「ザ・ヨコハマ・エクスプレス」藤井雅彦責任編集:ヨコハマ・フットボール・マガジン

「2015年にC級ライセンスを取得して、いつか自分も指導者になるのかなぁと想像したこともあります」 [トリコロールを纏った男たち : 天野貴史インタビュー(後編)]

©Y.F.M

 

実施日:4月5日(木)
インタビュー・文:藤井 雅彦
協力:INTEREST(現所属会社)
写真提供 : 横浜マリノス株式会社

 

前回からつづく

 

現役続行か、引退か。所属チームを探していた1月中旬、本人の下へ1件のオファーが舞い込む。それはサッカークラブではなく、車屋さんからの電話だった。

「自分は人と関わるのが好きで、話すことが好きで、そもそも人が好き。そういう仕事はできないかなと漠然と考えていました」

 2月下旬に引退を決意した時、すでに気持ちは固まっていた。

ユニフォームからスーツへ。スパイクから革靴へ。自動車通勤から電車通勤へ。

天野貴史のセカンドキャリアが始まった。

 

 

――セカンドキャリアを現在の仕事に決めたのはいつ頃なのですか?

「自分が初めて車を買った時の担当が、僕が働き始めた会社の社長なんです。それが19歳の時なので、もう13年の付き合いになります。社長とは定期的に連絡を取っていて、パルセイロを契約満了になってからもずっと気にかけてくれていました。1月になってからもチームが見つからず、そのタイミングで選択肢の一つとして声をかけてくれたんです。『サッカーを続けられるなら続けてほしいですけど、頭の片隅に置いてくださいと言われて。私は待っているので、いつでも連絡ください』と言っていただけて、素直に嬉しかったです。それが1月中旬くらいの話で、2月になってからも同じように気にかけてくれていました」

 

――指導者や普及といったサッカーに関わる仕事を続けると考えていた人も多いと思います。

「もちろん考えていました。実際にそういったお誘いがなかったわけではありません。僕自身、2015年にC級ライセンスを取得して、いつか自分も指導者になるのかなぁと想像したこともあります。ただ、今はサッカーを教えることへのモチベーションよりも、新しく違う世界に足を踏み入れてみたいという気持ちが強い自分がいました」

 

 

 

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