「ザ・ヨコハマ・エクスプレス」藤井雅彦責任編集:ヨコハマ・フットボール・マガジン

「育ててもらったクラブで自分はまだ何もやっていない。まだ日産スタジアムのピッチにも立っていない。それなのに戻ってこいと言ってくれたことがうれしかった」[高野遼インタビュー(前編)]

[高野遼選手インタビューコラム(前編)]

実施日:1月24日(木)
インタビュー・文:藤井 雅彦
協力:横浜F・マリノス広報室

 

夕食後、整髪料をつけることもなく自然体のまま、彼はインタビュールームに現れた。

「おかえりなさい」
「ただいま、ですね」

 こんな会話からインタビューが始まった。久しぶりに取材する高野遼は、どことなく精悍さを増した気がする。加入当時はあどけなさを残していたのに。

 

 

2017年、日本体育大学からF・マリノスの一員となった。大学時代の自身を振り返って「頭を使わず体だけでサッカーをしてきた選手」と苦笑いを浮かべる。ガムシャラにタッチライン際を駆け上がり、得意のクロスをゴール前へ送り、チャンスの場面ではパワフルな左足でゴールを狙う。単純明快なプレースタイルでプロへの道を切り拓いた。

プロ入り後はF・マリノスの左サイドに新風を吹かせることが期待された。しかし同じポジションには経験値で勝る下平匠や金井貢史が在籍しており、さらに同じタイミングで山中亮輔も加入。左サイドバックの層は厚く、出場機会がなかなか巡ってこない。ピッチの上で堂々と胸を張ってトリコロールのエンブレムを付けるためにどうしたらいいのか。考えて、悩んだ。出場機会を求めた高野は、夏に武者修行の道を選ぶ。それが成長への近道と判断したからだ。

 

 

甲府で半年間を過ごした後、再び決断を迫られた。所属元のF・マリノスに復帰するか、あるいは期限付き移籍の延長を求めた甲府でプレーを続けるか。この二者択一を決めるのに、多くの時間は必要なかった。

「甲府に加入したけどケガをしてしまった影響もあって、リーグ戦に8試合しか出場できませんでした。クラブをJ2に降格させてしまったという責任もあったし、吉田達磨監督の下でサッカーを学べば自分が伸びるという手ごたえもありました。何よりも、このタイミングでF・マリノスに戻っても、自分の力が通用する自信はなかった。だから『甲府でもう1年やらせてください』というワガママを言わせてもらいました」

 昨シーズン、高野はJ2の舞台でリーグ戦34試合に出場した。それに加えてルヴァンカップのグループステージを戦い、さらに天皇杯ではノックアウトステージ(ベスト8)に進出。実戦の機会を求めて期限付き移籍期間を延長したのだから、願ってもない状況だった。

「リーグ戦に30試合以上出たことで心身ともに試合勘を取り戻せました。ルヴァンカップや天皇杯ではJ1のチーム相手に通用する部分も確認できた。夏にはサンフレッチェ広島から清水航平さんが加入して、試合に出られなくなる時期もありました。でも、その状況を変えるために努力して、終盤はまた試合に出られるようになった。そういった経験すべてが成長につながったと思います」

 言葉に力がみなぎっている。貴重な試合経験を積んだ高野はピッチ上で考える力を養い、同時に自信という名の鎧も得たのだろう。

甲府での生活が1年半を過ぎようとしていた。迎えるプロ3年目に向けた身の振り方を考える時期が訪れた。

 

 

 

 

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