「ザ・ヨコハマ・エクスプレス」藤井雅彦責任編集:ヨコハマ・フットボール・マガジン

だから僕はいつも笑っていたい [エリキ選手 インタビュー特別再掲載(後編)]

 

 期限付き移籍期間満了となったエリキにインタビューを実施したのは1年以上前の2019年11月だった。

 特に自身のルーツについて詳しく、そして楽しそうに語る様子は今も鮮明に覚えている。

 移籍は選手自身が決断することだが、選手の思い、気持ちだけで決まらないのもまた事実。さまざまな事情や背景が絡み合い、時に悲しい別れを選ばなければならないこともある。

 そんな思いから当時のインタビューを再掲載することにした。人柄がにじみ出る言葉の数々に、今一度耳を傾けてもらいたい。

 

 


 

[エリキ選手インタビュー(後編)]

実施日:11月11日(月)
インタビュー・文:藤井 雅彦
協力:横浜F・マリノス広報室

 

前編よりつづく

 

 

エリキはブラジルのパラー州に生まれ、10歳までの幼少期を過ごした。農業を営む家庭は決して裕福ではなかったが「僕のルーツはそこにある」と胸を張る。

10歳からゴイアスECに育成組織に所属し、16歳の時に念願のプロ契約。サッカーで賃金を稼ぎ、苦しい家計を助けられることを喜んだ。

そんなエリキの親孝行話には続きがある。

「自分のプロ契約を上回るくらい幸せな瞬間が12歳の時にあったんです」

それは、父親へ贈った最高の“プレゼント”だった。そして、ゴールパフォーマンスの意味とエピソードを明かしてくれた。

 

 

――自身のプロ契約よりも幸せな瞬間とは?

「僕が12歳の時、お父さんがゴイアスECからお仕事をいただいたんです。それまでは経済的に安定していませんでしたが、お父さんが毎月お給料をいただけることが決まり、とても幸せな気持ちになったのを鮮明に覚えています。僕にとって、プロ契約よりもうれしい出来事でした。ゴイアスECへの感謝は永遠に忘れません」

 

――お父さんはどんな仕事に就いたのですか?

「最初はスタジアムの管理のような仕事を任されていました。芝生の管理や試合後の片付けや清掃などです。その後、出世してホペイロになりました。そして僕が21歳でパルメイラスに移籍した時に『もう仕事をしなくていいよ』と伝えました。でもすごく愛された社員だったのでクラブに引き留められて、今でもゴイアスECで仕事をしています(笑)」

 

 

――エリキ選手は親思い、家族思いなのですね。

「ゴイアスECの練習場はブラジルでもベスト5に入るくらい恵まれた施設で、そこがお父さんの仕事場です。僕は歩いて通える距離にあるマンションを購入してプレゼントしました。親には感謝してもしきれません」

 

――少年時代からアタッカーとしてゴールを決めることで自身の道を切り拓いてきたのですか?

「小さな頃からポジションはFWでした。でも育成組織時代は中盤のポジションも任されたし、右サイドバックにコンバートされた経験もあります。でも自分本来のポジションはやっぱりFWだと思っています」

 

――やはり点を取る瞬間が一番楽しい?

「サッカーの試合で一番幸せを感じる瞬間は、ゴールよりも試合終了のホイッスルが鳴って幸せな仲間の顔を見る時です。ゴールは自分が素晴らしいプレーをしても生まれない場合もあるし、反対に満足できない内容でも得点だけ決められる試合もあります。ゴールはもちろん嬉しいですが、一番うれしいのは勝利を勝ち取った瞬間の仲間の笑顔です」

 

――今さらになってしまいますが、ゴール後のパフォーマンスの意味を教えてください。

 

 

 

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