「ノンフィクションの筆圧」安田浩一ウェブマガジン

【追悼2021】「都合の良い時は日本人」 日本の不条理と正義を問い続けた元BC級戦犯・李鶴来さんを偲ぶ

 2019年2月、タイのヒンダット温泉を訪ねた。首都バンコクからは鉄道とバスを乗り継いで約6時間、ミャンマー国境に近い山間部の秘湯である。

 今年9月に刊行した『戦争とバスタオル』(文筆家・金井真紀さんとの共著、亜紀書房)の取材はここから始まった。

 温泉は、ジャングルの中にあった。

 分厚く茂った熱帯雨林の間を縫うように清流が走り、渓ぎわに沿ってコンクリートで仕切られた大きめの浴場が二つ、ぽかんと口を開けている。何の飾り気もない、野趣に富んだ河原の露天風呂だ。南国の強烈な日差しが水面に躍りかかり、極彩色のオアシスをつくりあげていた。

 湯に浸かる。深呼吸する。川面から吹く風が頬を撫でる。極楽を感じた。

ヒンダット温泉:左側は渓流、右側は川に沿って風呂が整備されている。

 だが──この温泉の由来に思いをはせると一気に湯冷めする。川底から湧き出る温泉を「風呂」として整備したのは、かつてこの地に進駐した旧日本軍だった。

 第二次大戦末期、軍事物資の補給路を必要とした日本軍は、タイとビルマ(当時)を結ぶ泰緬鉄道を建設した。総延長415キロの鉄路の工事に、連合軍捕虜やアジア各国から徴用された労働者(いまも同地では「ロームシャ」という言葉が残っている)など20万人を超える人々が動員された。日本軍は沿線各地に収容所を設けたうえで、これらの人々を強制労働に駆り出したのだ。

かつての泰緬鉄道は現在、タイ国鉄ナムトック支線と呼ばれている。

 1年数か月と定められた無茶な工期のために、労働は過酷を極めた。連日、夜を徹した突貫工事が進められた。鉄道は1943年に完成したが、飢えや疲労、感染症(工事が雨季にかかったため、不衛生な労働環境や労働者の体力低下も相まってマラリア、コレラ、アメーバ赤痢などが大発生した)、日本軍の監督者による虐待で、実に約1万2千人の捕虜と数万人(実数不明)のアジア人労働者の命が奪われた。使役する側であった日本軍からも伝染病による死者を出している。

 日本という国家が抱えた暗部である。疑う余地のない戦争犯罪だ。

 だからこそ、タイ国内はもとより英語圏でも、泰緬鉄道(Thai-Burma Railway)ではなく、死の鉄道(Death Railway)と呼ばれることが多い。

 こうした経緯はほぼ理解していたが、取材に出向いて新たに知ったこともある。

 捕虜や労働者の監視役に当たった「日本軍兵士」の多くが、実は朝鮮人だったという事実である。捕虜監視役の朝鮮人は「コリアンガード」と呼ばれた。

 現地取材を終えて帰国してから、私と共著者の金井さんは「コリアンガード」の経験者を探した。その過程で、私たちは共通の知人である岩波書店の編集者、大山美佐子さんから、東京都内に住む李鶴来(イ・ハンネ)さんを紹介してもらった。大山さんは90年代初めからずっと李さんに寄り添い、支援してきたひとりである。

 昨年秋、私たちは李さんの自宅に出向き、これまでの苦難の道のりについて話を聞いた。

 95歳という高齢だ。足腰が不自由であることは仕方ないとしても、口調ははっきりしていた。時折、身を乗り出すようにして、戦時体験を熱く語った。     

(残り 3783文字/全文: 5076文字)

ユーザー登録と購読手続が完了するとお読みいただけます。

ウェブマガジンのご案内

1 2 3
« 次の記事
前の記事 »

ページ先頭へ