「ノンフィクションの筆圧」安田浩一ウェブマガジン

【無料公開】佐渡金山は世界遺産にふさわしいのか(1)

■一路、佐渡へ

「盛り上がり? そんなものは、ほとんどありませんよ。市民の多くはシラけています」

 佐渡で耳にしたのは、そんな冷めきった言葉だった。

 政府が佐渡金山(佐渡鉱山)の世界遺産登録を目指して、ユネスコ(国連教育科学文化機関)に推薦書を提出したのは2022年2月1日。江戸時代の伝統的手工業による金生産システムを対象とし、2023年の登録を目指すという。

 当初、政府は年内の推薦を見送る方針を示していた。「朝鮮人強制連行の事実がないがしろにされている」と主張する韓国との関係悪化を懸念したうえでの判断だった。

 2015年に「明治日本の産業革命遺産」(軍艦島など)が登録された際、政府は「犠牲者を記憶にとどめる措置をとる」と言明したが、それを実行しなかった。そのため、朝鮮人労働者に関する説明が不十分だとして、ユネスコの世界遺産委員会は日本の対応に「強い遺憾」を盛り込んだ決議を採択している。そのような経緯があることも、推薦を躊躇わせた一因と考えられる。

 ところが、自民党内からこれを「弱腰」だとする声が相次いだ。

 「(韓国側に)歴史戦を挑まれている以上、避けることはできない」とフェイスブックに投降したのは安倍晋三元首相である。佐渡金山世界遺産登録を「歴史戦」に位置付ける党内最右派、なかでも安倍氏が顧問を務める議員連盟「保守団結の会」などの突き上げにより、岸田文雄政権も揺れる。結局、安倍氏ら右派に押し切られた形で、推薦が決まった。

 ユネスコの諮問機関による現地調査は今年秋に予定されている。これに向けて、新潟県も受け入れ態勢の整備を急ぐほか、今月末には世界文化遺産への登録をめざす自民党の議員連盟の発足が予定されるなど、後押しの動きも活発化した。

 だが、果たして肝心の地元・佐渡はこのような動きをどう見ているのか。歓迎一色に染まっているのか。

 私と野間易通NO HATE TV取材班は佐渡へ向かうことにした。

       
佐渡汽船のジェットフォイル

 新潟港で佐渡(両津港)行きのジェットフォイルに乗船したのは2月17日の昼過ぎだった。この日の天候は雪。冬の日本海は予報通りに荒れていた。

 港を抜け、鉛色に染まった外海に出た瞬間、船は上下に激しく揺れた。「ドン、ドン」。波を乗り越える度に、船底から突き上げるような衝撃に襲われる。船窓に砕けた波が勢いよくぶつかる。窓の外に視線を向ける余裕などなかった。からだを硬くし、ただひたすら揺れに耐えるしかない。うねりの続く海上は、まるで岩石が転がるオフロードを思わせた。


船窓に波の飛沫が襲いかかる

 わずか65分の船旅である。だが、両津港に到着したときには、踏ん張り続けた両足の筋肉に疲労が蓄積していた。

 ちなみに佐渡へ渡るにはジェットフォイルか大型フェリーによる海上移動しか手段はない。以前は小型機による航空路線(新潟空港発着)もあったが、現在は休止中だ。日本海に低気圧が常駐する冬場は、荒海にもまれることを覚悟しなければならない。時化の度合いによっては欠航となる日も珍しくないそうだ。

 さて、両津港のフェリーターミナルで下船した私たちを迎えたのは、「祝・世界遺産推薦決定!」の幟と、天井から吊るされた大型パネルである。

 

 さらには「祝」の文字をペットボトルのキャップで表したモザイクアートや、金山の説明パネルを展示したコーナーなどが設置され、かろうじて祝賀ムードは演出されていた。モザイクアートは佐渡市内で回収した1万944個のキャップが使われているという。

 壮観と言えば確かにその通りなのだが、オフシーズンのターミナルは人の姿もまばらで、それなりに派手な仕掛けも、どこか空回りしているような寂寥感が漂う。

 結局、この寂しい風景こそが、世界遺産登録への道のりを描写したものではないかと、後に私たちは確信することになる。


ペットボトルキャップで作られたモザイクアート


金山の写真や説明パネルが展示されたコーナー

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