「サッカーが上手くなりたい」 そんな思いが募るなか、谷口博之に古巣のマリノスからオファーが届いた [トリコロールを纏った男たち]
谷口博之インタビュー(第1回)
実施日:4月3日(金)
インタビュー・文:藤井 雅彦
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谷口博之が2019シーズン限りで引退した。
マリノスのトップチームに在籍したのは2011年と2012年のわずか2年間で、気がつけば8~9年の年月が経とうとしている。
でも彼はマリノスのアカデミーで育った経歴を持つ、紛れもないトリコロール戦士だ。
元在籍選手を巡る旅で、彼の元を訪ねた。引退から数ヵ月、まだサッカー選手の名残ある男が、大いに語ってくれた。
16年間のプロ生活に幕を下ろす。それが、どれだけの覚悟と決心を必要とするのか、私たちは想像することすらできない。
しかし晴れた日のカフェテラスで再会した谷口博之の表情は、とにかく清々しかった。
「16年間よくやったと思います。そのうち最初の1年だけがJ2で、あとの15年はJ1でプレーできました。マリノスの育成組織時代のコーチには今でも驚かれます(笑)」
J1通算350試合、J2やカップ戦を含めると公式戦448試合に出場した。もう立派としか言いようがない実績の持ち主だ。
彼は同じマリノスジュニアユース追浜出身者の名前を引き合いに出して、笑う。
「僕も石川直宏さん(現・FC東京クラブコミュニケーター)や(小野)裕二(現・ガンバ大阪)みたいに、あんなふうにサッカーが上手い選手に生まれていたら良かったのになぁ」
謙遜ではなく本気。自分は技術に長けた選手ではないことを早くに自覚していたから、誰よりも努力できた。その自信だけは譲れない。
2017年5月、選手生命を左右するケガを負った。奇しくも幼き日の自分を育ててくれたマリノスが相手で、接触したのは弟のように可愛がっていた齋藤学(現・川崎フロンターレ)だった。
ドリブル突破に対して、身を投げ出してストップを試みた。何のことはない、いつも通りに体を張っただけのこと。途中交代を余儀なくされたが、試合は1点のリードを守って勝利した。試合後も痛みはあったが「また打撲しちゃったか」と気にしていなかった。
だが、翌日から2019シーズンいっぱいで引退を決意するまでは、左膝の痛みとの闘いになった。
手術含めてやれることはすべてやった。復帰して試合のピッチにも立った。リハビリにも前向きに取り組んで自負がある。
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