「ノンフィクションの筆圧」安田浩一ウェブマガジン

【無料公開】「生活保護の現場ルポ 2012」から変わらない日本の今を考える<1>

 間違いなく湖末枝さんさんたちの生活はひっ迫していた。だからこそ3回も相談に出向いているのだ。その状況を把握しながら、行政はなぜに生活保護申請へと導かなかったのか。

 白石区保健福祉部保護一課の課長は私の取材に対し、「湖末枝さんたちが亡くなったことに関しては本当に心を痛めている」としたうえで次のように答えた。

 「ご本人が申請の意思を示さなかったんです。もちろん、こちらからもっと踏み込んで申請を促せばよかったかもとは思いますが、やはりご本人の意思が明確でなければ、通常はなかなか、それ以上のことはできません。もちろん、最初から申請させずに帰そうとしたなんてことはありません」

 これはどう考えてもおかしい。生活保護は困窮した住民の権利であり、そして国(行政)の義務である。障がいを持った妹を抱え、その年金だけで生活し、家賃や公共料金を滞納し、食事にも困る状況が判明した段階で、黙っていても救済の策を講じるのが行政の仕事ではないのか。

 実は、同区では25年前にもひとり親家庭の母親が3人の子どもを残して餓死するといった事件が起きている。パート労働のかけもちで体調を崩した母親は同区役所を訪ねて生活保護の相談をしたが、このときもやはり「まだ若いから働ける」と担当者からアドバイスを受けただけで。申請することができなかったのだ。

 白石区は精神病院や福祉施設が集中し、また低家賃のアパートなども多いため、市内の他区と比較すると昔から生活保護利用率の高い地域でもある。そうしたことから民間の福祉関係者などからは「それだけ同区は利用率を下げたいとの思惑が働いている」と指摘されることもある。

 ところで今回の件で私がもっとも悲しい気持ちになったのは。湖末枝さんが担当者の<懸命な求職活動>のアドバイスに従い、体の不調を感じながらも律義にそれを実行していたことだ。

 私の手元には、湖末枝さんが使用していた2011年度版の手帳がある。花柄の表紙をめくれば、ダイアリーは細かな文字の書き込みでびっしりと埋められている。そのほとんどが派遣会社の登録会、説明会、そして面接日程だった。

 彼女は必死だったのだ。

 妹の介護をしながら、自身の体調悪化と闘いながら、まさに「懸命」に求職活動を続けることで、少しずつ寿命を縮めていた。そして力尽きた。

 「そういう子なんですよ。生真面目に過ぎるというか……

 そう話すのは滝川市内に住む姉妹の叔母に当たる女性だ。

 「とにかく妹思いでね。いつか結婚するときは妹も一緒に連れていく、なんてことを話していましたよ」

 姉妹が生活苦に置かれていたことは全く知らなかったという。

 「それどころか1年くらい、ぜんぜん連絡がなかった。私としてはそれに腹が立っていたんです。でも、後に湖末枝の友人に話を聞くと、『生活のことを知られたら叔母さんに迷惑がかかる』って話していたらしいんです。なんかねえ、余計に悔しいじゃないの」

 女性は目頭を押さえながら「どうして、こんなことに、ねえ」と何度も繰り返した。

 どうして、こんなことに──大きな要因の一つは、生活保護制度がセーフティネットとして機能していなかった点にある。機能していれば、少なくとも彼女たちが寒い部屋の中で餓死、凍死することはなかったはずだ。

 同様の事例はここ数年の間に何度も話題となっている。

 2006年には北九州市で障がいをもった男性が餓死した。この男性は死の直後、2度にわたって生活保護の申請に出向いているが、いずれも「息子に面倒を見てもらったほうがいい」「親族がいるだろう」と申請を阻まれていた。

 翌07年にはやはり北九州市で、「おにぎり食べたい」と日記に記した男性が餓死している。この男性はもともと生活保護を利用していたが、福祉事務所によって「生活保護辞退」の手続きを取らされたばかりだった。

 また、12年に入ってから新聞報道されただけでも13件の餓死、孤立死が明らかとなっている。

 貧困問題が深刻化するなか、いまこそ生活保護の機能が強化されてもよいはずだった。これは命にかかわる問題なのだ。

 札幌の姉妹が亡くなった部屋には。湖末枝さんの携帯電話が残されていた。最後の発信は12月20日。押された番号は「111」である。

姉妹の遺品の携帯電話

 湖末枝さんが亡くなった後、その時点ではまだ息のあった妹の恵さんが「110番」か「119番」への電話を試みたと思われる。だが知的障がいを持つ恵さんは、あるいは飢えと寒さも手伝って、正確な番号を押すことができなかったのではないか。

 姉も妹も、それぞれSOSを発信していた。だが、それが届くことはなかった。いや、受け止める者がいなかった。制度が正しく機能していなかった。生活保護はこれらの事件から大きな教訓を得なければいけなかった。

 姉妹は「懸命な求職活動」などする必要がなかったのだ。ただ、生きていてくれればよかった。行政も、社会も、それを前提にすべきなのだ。誰もが「生きていく」ために必要な制度なのだから。

 しかし──いま生活保護制度は自己責任論と排他の空気の中で歪められ、利用者に攻撃の矛先が向けられている。誰もが最低限度の生活を営むために必要な制度が、まるで犯罪でもあるかのように叩かれている。

「生活保護の現場ルポ 2012」から変わらない日本の今を考える<2>

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