「ザ・ヨコハマ・エクスプレス」藤井雅彦責任編集:ヨコハマ・フットボール・マガジン

2005年、大島秀夫は東戸塚に帰ってきた。待っていたのは久保竜彦、安 貞桓、坂田大輔、グラウとの厳しいポジション争いだった [トリコロールを纏った男たち : 大島秀夫コーチインタビュー 第2回]

実施日:6月21日(木)
インタビュー・文:藤井 雅彦
協力:横浜F・マリノス広報室

前回からつづき

 

かつて横浜F・マリノスに在籍し、現在はスパイクを脱いだ男たちにスポットライトを当てる本連載。本稿は現在、F・マリノスジュニアユースでコーチを務める大島秀夫さんを迎えての第2回となる。

所属クラブの消滅と戦力外通告という苦い出来事を経て、ゼロからのスタートとなったJ2・モンテディオ山形で息を吹き返す。ゴールを決め続けることで、マリノスからのオファーを勝ち取った。

 

 

05年初春、大島秀夫は横浜の地へ舞い戻る。東北地方から上京してきた新社会人のような気分だった。懐かしかったのは、フリューゲルス時代に練習していた東戸塚のグラウンドだけ。

「戻ってきたという感覚はないよね。自分はJ1で何も残していなかったから、ようやくスタート地点に立ったという気持ちだった。周りにいるのは代表クラスの選手ばかりで、自分はチームメイトの名前にビビっていたよ(笑)。ただ、クラブハウスと練習グラウンドだけは知っていたから、居心地は良かったよ」

 久保竜彦、安 貞桓、坂田大輔、グラウといったライバルとの厳しいポジション争いに身を置きながらも、高さを生かしたプレーと安定感で貢献。加入1年目から28試合に出場し、チーム最多となる9得点を挙げた。

2007年からは拠点をみなとみらいのマリノスタウンに移転。クラブの歴史が変わっていく最中を、チームの一員として体感していく。

そのシーズンはJ1でのキャリアハイとなる14ゴールを決めた。すると「一番取ったシーズンだよね?」と目を輝かせて食いついた。

 

 

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