「ノンフィクションの筆圧」安田浩一ウェブマガジン

団地が映し出す未来 2 〜 レイシズム、排外主義と孤立化のなかにある団地 フランス・パリ郊外 ル・ブラン=メニル団地レポート


フランス・パリ郊外のル・ブラン=メニル団地

排外主義の最前線ともなる団地

 前回に引き続き、団地の話である。
 舞台はフランス・パリ郊外だ。
 パリ北駅から乗った高速郊外鉄道は、シャルル・ド・ゴール空港駅で大方の乗客を降ろす。スーツケースを引きずった客が消えると、旅行者の浮ついた気分と入れ替わるように、生活者のありふれた日常が車内を支配する。
 白人の姿を見かけることはほとんどない。乗客の多くはアフリカ系やアラブ系の人々である。
 単調な景色が続く。どことなくくすんだ空気の中に、工場や集合住宅が延々と連なる。
 列車は進む。北東へ。移民の町へ。
 フランスにおいて「郊外」とは場所としての概念を超え、「移民」のメタファーとして存在する。家賃の安い団地が林立し、移民集住地域として知られるパリ郊外を、多くのメディアは「テロの温床」、「犯罪多発地帯」だと指摘してきた。低所得者層の移民が集住する「ゲットー」であると報じ、「イスラム過激派」との関わりを疑われる危険地帯であると紹介してきた。
 団地がニュースになるとき、それは多くの場合、暴力とドラッグ、そしてテロリズムが同時に語られる。
 2015年のパリ同時テロの犯人も、同年に起きた週刊誌銃撃事件の実行犯も、郊外の団地で生まれ育った。同時テロ事件の直後、日本の新聞は「テロリスト予備軍が育つ場になると同時に、襲撃の前線基地としても機能していた首都郊外」と報じた。
 欧州内で起きる「テロ」実行犯の多くは、欧州育ちの「ホームグロウン」なエスニック・マイノリティである。しかもほとんどが団地出身なのだ。団地が「テロリストの巣窟」だと思われる所以である。
 2005年には、パリ郊外クリシー=ス=ボワの団地において、強盗事件を捜査していた警官が北アフリカ出身の若者3人を追跡したところ、逃げ込んだ変電所において若者2人が感電死するといった事件が起きた。これをきっかけに団地に住む若者たちが警察官に投石するなどし、内戦さながらの暴動へと発展した。当時のサルコジ内相(後に大統領)が、暴動参加者を「社会のくず」と呼んだことは記憶に新しい。
 団地は「くず」の集住地として、あるいは秩序の空白地帯として、フランス人の一部に認知されることにもなった。
 日本の団地の一部でも、いま、ぎくしゃくしながらの「国際化」が進んでいる。
 高齢者住民の多い団地では、異なった生活習慣と文化を持った人々への嫌悪(ゼノフォビア)は少なくない。
 そこに加えて、日本社会の一部で吹き荒れる排外主義の嵐が、団地を襲う。
 団地に住む日本人住民と外国人住民との些細なトラブルが、大抗争に発展した事件もあった。
「外国人は出ていけ」
 そう叫びながら団地に押し掛けて街宣活動をおこなう差別者団体まで登場した。
 団地の中で外国人を蔑視、中傷するようなチラシが貼られていることも少なくない。ネット上では、団地がまるで外国人の犯罪多発地帯であるかのような書き込みも目立つ。
 ときに一部の団地は排外主義の最前線ともなる。差別と偏見の触覚だ。
 だから──パリ郊外の団地に足を運んだ。
 排外主義と孤立化のなかにある団地の現状を知りたかった。日本の団地の近未来を暗示しているとは思いたくない。だが、風景はどこかで重なる。
 私は昨年、パリへ飛んだ。高速郊外鉄道の起点でもある北駅近くの安ホテルを根城に、いくつかの団地を回った。
 

日本の団地内に貼り出された差別ビラ

ドランシー駅

「移民の街」にあるパリのマンモス団地

 パリ北駅から20分。郊外鉄道はドランシーの駅に着いた。セーヌ=サン=ドニ県の南端。ここまで来ると、すでに私が知っているパリの姿はない。華美な街並みは、ここまで及ばなかった。パリの郊外は、一般的に想像される「中産階級のベッドタウン」といったイメージとは程遠い。小さなカフェとハラール食品を扱う商店が並ぶだけの駅前通りは、どこか寂寥感が漂う。道ですれ違う人もアラブ系、アフリカ系の顔立ちであることが多い。
 セーヌ=サン=ドニ県は「移民の街」だ。
 住民の約3割が外国籍住民だといわれる。もちろんそれは行政が発表している数字に過ぎない。地元研究者によると、18歳以下の57%、さらに新生児の約65%が外国出身の親を持っているのだという。そしてセーヌ=サン=ドニ県人口の75%が「移民1世とその子孫」だという指摘もある。
 しかもそのほとんどが「団地」住まいだ。
 ドランシー駅からバスに乗り、さらに20分ばかりの場所に、ル・ブラン=メニル団地があった。
 低層、高層の住宅が建ち並ぶ。住民人口12千人のマンモス団地だ。
 各棟の前には駐車場があり、隙間を埋めるように芝生が敷かれている。小規模な公園が点在し、一部の棟は1階部分に商店が入居していた。
 風景じたいは日本のマンモス団地と変わらない。多摩ニュータウン(東京)や千里ニュータウン(大阪)を連想させるたたずまいだ。
 軽い緊張を覚えながら団地に足を踏み入れたのは事実だ。「テロの巣窟」といった先入観が足取りを重くする。
 だが、そこには拍子抜けするほどに間延びした空気が流れていた。
 人が歩く。子どもが走り回る。買い物帰りの主婦と思しき女性が家路を急ぐ。空き地で退屈そうに座りこむ若者グループがいる。団地に入居する商店の多くはシャッターを閉じたままとなっていたが、それとて、落書きがフランス語である以外、日本と変わらない。
 それだけの風景だ。つまり、目の前に広がるのは当たり前の「日常」だった。
 もちろん林立する高層住宅の奥深くに、一見の者には触れることも見ることもできない闇があるのかもしれない。だが、テロリストがテロリストであることを示す名札を付けているわけでもなければ、ましてやここは戦場でもないのだ。生活の場だ。死ぬために生きる人の場所ではなく、生き続けるための場所である。人が住む場所に天国も地獄もない。
 それでもフランス社会から偏見の眼差しが向けられるのは、この団地の住民のほとんどが、移民とその子孫であるということだろう。
 団地で私を出迎えてくれたのは地元で社会活動を続ける二人の女性、「移民と郊外の運動(MIB)」メンバーのクリステル・ハソンとズィーナ・メドルだった。二人ともアルジェリア移民の2世である。
 MIBは、エスニック・マイノリティに対する警察などの暴力に反対する団体で、主に郊外の団地住民によって組織されている。
 前述したクリシー=ス=ボワの事件が起きた際、MIBが発表した緊急コミニュケ(声明書)は日本の社会運動家にも大きな衝撃を与えた。当時、コミニュケの邦訳版は運動関係のサイトを通じて拡散され、たまたま目にした私もまた、パリのもうひとつの顔を知る機会を持つことになる。
「悲惨の種を蒔く者は嵐を収穫する」
 そう題されたコミニュケは、次のように続く。

 数年にわたる抑圧と侮辱ののちに、低家賃の公営住宅が集まる地区の若者たちは先鋭化し、クリシー=ス=ボワでのふたりの若者の死ののちに、まさしく都市ゲリラのごとく、行動に出た。彼らは1027日以来、警察と政府に立ち向かっている。彼らはニコラ・サルコジの辞任を求めている。
 抑圧はエスカレートしていき、暴力の火に油を注いだ。シラク(元フランス大統領)とドヴィルパン(元フランス首相)はイル==フランス全域と多くの都市部に非常事態を宣言した。庶民、つまり持たざる者や移民や貧困層の地区の住民は、このような事態、つまり、恐怖、人種差別、原理主義にエサが与えられる事態になったことの最大の犠牲者である。
 サルコジは内務大臣になって以来、挑発を続けた。

──パリの老朽化した住宅で50人以上の死者を出した火災に対して、彼が指示したのは劣悪な居住環境にある者の立ち退きであった。
──非正規滞在者狩りを次から次へと行い、外見だけで尋問を行い、子どもすらがその対象となった。
──「社会のクズ」など、言葉による攻撃をしてきた。クリシー=ス=ボワのモスクのなかで女性の祈りの部屋に警察が侵入することを遺憾としなかった。

 この「都市一揆」は、こうした地区で政府がとってきた政策、スティグマ化、抑圧、仲介的な役割を担う社会的ストラクチャーの解体、予防措置の解体、低家賃の公営住宅を解体して、不動産投機をやりたい放題やらせ、失業率、とくに若者の失業率が記録的に高くなるなどの結果、によりもたらされたものだ。
 政府も責任を逃れられない。というのは、政府は新自由主義的な改革を休みなく続け、社会的権利や公共サービスを崩壊させ、貧困を蔓延させた。近年の重要な社会運動や投票の結果(訳注:EU憲法の否決)も考慮しなかった。民主主義的に訴える方策は尽き果て、警察国家に近づいている。
 貧困な地区の住民、若者、年寄り、フランス人、移民、失業者、働いている者、社会的に脆弱な立場に置かれている者、劣悪な住環境にある者、「持たざる者」の運動、市民団体、労働組合、誰もが以下のことを要求するために集まることを呼びかける。

──非常事態宣言を今すぐ撤回し、貧困な地区の抑圧をやめること。
──差別と人種主義を煽るような現在の政治をやめること。このような政策は強い者をより強くし、社会的不平等、失業、社会的不安定、住宅危機、貧困、社会的排除など、若者の都市蜂起の根本的な原因を拡大するだけである。
──すべての者が、平等、正義、(雇用、収入、住宅、教育、健康・・・など)の基本的な社会権にアクセスできるようにし、貧困と差別を根絶すること。


夕暮れのル・ブラン=メニル団地

団地にはレイシズムの矛先が真っ先に向けられる

 私は「自由・平等・博愛」が及ばないフランスを知った。クリステルもズィーナも、その頃からの活動家である。MIBメンバーとして、「レコー・ド・シテ(団地の響き)」という団地住民の権利向上運動も率いている。
 ル・ブラン=メニル団地のはずれにある小さなカフェで、私は彼女たちと向き合った。
「もっと怖い場所だと思った」
 率直に過ぎる私の感想に対して、ズィーナは軽く笑みを浮かべながら、首を横に振った。
「犯罪の巣窟ではないし、テロリストの拠点でもない」
 ズィーナはそう言って、溜息を洩らした。

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