのが国際法である。ネット上にはウティナン君に対して「法律を守れ」とする声も少なくないが、では、国際法は無視してもよいというのか。
 現在のところ、ウティナン君が上告するかどうかは未定だ。児玉弁護士は「あくまで目的は彼が日本に滞在すること。どの手段が一番いいのか、本人と支援者と相談して決めたい」と話している。
 同時に、強制退去処分の再考を求める「再審情願」(文字通り、情けを求める”お願い”)の手続きも進める方向だ。
「僕は日本にいてはいけないのでしょうか。僕が日本にいることで、なにか迷惑になることがあるのでしょうか。僕はなにか悪いことをしたというのでしょうか」
 控訴審でウティナン君はそう訴えた。
 日本で生まれたことが「罪」であるわけがない。
 彼がこれからも日本で生き続けることができるよう願いながら、私はまだこの問題を追いかけていきたいと思う。

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