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【速報・無料記事】「私は捏造記者ではありません」 植村裁判札幌訴訟 最終弁論

「大事なことなので、ここで皆様方に、もう一度、大きな声で訴えたいと思います」
 植村隆氏は手にしていた書面から目を離した。正面を見据え、呼吸を整える。右手を振り上げ、人差し指を前に突き出した。
 そして、弾力のある声が法廷に響く。

「私は捏造記者ではありません」

  元朝日新聞記者の植村氏が出版3社(新潮社、ダイヤモンド社、ワック)とジャーナリストの櫻井よしこ氏を訴えた「植村裁判・札幌訴訟」(参照)の第12回口頭弁論が76日、札幌地裁であった。札幌訴訟の最終審理である。
 60枚の傍聴券を求めて並んだのは113人。関心の高さがうかがえる。
 開廷は午後2時。冒頭、まずは原告代理人を代表して伊藤誠一弁護士による意見陳述がおこなわれた。
 伊藤弁護士は、今回の裁判で審理の対象となったのは「脅迫的言辞・威嚇によって歪められた言論空間において、被告らによって繰り返された名誉棄損行為の違法の程度である」としたうえで、次のように主張した。

「真摯な取材結果に基づく記事が、なぜ、読者を誤導させるというのであろうか。被告らは多弁を用いたが、説得的であったとは到底言えなかった」

「被告・櫻井は『暴力をあおったことなど一度もない』と述べる。だがそのように述べた後に『社会の怒りを掻き立て、暴力的言辞を惹起しているものがあるとすれば、それは朝日(新聞)や植村氏の姿勢ではないでしょうか』と発言している。それこそ一般の読者は、暴力を煽っていない、という先の言葉にも拘らず、被告櫻井が『報道の自由を脅かす暴力』を容認していると読み取るであろう」

「憎悪が、一瞬にして爆発的に増幅されて拡散するというインターネット社会の特徴が巧みに利用されて、名誉を傷つけられているというべき本事案について、司法的な解決を求めているこの訴訟に相応しい救済をしていただくよう、そして将来起こりかねない類似の例を予め防ぐに足る判断をしていただくよう、改めて求める」

 続けて、植村氏が札幌訴訟における最後の意見陳述に立った。
 以下、その全文を掲載する。

 今年3月、支援メンバーらの前で、直前に迫った本人尋問の準備をしました。「なぜ、当該記事を書いたのか」、背景説明をしていました。こんな内容でした。

 私は高知の田舎町で、母一人、子一人の家で育ちました。小さな町でも、在日朝鮮人や被差別部落の人々への理不尽な差別がありました。そんな中で、「自分は立場の弱い人々の側に立とう。決して差別する側には立たない」と決意しました。そして、その延長線上に、慰安婦問題の取材があったと説明していました。

 その時です。突然、涙があふれ、止まらなくなり、嗚咽してしまいました。
 新聞記者となり、差別のない社会、人権が守られる社会をつくりたいと思って、記事を書いてきました。それがなぜ、こんな理不尽なバッシングにあい、日本での大学教員の道を奪われたのでしょうか。なぜ、娘を殺すという脅迫状まで、送られてこなければならなかったのでしょうか。なぜ、私へのバッシングに北星学園大学の教職員や学生が巻き込まれ、爆破や殺害の予告まで受けなければならなかったのでしょうか。「捏造記者」と言われ、それによって引き起こされた様々な苦難を一気に思いだし、涙がとめどなく流れたのでした。強いストレス体験の後のフラッシュバックだったのかもしれません。

 本人尋問が迫るにつれ、悔しさと共に緊張と恐怖感が増してきました。反対尋問で再び、あのバッシングの時のような「殺意」「憎悪」にさらされるだろうと思ったからです。
「そうだ、金学順(キム・ハクスン)さんと一緒に法廷に行こう」と考えました。そして、金学順さんの言葉を書いた紙を背広の内ポケットに入れることにしたのです。
 この紙は、私に最初に金学順さんのことを語ってくれた尹貞玉(ユン・ジョンオク)先生の著書の表紙にあった写真付きの著者紹介の部分を切り取ったものです。その裏の、白い部分に金学順さんは自分の裁判の際に提出した陳述書の中の言葉を黒いマジックで、「私は日本軍により連行され、『慰安婦』にされ人生そのものを奪われたのです」と書き入れました。
 私の受けたバッシング被害など、金さんの苦しみから比べたら、取るに足りないものです。いろんな夢のあった数えで17歳の少女が意に反して戦場に連行され、数多くの日本軍兵士にレイプされ続けたのです。絶望的な状況、悪夢のような日々だったと思います。
 そして、私は、こう自分に言い聞かせました。「お前は、『慰安婦にされ人生を奪われた』とその無念を訴えた人の記事を書いただけではないか。それの何が問題なのか。負けるな植村」
 金さんの言葉を、胸ポケットに入れて、法廷に臨むと、心が落ち着き、肝が据わりました。

 きょうも金さんの言葉を胸に、意見陳述の席に立っています。
 私は、慰安婦としての被害を訴えた金学順さんの思いを伝えただけなのです。
 そして「日本の加害と歴史を、日本人として、忘れないようにしよう」と訴えただけなのです。韓国で慰安婦を意味し、日本の新聞報道でも普通に使われていた「挺身隊」という言葉を使って、記事を書いただけです。それなのに、私が記事を捏造したと櫻井よしこさんに繰り返し断定されました。
 北海道新聞のソウル特派員だった喜多義憲さんは私の記事が出た4日後、私と同じように「挺身隊」という言葉を使って、ほぼ同じような内容の記事を書きました。記事を書いた当時、私との面識はなく、喜多さんは、私の記事を読んでもいなかったのです。喜多さん自身が直接、金学順さんに取材した結果、私と同じような記事を書いた、ということは、私の記事が「捏造」ではない、という何よりの証拠ではないでしょうか。その喜多さんは、2月に証人として、この法廷で、櫻井よしこさんが私だけを「捏造」したと決めつけた言説について、「言い掛かり」との認識を示されました。
 そして、こうも述べられました。「植村さんと僕はほとんど同じ時期に同じような記事を書いておりました。それで、片方は捏造したと言われ、私は捏造記者と非難する人から見れば不問に付されているような、そういう気持ちで、やっぱりそういう状況を見れば、違うよと言うのが人間であり、ジャーナリストであるという思いを強くいたしました」。この言葉に、私は大いに勇気づけられました。

 1990年代初期に、産経新聞は、金学順さんに取材し、金学順さんが慰安婦になった経緯について、少なくとも二度にわたって、日本軍の強制連行と書きました。読売新聞は、「『女性挺身隊』として強制連行され」と書きました。
 いま産経新聞や読売新聞は、慰安婦の強制連行はなかったと主張する立場にありますが、1990年代の初めに金学順さんのことを書いたこの両新聞の記者たちは、金さんの被害体験をきちんと伝えようと、ジャーナリストとして当たり前のことをしたのだと思います。私は金さんが、慰安婦にさせられた経緯について、「だまされた」と書きました。「だまされ」ようが「強制連行」されようが、17歳の少女だった金学順さんが意に反して慰安婦にさせられ、日本軍人たちに繰り返しレイプされたことには変わりはないのです。彼女が慰安婦にさせられた経緯が重要なのではなく、慰安婦として毎日のように凌辱された行為自体が重大な人権侵害にあたるということです。
 しかし、私だけがバッシングを受けました。娘は、「『国賊』植村隆の娘」として名指しされ、「地の果てまで追い詰めて殺す」とまで脅されました。
 あのひどいバッシングに巻き込まれたとき、娘は17歳でした。それから4年。「殺す」とまで脅迫を受けたのに、娘は、心折れなかった。そのおかげで、私も心折れず、闘い続けられました。私は娘に「ありがとう」と言いたい。娘を誇りに思っています。

 被告・櫻井よしこさんは、明らかに朝日新聞記者だった私だけをターゲットに攻撃しています。私への憎悪を掻き立てるような文章を書き続け、それに煽られた無数の人々がいます。櫻井さんは「慰安婦の強制連行はなかった」という強い「思い込み」があります。その「思い込み」ゆえなのでしょう。事実を以って、私を批判するのではなく、事実に基づかない形で、私を誹謗中傷していることが、この裁判を通じて明らかになりました。そして誤った事実に基づいた、櫻井さんの言説が広がり、ネット世界で私への憎悪が増幅されたことも判明しました。
 『WiLL』の20144月号の記事がその典型です。金さんの訴状に書いていない「継父によって40円で売られた」とか「継父によって……慰安婦にさせられた」という話で、あたかも金さんが人身売買で慰安婦にさせられたかのように書き、私に対し、「継父によって人身売買させられたという重要な点を報じなかった」「真実を隠して捏造記事を報じた」として、「捏造」記者のレッテルを貼りました。「捏造」の根拠とした『月刊宝石』や『ハンギョレ新聞』の引用でも都合のいい部分を抜き出し、金さんが日本軍に強制連行されたという結論の部分は無視していました。

 しかし、櫻井さんは、私の指摘を無視できず、2年以上経っていましたが、『WiLL』と産経新聞で訂正を出すまでに追い込まれました。実は、訂正文には新たな間違いが付け加えられていました。金さんが強制連行の被害者でない、というのです。日本軍による強制連行という結論を持つ記事に依拠しながらも、その結論の部分を再び無視していました。極めて問題の大きい訂正でしたが、櫻井さんの取材のいい加減さが、白日のもとに晒されたという点では大きな前進だったと思います。支援団体の調べでは、この種の間違いが、産経新聞、『WiLL』を含めて、少なくとも6件確認されています。
 提訴以来3年5か月が経ちました。弁護団、支援の方々、様々な方々の支援を受け、勇気をもらって、歩んでまいりました。絶望的な状況から反撃がはじまりましたが、「希望の光」が見えてきたことを実感しています。
 そして櫻井よしこさんをはじめとする被告の皆さん、被告の代理人の皆さん。長い審理でしたが、皆様方はいまだに、ご理解されていないことがあると思われます。大事なことなので、ここで、皆様方に、もう一度、大きな声で、訴えたいと思います。

「私は捏造記者ではありません」

 裁判所におかれては、私の意見を十分に聞いてくださったことに、感謝しております。公正な判決が下されることを期待しております。

 これにて札幌訴訟は結審した。
 判決日は11月9日である。

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