「ノンフィクションの筆圧」安田浩一ウェブマガジン

沖縄差別を扇動するのは誰か 行き先を求めてさまよう人々の憎悪の果て


百田発言を報じた沖縄タイムス紙(2015年)

 米軍普天間飛行場の全景を視野に収めることができる嘉数高台公園(沖縄県宜野湾市)は、かつての激戦地だ。
 公園内には沖縄戦時に住民が避難した洞窟や、日本軍が使用したトーチカが残されている。トーチカの内部には無数の弾痕があり、ここで激しい戦闘があったことを物語る。
 この丘に陣取った日本軍と、それを攻め落とそうとする米軍との間で16日間にも及ぶ激戦が展開された。米兵はここを「死の罠」あるいは「忌まわしい丘」と呼んだという。
 そうした戦跡にあって、しかし見晴らしのきく展望台の上は、忌まわしさも忘れるような穏やかで優しい風が吹き抜ける。
 地球儀を模した球体の展望台に立つと、視界がぱっと開ける。
 南側には浦添や那覇の市街地が広がる。西の彼方、海の向こうに浮かんで見えるのは慶良間の島並みだ。沖縄本島でも稀有なビューポイントは、北東の方角に視線を転じたとき、はじめて風景の歪みを網膜に収めることになる。小高い丘の上を流れる心地よい風は、その瞬間、殺伐とした空気に変わり、生々しい現実をくっきりと浮かび上がらせた。
 住宅やビルが密集する宜野湾の市街地を目で追うと、あるところからバッサリと、まるで鉈で乱暴に断ち切ったように街並みが途絶え、その向こう側に広大な滑走路が横たわっているのであった。「世界で最も危険な基地」と言われる普天間基地だ。
 総面積4.83平方キロ。宜野湾市の実に25パーセントを占有している基地の姿は、まさに戦後の沖縄を象徴する風景でもある。
 市街地を分断する形で広がる滑走路は、不自然というよりも、どこか理不尽で暴力的な印象を与えた。いや、これは暴力そのものではないのか。人間の営みを無視するかのようにふてぶてしく居座り、そして周囲を威嚇しているように見える。
 沖縄はこのような暴力を内に抱え、いや、強いられ、時を刻んできた。

     

 嘉数高台から見る普天間基地

 普天間飛行場所属のCH53E大型輸送ヘリが、基地に隣接する普天間第二小学校の運動場に窓を落下させた事故で、同小や宜野湾市教育委員会に対し誹謗(ひぼう)中傷の電話が相次いでいるという。

「学校を後から建てたくせに文句を言うな」
「やらせじゃないのか」

 こうした誹謗中傷の電話は、ヘリの部品落下が疑われている近隣の保育園にも向けられた。ネット上では「(保育園の)園長が自ら仕掛けたのではないか」といった書き込みも見ることができる。
 悪意が被害現場を襲う。偏見が人を貶める。なんとも許しがたい。
 翁長雄志沖縄知事は12月21日、「目の前で落ちたものまで『自作自演』だという。それ自体が今までにない社会現象だ」と会見で語った。
 思い出すのは、20131月の銀座(東京)である。翁長氏(当時は那覇市長)が先頭に立った「オスプレイ配備反対」を求めるデモ行進に、沿道から「非国民」「売国奴」といった罵声が投げつけられた。小学校や保育園に対する攻撃は、あの日の風景と重なる。
 沖縄に差別や偏見が向けられるのは、今に始まったことではない。だが、よりわかりやすい形で、巧妙に、陰湿に、それが扇動されていることこそ、翁長氏がいう「社会現象」ではないのか。
 2015年、自民党の若手国会議員らの学習会で、講師として招かれた作家・百田尚樹氏が普天間飛行場の成り立ちについて、次のように発言した。
「(普天間基地は)もともと田んぼの中にあり、周りに何もなかった。基地の周りに行けば商売になると、みんな基地の周りに住みだした」
 今回の落下事件における誹謗中傷は、同発言の焼き直しである。

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