「ノンフィクションの筆圧」安田浩一ウェブマガジン

ベトナム人技能実習生が「死体遺棄」を問われた不条理 

■孤立出産や死産は「罪」なのか

 リンさんは無罪だ──。そう大書された横断幕を支援者や弁護団が掲げた。

 4月11日午前、最高裁前(東京・千代田区)。横断幕に見送られて弁護団は最高裁の中に入った。上告趣意書と意見書、そして6万8千筆にも及ぶ、無罪判決を求める署名を提出するためである。

 死産した子どもの遺体を放置したとして「死体遺棄」の罪に問われているのはベトナム人技能実習生のレー・ティ・トゥイ・リンさん(23歳)(以下、リンさん)だ。いったい、彼女に何があったのか、そしてなぜ彼女の無罪を求める声が強いのか。まずは「事件」とされた一連の経緯を振り返ってみたい。


最高裁に上告趣意書、意見書、署名の提出に向かう弁護団の代表

 リンさんは2018年8月に技能実習生として来日、熊本県内のミカン農家に就労した。送り出し機関やブローカーに請求された総額150万円の出国費用は借金で賄った。これを返済し、さらにはベトナムで待つ家族の暮らしを少しでも豊かなものにしたいと考え、農家では休みも満足にとることなく懸命に働いた。

 自身の妊娠に気が付いたのは来日から1年半後のことである。おなかの子どもは交際していたパートナーとの間にできたものだ。

 リンさんは予期せぬ妊娠に悩み、苦しんだ。誰にも相談できなかった。妊娠したことが雇用主や管理団体に知られたら、強制的にベトナムへ送り返されると思ったからだ。たったひとりで、途方に暮れるしかなかった。それでも、生まれてくるであろう「いのち」への期待もあった。雇用主や管理団体の仕打ちに対する不安もあったが、それ以上に「赤ちゃんができたという喜びもあった」と後にリンさんは話している。

 2020年11月15日、自室で双子の赤ちゃんを産んだ。残念ながら死産だった。

 その時の気持ちを、リンさんは裁判で次のように証言した。

 「動揺して頭の中が真っ白になった。具体的になにをしていいのかわからなかった。ただ、元気になったらきちんと埋葬しようとは思っていた」

 動揺するのは当然だ。出産の痛みと死産のショックが重なったのだ。しかも異国の地における孤立出産。相談できる人は周囲にいなかった。布団は血で赤く染まっていた。落ち着いていられるわけがない。

 肉体的、精神的に疲弊した状態のなかで、リンさんは、とにかく自分なりに死んだ子どもたちを弔わなければいけないと考えた。

 まず、双子の遺体をタオルで包んだ。それぞれ名前を付けて、便せんに「ごめんね」「安らかに」など弔いの言葉を記した。それらを二重の箱に収め、テープで封をしたうえで、自室の棚の上に安置した。リンさんは遺体と一緒に一晩を過ごした。

 翌日、雇用主に連れていかれた病院で、リンさんは出産したことを打ち明ける。医師は警察に通報し、リンさんはなんと死体遺棄を理由として熊本県警に逮捕されたのであった。

         

リンさん刑事裁判弁護団主任弁護人・石黒大貴弁護士が作成した資料より

 なぜ、この一連の行為が死体遺棄に問われるのか。多くの人がそう感じるに違いない。

 「死体遺棄罪」(刑法190条)とは、「死体、遺骨、遺髪又は棺に納めてある物を損壊し、遺棄し、又は領得」の行為が問われるものだ。「死者に対する追悼・敬虔の感情という社会秩序を乱した」ことにより、3年以下の懲役が定められている。

 典型例として連想されるのは、たとえば人を殺害し、その遺体を山中などに埋めるといった行為だ。

 だが、リンさんは遺体を捨てたわけでも、人目につかない場所まで移動して埋めたわけでもない。

 リンさんが出産してから逮捕されるまで、わずかに33時間である。一般的に通夜から出棺まで、その程度の時間、遺体を自宅に安置する事例など珍しくはないはずだ。しかも弔いの言葉まで添えて部屋の中に安置していた。

 彼女は一晩中、ずっと遺体に寄り添っていたのだ。

 だからこそ、「こうのとりのゆりかご(通称・赤ちゃんポスト)」の運営で知られる慈恵病院(熊本市)の蓮田健院長は、裁判所に提出した意見書で次のように記した。

 孤立出産で心身ともに疲弊しているにも関わらず、嬰児を埋葬する準備をしたリン氏の行為は優秀の域にある。この行為が罪に問われるとなれば、孤立出産に伴う死産ケースのほとんどが犯罪と見なされてしまいかねない。

 繰り返す。リンさんはけっして赤ちゃんを捨ててはいない。

 だが、一審の熊本地裁は「死産を隠したまま私的に埋葬したのは、国民の一般的な宗教感情を害することは明らかである」として、懲役8月、執行猶予3年の判決を言い渡した(2021年7月20日)。

 2審の福岡高裁は「放置したわけではなかった」として一審判決を破棄したが、二重の箱に収め、テープで封をした行為が「隠匿」に当たるとし、懲役3月、執行猶予2年の、やはり有罪判決となった(2022年1月19日)。検察が主張する「死体遺棄」がまたもや認められてしまったのだ。

 彼女がテープで封をしたのは、そうしなければ箱のふたが開けっ放しの状態になってしまうからという、ただそれだけの理由だ。タオルで包んだ遺体を箱の中に収めたのも「(遺体が)寒い思いをしないように」といった素朴な感情によるものである。そもそも、遺体を人目にさらした状態にしないことは、人として当然の行為ではないか。悪意を前提としたものではない。

 ちなみにテープで封印した行為が「隠匿」に該当するといったことは、起訴状にも書かれていなければ、一審でも争点になっていなかった。弁護団はこれを裁判所の「不意打ち」だと指摘している。

 なにがなんでも有罪に持ち込みたいという司法の意欲だけが透けて見える。

 1月31日、リンさんと弁護団は最高裁に上告した。

 そして今回、リンさんの行為はけっして「死体遺棄」に該当する者ではないことを訴えた趣意書、全国から寄せられた意見書、無罪を求める署名が提出されたのであった。

<もしも私が隠れて子どもを産み、それを冒涜的な感情で遺棄するのならすぐにでも土に穴を掘って埋めてしまうと思います。ゴミとして捨てたって構わないでしょう。大量出血で1ミリ動くのも大変な中、赤ちゃんをタオルにくるみ、箱の中に入れて封をしたことの何が罪に問われるのでしょうか>(東京都・女性)

<タオルで包んだのも、二重に箱に入れてふたをしたのも、しばらく途方に暮れていたのも、彼女が母であったということだと思います。産後の満足に動けない女性がひとりでいったいどうすれば罪に問われずに済むのか>(東京都・女性)

<隠匿の印象を受けません。彼女が誠意でおこなった葬りのかたちであると見受けます>(兵庫県・キリスト者)

これらは意見書に連ねられた声の一部である。なかでも出産を経験した女性からは、「有罪」の理不尽を訴えるものが多かった。

         

筆者が以前、取材先から入手した雇用契約書の一部。恋愛、結婚、そして「妊娠を引き起こす行為」が禁じられている。規則を破ると強制帰国となる。

■常態化する技能実習生への人権侵害

 孤立出産をまるで「犯罪」のようにみなす警察や裁判所の問題と同時に、この一件から浮かび上がってくるのは「妊娠を誰にも告げることのできなかった」という実習生の置かれた環境だ。

 前述したように、リンさんは帰国を迫られることを恐れていた。実際、妊娠を理由とした解雇、強制帰国といった事例がこれまでにも相次いでいるからだ。

 移住連(NPO法人 移住者と連帯する全国ネットワーク)の調査(2021年)によれば、調査対象とした技能実習生の半数以上が、送り出し機関や管理団体から「妊娠・出産に関する制約を受けている」と回答している。

 実習生と関係機関による契約書に、堂々と「妊娠禁止」の項目が設けられているケースもある。

 私が過去に愛知県の縫製会社で働く実習生から入手した雇用契約書には、ストライキや携帯電話の所持を禁止する項目と並び、次のような文言が記されていた。

 期間中は同居や結婚、妊娠を引き起こす行為をしてはならない

 そんな権限を振り回すことじたいが恥ずかしくないのか。私は憤り以前に呆れるしかなかった。

 かつて福井県で取材した中国人の女性実習生も、「男女交際」を理由に強制帰国を迫られていた。

 実習期間中、たまたま知り合った在日中国人男性と恋愛し、数回の外泊をしたことが問題視されたのである。

 彼女は管理団体の担当者に呼び出され、詰問された。

 ──「外泊をしたでしょう?」

 「はい。彼の家に泊まりました」

 ──男性と交際し、外泊するのは規則違反だって知っていますね? あなたは悪いことをしていると知っていながら外泊したの?

 「……

 こうしたやりとりが数人の男性の前でおこなわれ、「プライバシーが丸裸にされたような気持ちになって、その場から逃げ出したかった」と彼女は私の取材に答えている。

 彼女が私に見せてくれた雇用契約書にも、おそろしく気持ちを滅入らせる言葉が並んでいた。一部を引用する。

 ・日本側の会社の許可を取らず、勝手に外出し情状酌量の余地なき者は即刻強制帰国、併せ賠償違約金50万円。

 ・期間中に恋愛をした者には先ず警告処分を与え、勧告を聞き入れない者には違約金20万円を収めさせ、第二回目の賠償違約金は50万円、併せ即刻強制帰国。

 ・期間中に妊娠した者は罰金80万円、即強制帰国、往復の航空運賃を自己負担する。

 馬鹿馬鹿しいにもほどがあろう。中学生ならばともかく、実習生はすべてれっきとした成人だ。外泊も恋愛も、あるいは妊娠にしても、誰かの許可を得るような問題ではない。しかもこうした契約書は実習生に詳しく中身を説明することもなく、なかば強制的にサインさせるといった乱暴な手法がまかり通っていた。実際、彼女も外泊を問題視されたときにはじめて「恋愛禁止条項」を知ったのである。

 ちなみに彼女は管理団体職員にむりやり空港に連れていかれ、中国行の飛行機に乗せられそうになるが、事前に相談していた外国人支援団体に出国ゲートの手前で救出され、どうにか帰国を免れることはできた。

 言うまでもないが、恋愛も妊娠も、禁ずる側こそが人権侵害で問われなければおかしい。ましてやそれを理由とした解雇など、労働法でも認められていない。

 だが、実習生が働く場所で、常識は立ち止まる。実習制度は恋愛も、妊娠も、出産も、はなから想定していないのだ。つまり、実習生は当たり前の人間としても認められていない。

 リンさんはそのことを知っている。だからこそ恐れた。借金を抱えて渡日したのに、期間満了前に帰されてしまえば、その後の人生はどうなるのか。

 孤立出産に導いたのは、まぎれもなくこうした労働環境をつくり出した側である。

 リンさん弁護団の石黒大貴弁護士は、「本来、こうした孤立出産をせざるを得ない女性は、刑事罰ではなく社会福祉によって救済されるべき」だと話す。

 「死産直後のリンさんの行為は、わが子への愛情をもって、ていねいにとりおこなわれている。子どもを捨ててもいないし、逃げ去ってもいない。罪に問うことじたいがおかしいのです」

 同時に外国人の技能実習生に対する差別、婚姻外で孤立出産する女性への差別も見え隠れする。

 リンさんは被害者以外のなにものでもないはずだ。

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